第22話 ロボット教習所の七不思議
広大な埋立地に建てられた教習所の建物は、吹きすさぶ海風に震えていた。春が近いとは言え、夜がふけるとまだまだ寒い。ひかりたちの部屋にも、大きめの窓ガラスを通して、夜の寒さが忍び込んでくる。
奈々がブルっとひとつ、身震いをした。
「遠野さん、ちょっと寒くない?」
奈々は、とてもが付くほどの寒がりである。一方のひかりは逆に、とてもが付くほどの暑がりだ。
「ええ〜?!ちょうどいいよ〜」
毎度のことだが、エアコンの温度設定は、ひかりと奈々の戦いだった。奈々が設定温度を上げると、ひかりがこっそりと下げる。その繰り返しだ。
「奈々ちゃんは寒がりさんだもんなぁ……しょうがないから1度だけ上げてあげる!」
ひかりがニッコリと笑ってエアコンのリモコンを手にする。
「1度だけなの?!」
ひかりの操作で、エアコンからピッと音が鳴った。
そんな二人だが、一日に何度も繰り広げられるエアコンのリモコン戦争と違って、テレビのチャンネル争いは無い。2人とも、あまりテレビを見る習慣が無いからだ。
ひかりはラジオを聞くのが好きだった。電波を受信するラジオではなく、スマホのアプリを使っている。ネットさえつながれば、どこにいても、どの地方の放送でも聞けるスマホのアプリはひかりの宝物だ。機械が苦手のひかりも、このアプリだけは、兄に教えてもらってちゃんと使えるようになっている。全国の様々な放送局の番組にポエムを送るのが、ひかりの趣味になっていた。まだ一度も採用されたことは無いが。
「ところで……」
エアコン戦争を諦めた奈々がひかりに聞いた。
「遠野さんはどう思う?両津くんが言ってたこと」
ひかりが首をかしげる。
「この教習所には不思議があるってこと」
ああそれか、と言う顔をするひかり。
「私にはよく分からないけど、きっと、ちゃんとした理由があるんじゃないかな」
「どうしてそう思うの?」
奈々がひかりの顔を見つめる。
「えーと、陸奥教官、怒るととっても怖いけど……奈々ちゃんみたいに」
「それはもういいの!」
奈々の眉毛がちょっと三角になる。
「でも、本当はとっても優しくて、信頼できる人だと思うから、かな」
奈々はハッとする。この子は純粋に人を信じることができるんだ……いい子だな。そんな風に思い、少しだけ頬が赤くなる。
「あれ?奈々ちゃん、顔赤くない?」
「な、なんでもないわよ」
「1度しか上げてないのに暑くなっちゃった?」
奈々がかぶりを振る。
「なんでもないって言ってるでしょ!」
「じゃあ1度下げちゃおっと」
ひかりがリモコンに手を伸ばす。もうあきらめたとばかりに、奈々がため息をもらした。
「それより……実は私も、ちょっと不思議に思ってることがあるの」
奈々のいつにない真剣な声音に、ひかりがリモコンに伸ばした手を止めた。
「まずはあなたのこと……遠野さんの操縦技術、私達と比べるとあんまり上手ではないわよね」
「そんなに気を使わなくていいよ、私とっても下手っぴだよ」
なぜか嬉しそうに言うひかり。
「なのに、どうして私達と同じA級ライセンスコースなの?」
「うーん……それは私も不思議なんだぁ。ニコニコロボット教習所七不思議のひとつに違いないよ、ぜったい」
またひかりが嬉しそうになる。
「それだけじゃないわ。マリエちゃんのことだけど、彼女のこと授業で見たでしょ?」
「うん」
「彼女の実力は、すでにA級ライセンスを超えてると思うの。それなのに、わざわざアムステルダム校からここへ転入して来た……何かあるとしか思えないわ」
うーんと唸るひかり。
「きっとそれは、ニコニコロボット教習所七不思議の2つ目だよ!」
奈々は、さっきこの子はいい子だ、と思ったことを反省していた。
薄暗い部屋に、いくつもの表示モニターの光がちらついている。ここは教習所の地下に作られた研究用のラボだ。殺風景でなんの装飾もないその部屋には、所せましと様々な機械やコンピュータ、測定器などが並んでいる。
陸奥はひとり、その中のひとつの画面をじっと見つめていた。
「入ってもいいかしら?」
入り口の自動ドアがスッと開くと、そこには久慈の姿があった。
「こんな時間まで熱心ね」
久慈は陸奥が座っているすぐそばまでやって来る。
「これをどう思う?」
陸奥が指し示したディスプレイには、様々なデータやグラフが表示されている。
「教習生の上位十人のデータだ」
グラフには「共鳴率」、データには「適合率」の文字が見える。
「なるほど……あなたが熱中するわけね」
トップはマリエ・フランデレン、二番目に遠野ひかり、三番目は泉崎奈々。そこから下は、ほぼ同率となっていた。
「神を目覚めさせるのは誰かしらね」
陸奥はふっと息を吐くと久慈の方に向き直る。
「ロボットの暴走事故だけど、世界全土への広がり方が我々の予想よりずいぶんと早い」
「アムステルダムでも増加しているわ」
二人は暗い眼差しで見つめ合った。
「間に合えばいいんだが」
「あまり根を詰めないでね……」
そう言って離れようとする久慈の手を、陸奥がすっと取る。
「おかえり、彩香」
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