バックホー・ヒーロー!

柚緒駆

第1話 魔法王国サンリーハム

「北側正門正面に『歩兵竜』出現! その数、一万以上!」


 魔法王国サンリーハムはいま、存亡の危機に立っていた。


 城塞も国土も小さいにも関わらず、強大な魔力と輝きを放たんばかりの威厳によって周辺国からの尊敬を集めていた先代国王グラン・ダルト・サンリーハムの崩御から半年、後継者として選ばれたのは十二歳の孫娘リリアであったが、その即位直後から魔龍の侵攻が始まったのだ。


 魔龍軍団の主力は人間ほどの体高に抗魔法効果のある黄金の鎧をまとった、肉食恐竜型二足歩行の歩兵竜。雲霞うんかの如く押し寄せる圧倒的な数に任せたその進撃に対し、サンリーハムの国軍は健闘を見せたものの後退を余儀なくされた。


 何しろ歩兵竜のまとう黄金の鎧の抗魔法効果は絶大で、ただの兵が使うレベルの魔法ではかすり傷さえ与えられない。かと言って物理的なスピードやパワーでは並みの人間が歩兵竜にかなう訳もない。


 これに対抗するためにサンリーハムは最高レベルの魔道士を集め、魔法兵器を持ち出した。人間相手なら一国の陸軍兵力を一撃で灰燼かいじんに帰すこの超兵器も、歩兵竜の軍勢の前には足を止めるだけで精一杯。しかも魔道士の魔力は無尽蔵ではないのだ、そう続けて何発も撃てるはずもなかった。


 そしていま、サンリーハムは城塞の門をすべて閉じ、籠城ろうじょうの構えを見せている。いかに強烈な破壊力を誇る歩兵竜の群れであるとは言え、人間のように手で道具を使うことはできない。城塞の壁を乗り越えてくることはなかろう、という王室の判断であった。


「敵歩兵竜の様子はどうか」


 国防大臣サヘエ・サヘエは豊かな白ひげに覆われた口元を苦悶くもんに歪め、自らの禿頭とくとうを何度も叩いた。その前に立つ若い騎士は緊張の面持ちでこう答える。


「はっ、城塞の周囲はいま歩兵竜に囲まれ立錐りっすいの余地もございません。ただ、敵も打つ手がなく苛立っている様子は見られると報告にあります」


「わかった。持ち場に戻りたまえ」


「はっ」


 若い騎士が駆けて行く背を見送りながら、サヘエ・サヘエの意識はその視界の中にはなかった。


「多少の時間的猶予は確保された。ではこの先、我らはどうすべきなのだろう。貴公ら二人の意見を聞きたい」


 サヘエ・サヘエが振り返れば、そこには黒い鎧をまとった偉丈夫と、白い鎧をまとった女剣士が立っている。


 黒い偉丈夫は逆立った黒い髪が天をきそうな大柄な男で、鋭い目でサヘエ・サヘエを見下ろし、手にした異形の槍『魔槍まそうバザラス』の石突いしづきで大理石の床を腹立たしげに強く叩いた。


「どうすべきもこうすべきもない。これは我がサンリーハムだけの問題ではござりますまい。人類と魔龍との殲滅戦せんめつせんが開始されているのですぞ。いかなる手段を用いても周辺諸国を巻き込み、あの歩兵竜どもを皆殺しにする以外の選択肢などあるとお思いか」


 サヘエ・サヘエは腕を組んで考える。


「ふうむ、それは黒曜の騎士団長ゼバーマン・ザンドリアとしての公式の意見と受け取って良いのだね」


「無論であります」


 サヘエ・サヘエは白い鎧をまとう女剣士に顔を向ける。


「ならば白銀の剣士団長レオミス・ケングリアにたずねる。貴公はこの先、我らはどうすべきと考えているか」


 女剣士団長と言いながら、その体は筋骨隆々とは言えない。簡素な白い鎧に包まれているのは、まだ成人になったばかりの華奢きゃしゃな肉体に見える。しかし腰まで伸びた真っ白な髪と色素の薄い青い瞳を、腰にいた聖剣『ソロンシード』の放つオーラが燦然さんぜんと輝かせている。


