異国の法案がどんなに良くても……
……屋敷から出ることなく、10日が過ぎたある日の夕暮れ。
その日、どこかから帰ってきたマゼロン侯爵は、一室の机に大量の羊皮紙を広げた。
「私は……貴族議員になることに決めました」
「侯爵様、決断されたのですね」
「はい。我々の後ろには、領地の民がいる。マゼロンの領地には農民が非常に多い。今起きている王国各地での混乱には、農民も数多く参加し、また巻き込まれています。それをなんとかして、収束に持ち込むためにも……話し合いの場に立たなければ、と思いました」
その言葉は、重い。
「これまでは、王家に近い貴族たちと対立したときに、闇討ちを受けそうになったりということもあったのですが……議会の場では、公平な議論ができる、と信じましょう」
「そうですね……とすると、この書類は?」
「これは、現在議会や、革命の中心勢力の間で議論になっている事柄だそうです。皆さんも、もし良かったら目を通してみてください」
お父様や兄に混じって、わたしも机の上を覗いてみる。
『王家への徴税の是非』
『議会の定数変更、平民議員の増員』
『商人による不当な価格吊り上げへの対策』
『隣国の情勢と逃亡貴族の扱い』
……どうやら、問題は山積みらしい。
『ベース法の導入によりもたらされる効果』
……ん?
他の書類とは少し毛色の違う、文章よりも図が多い羊皮紙の束を手に取る。
『現在、ベルールリアン王国の内部では地方ごと、あるいは街ごとに異なる単位が使われており、計算による変換に時間と手間がかかっている。特に規模の小さい商会や農民へのしわ寄せが大きく、知らず知らずのうちに不利益を被っている場合も少なくない』
ああそういえば、とわたしは思い返す。
この世界に来てから、読む本読む本、中に書いてある単位が違うのだ。
そもそもメートルやグラムなんかでは無いのだが、同じ長さや重さを表してるのに、単位が違う。
部屋の広さが何畳とか言われてもいまいち実感がわかないが、あれが全ての単位で起きているのだ。
だからついつい数字に関する部分は、本を読んでても読み飛ばしてしまう。
……で、国中に権力を示すことも兼ねて、そのバラバラな単位を統一する、と書類では言っているのだ。
そんなことできるのかと思うが、どうやら中央山脈を挟んで西にある国、フランベネイル王国で実際に法案として成立している『ベース法』というのを真似て導入するらしい。
えっと……まずは日時計で正確に一日の時間を測って……?
「おっ、アリアは何を読んでるんだ?」
わたしがわからないなりに頑張って読もうとしていると、兄が目を向けてきた。
「ああ、これか。ベース法、画期的だよな」
「やっぱりすごいの?」
「正直、実現は困難だと思うが……うまく行けば、魔法大学校なんかは歓迎だろう。実験に使う素材や、必要な予算の計算にかかる時間が大きく減る」
「そんなに良いなら、導入できないのかしら」
……やって損は無いように聞こえるのだが。
「慣れ親しんだ単位が変わるわけだからな。仮に導入ができたとしても、それが人々の間に根付くまでどれだけかかるか……」
言われてみればそうだ。突然メートルやグラムを使うな、と言われるということなのだから。
――これって、多分他のことに関しても同じはずよね。
……王都で決まったことが国の隅々にまで伝わるまで、どれだけ時間がかかるのか。
例えば、ファイエール子爵領からこの王都まで馬車で8日かかっている。もっと国境に近いところ、また山に近い方へ行けば、馬車で半月近くかかるところもある。
まず情報が移動するのにそれだけかかり、そこから人々が慣れるまでまた時間がかかる。
伝書鳩を使えばもっと速い。しかしやはり人が直接行き来する方が、伝わる情報量は段違いだ。
「大変なのね……」
きっとここにある他の書類に書かれている内容も同様だろう。
誰しもが賛成するような素晴らしい内容だったとしても、すぐにどうにかなるものではない。
今はまだスタートラインにも立っていない……そんなクリスの言葉を思い出した。
「ああ。……ちなみに、ベース法の原案を考えたのは10才だか12才だかの女の子だそうだ。商会の娘だけど、ものすごく優秀らしい」
……12才?
「あくまで噂だけどな。もし本当なら、間違いなく天才だろう」
12才って言ったら、日本じゃまだ小学生だ。
今見ている書類に書かれた理論的な話は、どう見ても高校生レベル、それ以上に見えるのだけども。
日本で15年、割と真面目に学校に通ったわたしでもわからないところがある。もちろんアリアの今までの記憶にも全くない。
10倍ごとに名前が変わるのとか、センチ〇〇やキロ〇〇みたいでわかりやすいのだけど。
もしかして異世界でも理論的に突き詰めていくと、地球の人と同じ結論に至るのだろうか?
「すごい……」
「アリアも頑張れ」
兄がそう言って頭を撫でてくれるが、前世知識を合わせてもこれは無理な気がする。
「でも、これは絶対に導入しないと。ですよね、お父様」
「ん? ああ、それに関してはマゼロン侯爵も賛成の意思を示している。最も、農業に関連するところで言うと……」
お父様は手に持った書類を見せる。
「農民への対処ですか……」
「ああ。強硬手段に訴えるか、あくまで対話を重視するか……」
『農民の暴動に対する武力行使の是非』
今、全国で起こっている農民による略奪行為を、どう鎮めさせるか。
これをなんとかしないと、わたしたちは領地に帰ることすらままならない。
「私としては、武力行使には絶対反対です。そんなことをしたら、農民からの反感を買って、ずっと権力に対する不満がくすぶり続ける。そんな状況では、安定した政治など不可能だ」
マゼロン侯爵はきっぱりと言い放つ。
「明後日、早速議会の招集があります。農民との対話手段はあるということを訴えてくるつもりです」
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