第2話


 翌日、母親はユユを幼稚園に送ると、その後本当に除霊について調べ始めた。


「んー、とりあえず部屋の空気を入れ替えてお掃除して、塩を盛ればいいのね!」


 母親は汚れた食器類を食洗器にぶち込み、家の窓を開け放ち、小皿にザーッと塩を流し入れ、それをキッチンカウンターに置いた。


「これでいいでしょ!」


 確かに母親のやったことで、私の居心地の良さは半減した。

 だが塩の盛り方は適当だし、部屋の空気の入れ替えも外が暑いせいか十数分程度で終わり、流しには時間と共にまた新たな使用済みの食器が積み重ねられていった。

 結果的に私がその場を離れるより前に、その場は私にとって居心地のよい場所に戻り、私がその家を離れることはなかった。


 別の場所に移動するのだって労力なのだ。もっと劇的に居心地が悪くならないかぎりは無理……。面倒くさくて動けない。


 そしてまた夜になり、母親はリビングでストレッチとヨガを始めた。

 それをまたボーっと見つめる。私がここにいることなんて、母親は全く気にしていない様子だ。子供もその父親もこの部屋には霊がいると言っていたのに、少しは怖くならないのだろうか。

 

 そこに父親がやってきた。


「やっぱり俺もなにかいるのを感じるからさ、神社にお祓いでもお願いしてみたほうがいいかな?」

「ええ? でも家まで来てお祓いしてもらうなんて、結構お金がかかるんじゃない?」

「うーん、まあこのサイトには五千円から一万円とかって書いてあるけどね。霊能力者に頼むともっとかかるみたいだけど……」


 母親は渋い顔をしながらストレッチを続けている。明らかに、そんなことにお金をかけたくない、といった様子だ。幽霊が見えない彼女にとっては無駄金でしかないのだろう。


「あのねぇ、幽霊について調べた時にどこかのサイトで見たんだけど、超常現象を体験したと思い込む人には右脳派が多いんだって。右脳は顔認識や創造的思考を司っているから、見えたものを幽霊に誤変換しやすいらしいの」

「へえ……」

「あなたもユユも、絵を描くのが好きだしどちらかと言えば右脳派でしょう? ユユはおばけの目がオレンジ色だ、とか言っていたけど、きっとキッチンの冷蔵庫か炊飯器のランプが光っていたのをおばけの顔だと錯覚しちゃったんじゃない?」

「うーん」


 父親はあまり納得できていない様子だったが、少し考えてから言った。


「まあでも、もうしばらく様子を見るか」


 その答えに母親はほっとしたようにうなずいた。


「そうしようよ。そういえば前に友達の子供がユユくらいの年頃の時、部屋におばけがいるとか騒いでいた時期があったのよ。このくらいの年頃だとそういう幻覚が見えやすいとか、きっとあるんでしょ」


 母親がそう結論付けたため、父親はとりあえずお祓いをすることは見送ることにしたようだった。



 夜になり、今日もまた母親はユユとお風呂に入る。


「ねえママ、ぴゅーぴゅるるーやって。面白いから」

「ああ、いいわよ」


 ユユを泡だらけにしながら、また母親は風呂場で口笛を鳴らした。

 そんなことをして、また別の幽霊を呼び込まないといいけれど……。


 気が付くといつのまにか、私に隣には男性の幽霊が立っていた。


「あ……」


 ほら言わんこっちゃない。幽霊がまた増えてしまったじゃないか。

 元々武士だったのだろうか。ちょんまげ頭だし、着物を着ている。


 ずっと無言で隣り合っているのも気まずい。やはり挨拶くらいしておくべきだろう。

「こ、こんにちは……」


 勇気を出してそう声をかけたが、武士はこちらに振り向くこともなく、腕組みをしてユユたちを睨みつけながら言った。


「風呂場で口笛を鳴らすなぞ、不用心にもほどがある」

「で、ですよね……」


 私はそう答えたが、それで武士との会話は終わってしまった。


 お、怒っているのかな?

 幽霊になってまでそんなこと気にしなくても、という感じかもしれないが、幽霊だからってなにも気にせず自由気ままに存在していられるわけでもない。


 ああ、ここのところ一人でボーっとしていられて気楽で良かったのに。これからはこの武士と二人で気まずい時間を過ごさなくちゃならないのか。


 一気に気が重くなった。



 夜になり、いつも通り母親がストレッチとヨガを始める。

 今日はその様子を、武士と二人でボーっと見つめる。


 そして母親はパソコンを立ち上げ、またバラエティ番組を見始めた。前に見ていた怪談破壊チャレンジの続きを見るようだ。

 

≪その時、ガチャリと玄関ドアが開いて隙間から手が……≫

≪いやいや、ドアに鍵かけてへんかったんかーい!≫


 すると隣で一緒に番組を眺めていた武士が笑い出した。


「フハハハハ! 怪談にそのツッコミはなかろう! フハハハハハ!」


 私はびっくりして武士を見つめた。母親は霊感がないので武士の笑い声も聞こえていない様子だ。


「そんな、笑います?」


 武士にたずねると、武士は涙目になりながら言った。


「逆におぬし、なぜこれを見て笑わずにいられる?」

「いや、だって私、幽霊ですし……」


 生きている人間の生活を、ただ見ていることしかできない幽霊の生活。

 その生活が長引く中で、私は気づけば笑うことを忘れていた。

 すべての感情が薄まって、ただ半分眠ったようにぼーっとたたずむだけの存在になっていた。

 こんな風に人を傍観しているだけの私がどうしてここに存在しているのか、自分でもよくわからなかった。


「幽霊が楽しんでいたってよかろう」


 武士にそう言われ、なんだか気持ちが明るくなってきた。


「確かに、そうですね」

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