第2話 聖天の歯車

 聖天の歯車。それはサンリーハム王宮の地下に眠ると伝わる巨大な魔法機械。三十三人の魔道士の力を使いその歯車を稼働させれば、城塞都市を含めた王宮全体を魔法によって遠く離れた場所に転移させることができるという、最終防衛策の中心となる機械である。


 国防大臣サヘエ・サヘエが女王リリアに提出した上申書は議会の反発を生み、内務大臣を始めとした主要閣僚の多くが反対に回った。だが紛糾した議会を鎮めたのは玉座に座るリリア王の隣に立つ美丈夫、摂政サーマインの鶴の一声。


「女王陛下は聖天の歯車の稼働を支持しておられます。よもやこれにご反対の方はおられますまいな」


 これで方針は決まった。だが静寂の戻りつつあった会議室のドアが叩かれ、若い騎士が駆け込んでくる。


「会議中失礼致します! 国防大臣サヘエ・サヘエ閣下および他国務大臣閣下へのご報告であります! 敵歩兵竜の後方に、翼竜よくりゅう部隊の存在を確認! 魔龍軍は城壁を越える可能性高し!」


 この報告に議場は騒然とするが、摂政サーマインは玉座のリリア王の隣で再び声を放った。


「静粛に! 魔導大臣はただちに聖天の歯車を稼働させるべく準備を始めなさい! 国防大臣は城壁に兵を集め、敵を迎え撃ってください! 王国の興廃はこの一戦にあるのです!」




 上空から降下して加速した巨大な翼の翼竜は、その両脚の爪で歩兵竜を引っかけ、羽ばたいて一気に上昇すると、城塞の上で足を放した。次々に放り込まれる歩兵竜と最前線で闘うのは、黒曜の騎士団と白銀の剣士団。他の一般兵卒では足手まといにしかならない。


 火炎魔法を中心として用いる黒曜の騎士団は、歩兵竜を内側から燃やし、光魔法を中心として用いる白銀の剣士団は、抗魔法鎧をものともせず歩兵竜を切り刻む。


 しかし元より多勢に無勢、数に勝る歩兵竜はじわじわと押し込んでくる。しかも、だ。いま城塞の上には通常の歩兵竜の三倍近い体格の大型歩兵竜が立ち、全体に指示を飛ばすかのように吼えている。実際、この大型が現れて以後、歩兵竜は陣形を形成して攻めるようになっていた。おそらく指揮官とみて間違いはあるまい。


 白銀の剣士団の団長レオミス・ケングリアは一瞬で三匹の歩兵竜を屠ると、黒曜の騎士団長のゼバーマン・ザンドリアに向かって叫んだ。


「ゼバーマン殿、ここは任せた! 私はアレを斬る!」


「なっ、レオミス! 無茶をするな!」


 だがそんな声はもう聞こえない。レオミスは疾風の速度で階段を駆け上がると、大型歩兵竜に対し、一気に斬りかかった。けれどその渾身の一撃を大型歩兵竜の緑色の鎧は跳ね返す。合わせて繰り出される巨大な口による攻撃を、レオミスはかろうじてかわした。


 この大型、ただの指揮官ではない。体が大きいだけではなく、飛行可能な翼まで持っている。おそらく歴戦の強者つわものだ。しかもこれがまとう緑色の抗魔法鎧は、聖剣ソロンシードですら切り裂けない。レオミスに戦慄が走る。


 と、そのとき。


 レオミスは顔の左側に気配を感じた。目には見えない、だがおぼろげな光の塊のようにも思える小さな気配。その気配から声が聞こえる。


「コイツは厄介だ。魔法攻撃がほぼ使えない。かと言って力比べならゼバーマンの怪力でもかなわないだろう。さあどうするんだろうね、レオミス」


「リュッテ、いまはおまえの相手をしている余裕はない。味方をする気がないなら精霊は引っ込んでいろ」


「心外だなあ。ボクは君にソロンシードを扱える力を与えたんだよ、味方に決まってるじゃないか。それとももっと力がほしいかい。だったら改めて契約が必要になるけど」


「いちいちうるさい、いまは……」


 目の前の大型歩兵竜が、不意に後ろを向いた。尾の一撃が来る、レオミスはすかさず後退したが、敵の回転は止まらない。尾をかわしても次に牙の並んだ口が迫り、それをかわしてもまた尾がやって来る。レオミスは攻め手を見つけられずに一方的に後退するしかなかった。


