平民と貴族
人混みを避けるため遠回りして10分ほど。
角を曲がったところで不意に、クリスの足がピタリと止まる。
「どうしたの?」
「……お前、悪いが一旦降りてくれ」
クリスは膝を落とす。
「……う、うん……」
何かがあるんだ。
そう思ってわたしは自分の足で地面に立つ。その途端、両足にピリリと痛みが走る。
それと、クリスとは異なる男の声がするのが同時だった。
「お前はなんだ……そこをどけ」
わたしとクリスが来た角の反対側から現れたのは、男が五人。
でも、中央の男だけ明らかに着飾って服に装飾がついており、周りの四人はそれを守っている、という形なのは明白だった。
「いや待て……お前、昨日第一要塞にいたな?」
「……そういうそちらは、アルトル伯爵か」
アルトル伯爵。……ええと、ファイエール子爵家同様、王国南部に領地を持つ貴族だったはずだ。
代々複数の宮殿貴族と関係が深く、ファイエール子爵家のような歴史の新しい家柄が増えることには不満を持っている、だったか。
「……なんだ、その目は。お前もわしを愚弄するのか? 貴族を困らせるのがそんなに楽しいのか?
「別にそんなことはない。ちょうどいい、アルトル家は要注意リストに入っている。今までの贅沢三昧のツケを払ってくれないか?」
クリスの目つきが、変わった気がした。
「ふん、それならこっちも、平民は平民らしく大人しくしてほしい、と言いたいところなのだが」
「残念だが、もうそれは不可能だ。あの熱狂ぶりを見ただろう? 王家騎士団でも、あれは手を付けられないぞ」
貴族の当主を前にしても、クリスは全く物怖じしない。
むしろ主導権を握ってるんじゃないか、と言わんばかり。
「……だが平民よ、今回はこちらにも大義名分というのがある。……そこにいる女、ファイエール子爵の娘だろう?」
突然名指しされ、わたしはどきりとする。
「昨日大聖堂で成人の儀に臨むところを見たからな。どさくさに紛れて貴族の子を誘拐とは……許されざる重罪も重罪だぞ、やれ」
アルトル伯爵がそう言うと同時に、周りを守っていた男の一人が何事か唱えた。
次の瞬間、クリスがわたしに覆いかぶさろうとして……
ドカン!
「うっ……」
クリスがふくらはぎを押さえた。
「ク……」
「大丈夫だ」
クリスは小声で言って立ち上がる。
多分今のは攻撃魔法、だと思う。黒い煙が一瞬見えたから、小さな爆発を起こすやつか。
「よし、囲め! おそらくこいつはそれなりに腕が立つやつだ、油断するな!」
アルトル伯爵の声で、四人の男がわたしとクリスを四方から囲んで、腰を落とし戦いの構えになる。
四対一。しかもクリスはたった今負傷した。
まずい。
……そう思うと、身体が勝手に反応していた。
痛みが伝わるより先に、わたしの足が、手が動いていた。
「ダメ! わたしは誘拐されてなんかいない。それに、この人はわたしに危害を与えていない!」
――思ったよりも、ずっと大きな声が出た。
条件反射で飛び出した声だけど、それは紛れもなくわたしの意思だった。
「お前、何を言ってるんだ……」
クリスが反応し、広げたわたしの右手をつかむ。
「でもクリス、あなた結構きついでしょう」
「じゃあお前は何ができるんだ、お前はまだ怪我人なんだぞ」
そうだ。
力を込めたわたしの両足が悲鳴を上げる。
考えてみれば、がれきに押しつぶされたのだ。
前世だったら、間違いなく入院してなければいけないような怪我のはず。
でも、その痛みがあってなお、何もしたくはなかった。
その感情が先に出てしまった。
「何を言ってるんだ娘、その男は貴族に反逆する不敬な大罪人だぞ」
「違う。……いや、違わないけど、少なくともクリスは、悪い人じゃない」
「お前……」
決して、この言葉はクリスが滅茶苦茶イケメンだから出てる言葉でないことを断っておく。
うん、多分そう。
「伯爵、どうします?」
「ふん、元より伝統の無い半分平民の成り上がり風情だ。娘も一緒に捕らえてしまえ」
その言葉で、再び取り巻きの四人の男がわたしとクリスにじりじりと寄ってくる。
「……お前、あんなこと言ったからには、何かあるんだろうな。魔法の才能でもあるのか?」
「そんなの無いわよ」
この世界に魔法や魔力があることを知ってから色々試したけど、できたのはジョウロのようにゆっくりと水を注いだりとか、扇風機の弱モードにも全然かなわないぐらいのそよ風を吹かせたりとか。
兄と違って、わたしには魔力の才能など無いらしい。
「クリスの方こそどうなの?」
「俺は魔法は苦手なんだ。第一できるんだったら、治癒魔法でとっととお前を回復させてる」
……じゃあ、打つ手なしじゃないの。
「……お前、じゃあなんであんなこと言ったんだ……」
「だって、クリスがきつそうだったから……」
わたしが何か言っても何もできないことはわかってたはずなんだけどな……
「……はあ。お前、走れるか?」
「そ、それは……」
今もすでに足が痛い。耐えきれるだろうか。
「最も、嫌でもそうしないとダメそうだが。俺が合図したら、全力で走れ」
そう言ってクリスは男の一人に視線を向ける。
その挑発するような目に、視線を向けられた男がたまらず飛びかかった。
次の瞬間、クリスの右手の拳が男のみぞおちに喰い込む。
男の身体が曲がるのと同時に、クリスの左手がわたしの右手をつかんだ。
「走れ!」
その途端、脱兎のごとく駆け出すクリスに引っ張られる。
痛がって動きが止まる男の脇をすり抜け、ぬかるみに足が取られそうになりながらもわたしは足を動かす。
痛い。
でも、これしかない。
後ろから走る音が聞こえる。
男たちはわたしたちを追ってきている。足を止めれば追いつかれてしまう。
それはダメだ、ということはもう体でわかっていた。
狭く曲がりくねった路地を、クリスに手を引かれながら走る。
「大通りに出て、人混みであいつらを撒くぞ」
振り返らず走るクリスに、もう疑いの目を向ける必要は無かった。
……この人は、本当にわたしを助けようとしているんだ。
ここまでの間に、わたしを捨てることはいくらでもできた。
でも、一度もそうしなかった。
不必要な暴力はしない……クリスの言う通りじゃないか。
クリスみたいな人がいるなら、この先貴族の地位が脅かされても、なんとかなりそう……
ドカン!
その瞬間、鈍い音とともにクリスが膝をついた。
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