 レオミスは言った。


「私も理想論的にはゼバーマン殿の意見に賛成です。ただし、いまの我が国がどう要請しようと、飛び火を恐れる周辺国は動きますまい。我が国は独力でこの難局を乗り切らねばなりません」


「そんな手段があると?」


 サヘエ・サヘエの疑問ももっともである。魔法兵器まで持ちだしてもらちの明かない相手に対して、これ以上何をどうすればいいのか。


 しかしこの疑問にレオミスは静かにうなずいた。


「リリア王にご決断いただき、『聖天の歯車』を稼働していただきます」


「聖天の歯車だと! 貴公はまさか」


 驚いたのはサヘエ・サヘエだけではない。黒曜の騎士団長ゼバーマンも怒鳴り声を上げた。


「貴様、逃げると言うのか!」


 二人から詰め寄られたレオミスだが、動揺する気配はない。


「一旦戦略的に撤退し、捲土重来けんどちょうらいを期すのが得策であると考えます」


 これにゼバーマンは怒りを表した。


「逃げるだと! この国土を捨てて逃げるだと! まったく話にならん!」


 だがサヘエ・サヘエは、まったく話にならないとまでは考えなかったようだ。


「逃げるとして、いったいどこに逃げるつもりなのかね」


 レオミスは以前から考えていたのだろう、落ち着いた口調ですらすらと答えた。


「東方の公海上であれば周辺国との軋轢も生まず、反撃の力を蓄えるまでの時間は稼げるのではないかと」


「なるほど」


 納得しそうなサヘエ・サヘエを見てゼバーマンはさらに怒る。


「無理だ無理だ! 国は一度捨てたら終わりなんだよ! 王宮だけ残したところで何になる! 竜に食われて滅びるのと結果は変わらんのだ! 目を覚ましてくれ大臣!」


「いや」


 サヘエ・サヘエは決然と顔を上げた。


「我らにもはや時間も選択肢も残されていない。大至急リリア王に進言しよう」



◇ ◇ ◇



 大阪府内某所のターミナル駅を背中に、駅前の再開発工事は急ピッチで進んでいた。しかしいまは昼の休憩時間。作業員たちはみな夏の太陽を避け、日陰に座って食事をしている。はずなのだが。


 一台の油圧ショベル、いわゆるバックホーやユンボと呼ばれる機械がまだ動いていた。地面に空いた穴に砂を落としている。


 運転しているのは背はさほど高くないものの、よく日に焼けた筋肉質でガッチリした若い男。黄色いヘルメットの下には短く刈った頭に額のヘッドバンドで汗を止め、ノースリーブのシャツにカーゴパンツ姿。よくいる典型的な土木作業員に見えた。


 そこにヘルメットにベージュの作業服姿の若い女が、バックホーの動きに巻き込まれないよう距離を取りながら近づいて声をかけた。


一平太いっぺいたさん、休憩時間ですよ! 休むのも仕事のうちなんですけど!」


 しかし一平太と呼ばれた男はバックホーを止めずにこう返した。


「悪いな監督さん! これ一区切りついたら休むから!」


「いや、そんなん言われても」


 そこに背後の日陰から、笑い声が起こる。


「無理無理、無理だっせ監督さん。一平太は残業なしで即帰することしか考えてへんのやから」


「そうそう、留美ちゃん幼稚園に迎えに行かないかんしな、残業回避するためやったら昼の休憩なんぞいらんっちゅうヤツなのよ」


 これに現場監督は目を丸くする。


「え、一平太さんてシングルファーザーなんですか?」


「いまどきシングルファーザーぐらいで驚いたらアカンわ」


「そうそう、多様性、多様性の時代やから」


 とは言われても、監督だって困るのだ。


「それでも休憩時間に休憩してくれへんかったら、監督の責任問題になるんですよぉ、ねえ一平太さん」


「わかった、あと五分! あと五分で区切りつけるから!」


 あと五分で作業をやめても、昼食の時間は十五分ほどしか残されていない。しかしそこに後悔など感じるはずもない。一平太にとって留美は己の命より大切な宝物だ。その笑顔に一分一秒でも早く触れるためなら、肉体の疲れなどどうでもいいレベルの話なのである。

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