第20話 感染
ドクターの研究室に、重い沈黙が続いていた。ディスプレイの中では、まるで英語のXのような形のものが複数、生きているかのようにうごめいている。
ふと正明が目を凝らした。
「あれ?これって…増えてません?」
そんな言葉に、ドクターが大きなため息をもらした。
「そうなんですよ。この素粒子、自分で動き、光や放射線など外部からの刺激に反応し、そして増殖している」
ラボの三人は驚きのあまり、言葉を失った。
「まるで生物……に見えないかね?」
ディスプレイをちょっと怖い顔で見つめていた船長は、三人に顔を向けた。
「ラボのみんなはもちろん、宇宙病のことは知っているね?」
「はい、宇宙へ出るものは全員、感染対策を心がけることになっていますから」
そんなあかりに、結菜と正明もコクコクとうなずく。そして正明が続ける。
「発生率はそんなに高くないですが、けっこう怖い病気だって聞いてます」
そう言いながら結菜の顔を見る。
「確か、宇宙病に感染すると、次第に意識が混濁してきて、自分でやっていることが分からなくなる……そんな感じでしたっけ?」
あかりがうなづく。
「そうね。まだ原因が不明で治療法も確立していない、恐ろしい感染症よ」
その時ドクターが、袴田素粒子が表示されている隣のディスプレイに向けて、PADを操作した。
「あ、でんでんむしだ!」
正明が場違いに嬉しそうな声音で言った。結菜も、少し表情が緩んでいる。だが、ドクターの表情は厳しいままだ。
「ロイコクロリディウムというものを知っていますか?」
ラボの三人が首を横に振る。
「カタツムリのツノの部分に寄生する寄生虫です」
ディスプレイのカタツムリがアップになる。
「きゃっ!」
「うげ!」
思わず悲鳴を上げてしまう結菜と正明。カタツムリの半透明なツノの中で、まだら模様で色とりどりの何かが大きく動いていたからだ。
「こいつはこんな風に、カタツムリの体内で派手な動きをします。鳥をカタツムリに誘っているのです。やってきた鳥がカタツムリを食べると、寄生虫は鳥に寄生することになります。こいつは鳥の体内で卵を産み、卵は鳥の糞と共に排出され…その糞をカタツムリが食べることで、再びカタツムリに寄生……その循環をくりかえすのです」
余程気持ちが悪いのか、結菜も正明も手を口に当てている。
「ロイコクロリディウムに寄生されたカタツムリは、運動ニューロンがハッキングされて、まるでゾンビのようになってしまいます。カタツムリは自分の意思で自分を動かすことができなくなり、鳥に食べられやすい行動をとります。意識を乗っ取られてしまうのですよ」
「そんな…でも、そんなことをぐるぐるやって、なんの意味があるんですか?!」
正明の疑問は当然だ。結菜もそう思っていた。
「いえいえ、生命の営みなんてこんなものですよ。食物連鎖だって、しっかりとした輪によってぐるぐる回ることで成り立っていますから。問題はそこじゃないんです」
ドクターは、少し間を開けて三人を見渡した。
「先程遠野さんが原因不明だと言った宇宙病ですが、原因はこの素粒子なんですよ」
三人を今日一番の驚きが襲っていた。
「でも、宇宙病は人間の病気ですよね?」
とまどうあかりに、ドクターの説明が続く。
「もちろんそうです。いえ、私達もそう思っていたのですが……」
そこに館山船長の声が割り込んだ。
「実はね、君たちだけでなくほとんどの乗組員が知らないことがあるんだ……このハーフムーンの任務は?」
あかりが答える。
「衛星カリストの調査です」
「うむ、だがね、実はもうひとつ極秘の任務がある。これ以上は隠しておけない状況なので、私の責任で話させてもらうね」
船長の話はこうだ。宇宙開発が進みつつあるこの時代、最大の懸念は宇宙病である。あまり発生率は高くはないものの、いざ感染すると大事故になりかねない。そこで、全世界から選ばれた科学者と医学者たちが極秘チームを結成、予算や機材に糸目をつけずに研究している。その結果、宇宙病の原因が、例の袴田素粒子であることが判明した。
「このうじょうじょ動いてるヤツが人間の脳に寄生して、意識を乗っ取ってるってことですか?」
正明の声は少し震えている。船長はうなづいてから先を続けた。
「そして大変な努力の末に、チームは袴田素粒子の感染を防ぐワクチンを開発した。その効き目がどうなのか、感染したとしてもどの程度症状を抑えられるのか、その臨床試験こそ、この船のもうひとつの任務なんだ」
「そう言えば、乗船前に全員何かのワクチン打ちましたよね?」
「インフルエンザかと思ってた」
結菜と正明が自分の肩近くの腕をさする。
「私達は実験台ですか」
あかりの声は厳しかった。
「国連の科学チームによって、人類の宇宙進出には不可欠なことだと判断された」
「だから、経過観察のために毎週健康診断していたんですね」
「あっ!ボク、今週の健康診断行ってないです!」
しっ!結菜が指を唇の前に立てて正明を睨む。
船長が困ったように少し上方に目をやる。
「それだけのはずだったんだよ」
「それだけとは?」
「まさかその素粒子が、人間だけでなく機械にまで感染するとは、私達も全く予想していなかった。だからこうして君たち三人に、全てを話すことにしたんだ」
ドクターがキリッとした表情で三人と向かい合う。
「人間の方はこれまで通り、私を中心に医療ラボのチームで対応します」
「私達は?」
船長が、重苦しい声で言った。
「機械への感染について、調べてもらいたい」
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