 だが。


 突然突き上げるような地鳴りが響き渡り、サンリーハムの城壁を取り囲むように白い光のカーテンがかかる。聖天の歯車が起動したのだ。両足が下に押しつけられる感覚。王国サンリーハムはいま、王宮や街を取り囲む城塞ごと上昇し、宙に浮いていた。これが第一段階。


 そして次の段階はすぐにやって来る。ここから東方の公海上に瞬時に転移するのだ。そうなれば、もう魔龍の軍団も簡単にはサンリーハムを攻撃できない。形勢は逆転するだろう。目の前の大型歩兵竜も事態の変化に追いつけないのか、動揺を隠せないでいる。


 上空が七色に輝き、その光が歪み、混じり合って行く。転移が始まった。あと自分のなすべきことは、この大型歩兵竜を何とか倒すことだけ。レオミスは息を整え、聖剣ソロンシードに己の魔力を込めた。その瞬間である、サンリーハムに横殴りの大きな衝撃が加わり、城壁の上にいたレオミスと大型歩兵竜は外側に落下してしまった。


 もちろん、この程度で慌てるレオミスではない。ただちに浮遊魔法を念じ、眼下の雲の中に下りて行く。魔力を大量に消費すれば城塞の上まで上昇することも可能だが、どうせサンリーハムは海面まで降下する。あの大型歩兵竜がどうなったかもわからないいま、魔力の消費は抑えたい。


 しかし雲を抜けて降下を続けるレオミスの目に映ったのは、青い海面ではなかった。


「何だこれは……街、だと」




 上空でドォンと大きな音がしたのは、根木一平太が弁当を食べ終わったのと同時だった。休憩を終えた他の作業員たちが空を見上げる。


「何や、飛行機でもぶつかったか?」


「んなアホな。雷やろ」


 しかし音はそれっきり。雲に覆われた空からは他に何らの便りもなし。


「よっしゃ仕事や仕事! 働くぞ!」


 その声に皆が振り返れば、一平太がバックホーのエンジンをかけていた。


「あいつだけはホンマ元気やの」


「まあええがな。わしらも仕事せんとな」


 作業員はそれぞれ持ち場に戻り、午後の仕事に取りかかった。


 だがこのとき、すでに異変は始まっていたのである。




 天にまっすぐ伸びる直線的で四角い建物。それが数え切れないほど建っている。誰も彼も見慣れない服装で多くの人間が行き交っているが、レオミスに対し一瞬怪訝な視線を送りはするものの、すぐ無関心に通り過ぎる。道は黒く、金属の箱に乗せられた人間が恐ろしい速さで移動している。


 何だここは。いったいどこの国なのだ。東方にこんな国があると聞いた覚えはない。いや、それはいま考えるべきことではないのかも知れない。問題はあの大型歩兵竜だ。あれがもしこの街のどこかに降りたのだとすれば。


「すみません、お話よろしいですか」


 振り返れば濃紺の軍服のような物を着た男が二人立っている。しかし意外だ。こんな見たことも聞いたこともない地で言葉が通じるとは。


「何でしょうか」


 レオミスの返答に、二人の男は少し安心したような顔を見せた。目の鋭さは変わっていなかったが。


「ああ良かった。日本語が通じなかったらどうしようかと思ってたんですが」


 ニホンゴ? この国の言葉のことだろうか。いぶかしむレオミスに、男たちは言葉を続ける。


「大阪へは何しに? コスプレ大会か何か?」


「あ、その腰の剣、よくできてますね。ちょっと見せていただいてもいいですか」


 レオミスは言われるままに聖剣ソロンシードを鞘ごと渡す。男の一人が受け取り、けれどあまりの重さに前のめりに倒れそうになった。


「ちょ、な、何だこれ」


「おい、何して……何だ、この」


 二人がかりで何とか持ち上げようとするものの、地面に落とさないだけで精一杯。そこにレオミスが手を伸ばし、ソロンシードを軽々と持ち上げた。


「聖剣は持ち主以外の手には余る。諸君らに取り扱うのは無理だ」


 剣を腰に戻すと、唖然としている二人の男にレオミスはこう言った。


「見たところ諸君らは治安機関に所属しているのだろう。ならば次は拠点に連行し尋問じんもんを行うはずだ。良かろう、連れて行きたまえ。私も諸君らにたずねたいことがある」

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