彼を連れて帰りたい
「クリス!」
またふくらはぎを押さえたクリスにわたしは寄る。
クリスの両足は赤く染まり、血が染み出している。
「……ようやく追いついたぞ、逆賊め」
アルトル伯爵の声。
見ると、伯爵の顔は苦虫を噛み潰したかのよう。
「平民やエセ貴族の分際でわしを弄びよって……お前らからは今回の暴動についてじっくり話を聞かせてもらう。嫌だと言ったらどうなるかわかってるだろうな?」
「ふん。そのような高圧的な態度を取る貴族が大勢いたから、今回の革命が起こったんだ。わからないのか」
「なんだ。貴族が平民よりも上にいるのは当たり前だろう。その程度もわからないのか」
……貴族は平民よりも上。
でも、それが嫌だというたくさんの平民の手によって、今この状況ができている。
日本の学校でも習ったじゃないか。歴史上、身分が下の人々が起こした暴動や内乱はたくさんあるって。
その理由は、食料がないとか、生活できないとか、様々だっただろうけど。
わたしはこの世界に転生したとき、貴族特権に全力で乗っかる気だった。
でも、その特権は平民の上に成り立っているもの。
平民が嫌と言えば、それだって盤石ではない。
平民がいなかったら貴族の地位だって生まれてないのだ。
「そんなに平民が嫌だと言うのなら、生まれ変わることに期待するんだな。……おい、やってしまえ」
伯爵の言葉で再び、先程の四人の男がこちらにジリジリと近寄ってくる。
どうするか。
クリスは再び立ち上がろうとするが、また膝をついてうなだれる。正直もうまともに戦えそうにはない。
わたしはといえば、相変わらず両足が痛い。走って逃げたところで、すぐに追いつかれるのが目に見えている。
……もうダメなのか。
異世界転生したら、嫌味な貴族に捕まりましたとか、どんなオチを辿らせる気なのよ……
「アリアから離れろ!」
目を瞑ったその時、昨日ぶりの声がした。
すぐさま目を開けると、どこからか伸びた植物のツルが、四人の男に絡みついて動きを止めていた。
……魔法だ。その主は……
「……ええい、お前ファイエールの……」
「ポーレットだ。アリアを傷つけるなら、同じ貴族でも許さないぞ……」
「兄さん!」
「アリア、心配をかけたな。迎えに来たよ」
男たちや伯爵を挟んで向こうにいる兄は、わたしの方を向いてキザな顔で笑った。
「おい、何をしている! 早くあいつを抑えんか!」
「すみません、ただこれ、解いても解いても絡みついてきて……」
伯爵は男たちに指示を出そうとするが、複雑に絡まったツルは動きながら男たちを捕らえて離さない。
さすが、王国トップの魔法大学校に認められた兄の魔力の才能だ。
「じゃあ魔法を使えばよかろう!」
「しかし口を塞がれては詠唱も……」
「むむ、使えない奴め、なら私が直接……」
慌てた伯爵は、兄の方に向かって右腕を振り上げる。
その頭を、兄は落ちていた木箱で殴った。
「えっ……」
まさかの物理攻撃に、わたしは思わず声が出る。
「アリア様、ご無事ですか?」
それと同時に、もう一つ聞き馴染みのある声。
「アン!」
「良かった、とりあえず生きていて……」
アンはいつものメイド服ではなく、地味なフード付きのコートを着ていた。兄も同じだ。
きっと貴族が厳しい目に晒されている中で、わざとこの服装を選んだのだろう。
「アリア、今のうちに逃げるぞ」
「……お前ら、ファイエール子爵家の者か……?」
動けない男たちの間から近づいた兄と同時に、後ろで立ち上がれないクリスから声がした。
「そうだが、お前は何者だ。俺の妹に何をした」
兄は左手でクリスの肩をつかみ、右手で顔を上げさせる。
「大丈夫だ……アリアには、一切の危害を与えていな……い……」
クリスの声は徐々に小さくなり、最後には壁にもたれかかって、目を閉じてしまった。
「……クリス? クリス!」
わたしはクリスに近づいて軽く身体を揺する。しかし全く反応はない。
「クリスというのか、こいつは。アリア、こいつに何をされたんだ?」
「クリスには、その……」
「まあ良い。今はここから立ち去るのが最優先だ」
「……待って。なら、クリスも一緒に連れて行ってあげて」
反射的に、わたしはそう言っていた。
今まで見てきたクリスが、わたしにその言葉を言わせていた。
「何? アリア、本当にこいつに何を……」
わたしの言葉に、兄はつぶやいてもう一度クリスの方を見る。
「いや、そもそもこいつ、大丈夫なのか?」
「はい。おそらく疲労で力尽きてるだけでしょう。ただ、この足の傷の方は、早急な手当が必要ですね。あいにく、ポーレット様も私も治癒魔法は使えませんので……」
兄の問いに、クリスの身体に触って様子を確かめていたアンが答える。
そして、意外な言葉が出てきた。
「ポーレット様、私からもお願いします。この者は……悪者ではない、気がします」
「……そうなのか?」
「はい。少なくとも、アリア様は無事です。それが根拠です」
アンは、なぜかとても切ない目をして、そう兄に訴えかける。
「……アンも、アリアも言うならば良いだろう。俺はこの男を連れて行く。アンはアリアを頼む」
「ありがとう、兄さん」
クリスの肩を持つ兄。わたしはアンに手を握られ、また路地を歩き始めた。
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