第3話 内閣情報調査室
街の外れの
幼稚園の前の道路ではガス管の交換工事が行われており、一部の園児たちが興味津々の様子で見つめていた。
見守る二人の若い教諭がそれに気付いたのは、もうすぐおやつの時間になろうかという頃。
「先生、今日はあの人いてないですね」
「いてないね。でもいてくれへん方が助かるわ。いつもいつもお酒飲んで真っ赤な顔で何やらブツブツ言うて、気持ちの悪い」
「こないだなんかビールの缶、砂場に投げてきたんですよ。園長に警察へ連絡しましょうか言うたんですけど、さすがにそこまでせんでええよって」
「園長、お人好しやもん。あんなん警察に連れて行ってもろた方が絶対ええのに」
「ああ、もう二度とここに姿を見せませんように」
彼女らの話している男は、近隣でも有名人。年がら年中、昼間から酒をくらい、小さな迷惑行為を繰り返す。大きな事件を起こさないため、なかなか警察にも相談しにくいが、だからこそ周辺住民にとってはストレスの種だった。
しかしそのストレスが取り除かれたのは、果たして幸運だったと言えるだろうか。男は薄汚れた二階建ての自宅、窓の破れた二階の部屋で、大型歩兵竜の餌となっていた。
二人の警官たちは困っていた。
おかしな格好の女がいるとの通報を受けて現場に向かえば、確かにおかしな格好の女はいた。だが昨今、コスプレなど珍しくもない。その中にあって女の格好は極めて本格的であり、地味であるとすら言える。この程度で通報してきたヤツはクレーマー気質なのだろうと思ったものの、腰に剣を下げているのは簡単に見過ごせない。
そこで剣を調べようと思ったのだが、これがあまりに重すぎて持ち上げることも
さらに身元が不明だ。所轄署にパトカーで連れ帰り、取調室で質問をしてみれば。
「王国サンリーハム、白銀の剣士団団長、レオミス・ケングリア」
凜とした姿勢でこの言葉を繰り返す。パスポートを持っている訳ではなく、それ以外の身分証明書も同様。外国人だと証明ができれば入国管理局へ送れるのだが、手荷物もないので手がかりがない。近隣のホテルに問い合わせてみたが、彼女と思われる宿泊客は記録になかった。まるで天から降ってきたかのようである。
しかも。
「諸君らからの質問がないなら、私から問いたい。人間よりも大きな二足歩行の竜の目撃情報はないか」
真剣な顔でこんな質問をされて、いったいどう答えればいいのか。少しでもふざけている様子があれば怒鳴り散らすこともできるのだけれど、本気で真面目に切迫した様子を見せられては警官たちは混乱するばかり。もう質問するのもされるのも嫌になってほぼお手上げとなったとき。
取調室のドアがノックされ、警官たちが返事をする前に外から開いた。そこに立っていたのはこの署の署長。あまりのことに二人の警官が一瞬唖然とし、慌てて立ち上がれば、難しい顔の署長が無言で手招きをする。二人は顔を見合わせたものの、署長の招きを無視できるはずもない。警官たちは取調室から出て行き、それから三十秒ほど経ったろうか。
ドアが再び開くと、そこには中年のしょぼくれたスーツ姿の男が立っていた。男は軽く会釈をすると取調室に入りドアを閉める。そしてレオミスの正面向かいの椅子に座るとこう言った。
「初めまして。私は内閣情報調査室の
「そうだ」
レオミスが肯定すると、中ノ郷は天井を指さした。
「いまこの街の上に浮かんでいる巨大な城塞、あれがあなたの言うサンリーハムなのでしょうか」
レオミスはうなずく。
「その通りだ」
「立て続けに質問ばかりで申し訳ないのですが、そのサンリーハムはいずれこの街に落ちてくるのですね」
中ノ郷の問いに、今度は首を振る。
「いや、サンリーハムは移動できる。いますぐこの街の脅威になることはあり得ないだろう」
「いますぐは、ですか」
「近くに海があるのなら、そこに下ろせるはずだ」
「だとすると大阪湾になりますね。海運とか漁業権とか面倒臭いことになるなあ」
中ノ郷が額を抑えて考え込んでいると、レオミスがたずねた。
「私からも質問をしていいか」
「はい、それは。どうぞ、何なりと」
「人間よりも大きな体格の竜が一匹、私と一緒に落ちたはずだ。心当たりはないか」
「……竜?」
中ノ郷の反応は、先ほどの警官たちとは明らかに違った。
「それは、人間に危害を加える存在なのでしょうか」
「ああ、ヤツらは人間を食らう。この地に放置しておいては大惨事を招きかねない」
「その竜を探す手立てがあなたにはあると?」
この中ノ郷の言葉に、レオミスはしばし目を伏せると小さくうなずいた。
「手立ては、ある」
「はあ? 今日の作業中止? そらまた何でよ、監督」
急な作業中止指示に、再開発工事現場の職人や作業員たちが不満を漏らす。もちろん彼らとて仕事は早く終わってくれた方が有り難いのだが、今日の分が明日以降に持ち越されることがわかっていながらの中止ともなれば反発があるのも当然だ。
「そんなん言われてもJVの指示やし、JVもどっかから指示受けてるみたいやしで、私にどうこうできる話やないのんよ」
現場監督も困り顔だが、まあこの辺は所詮中間管理職であるということだろう。
「JVに指示できるってどこや。クライアントか?」
作業員たちからはまだ不満が出るものの、監督としては首をかしげるしかない。
「さあ。とにかく今日は作業中止、悪いけど。あ、あとこの辺、避難指示が出てるみたいやから、あんまりこの近辺でウロウロせんようにね」
まだ不満はたらたらだが、こうなっては作業員たちも解散するしかない。
「避難指示って台風でも来とんかいな」
「雲は出てるけどなあ。雨も風もないで」
そう文句を言いながらマイクロバスに乗り込めば、根木一平太がすでに一番前の席に座っていた。口には出さないが、一分一秒でも早く家に帰りたいと顔に書いてある。
「コイツだけはホンマもう」
思わず呆れはするものの、一平太の日頃の働きぶりを知っているだけに、誰もが苦笑するだけだった。
「小刀のような物はあるだろうか。紙を切るときに使う」
警察署の玄関の外、レオミスにそう問われて中ノ郷は上着の胸ポケットから、細身のカッターナイフを取り出す。
「ご自分の剣は使わないのですか」
そうたずねながら手渡す中ノ郷からカッターナイフを受け取ると、レオミスは使い方を教わりもせずに刃を出した。
「なるほど、これは便利だ。サンリーハムに輸入したい」
と、つぶやいたかと思うと、自らの左手のひらをカッターナイフで斬りつける。
ハッと目を見張る中ノ郷に、レオミスは微笑みかける。
「聖剣では持ち主を傷つけることができないのでな」
左手ににじみ出る赤い血。それをしばらく見つめてからレオミスは中空を見つめてこう言った。
「精霊リュッテよ、特別契約だ」
すると手のひらの血が中空に巻き上がる。まるで誰かがすすっているかのように。
「そうだ。あの大型歩兵竜の居所を探ってほしい」
その瞬間、空に真っ赤な血の色のアーチがかかった。
「なるほど、あちららしいな」
「私が車を出しましょう」
中ノ郷は玄関横の駐車場に走り、黒いセダンのエンジンをかけた。
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