第三話
楓姫は今日もかの公達を思い出しては、ぼんやりとしていた。
母君はさてどうしたものやらと考える。かの公達の名や素性は分かったが。なかなかに女人との関係は派手だとか聞いた。これでは、姫と婚姻しても上手くいくかどうか。何と言っても、姫は箱入り娘だし。世間知らずも良いところだ。
交野少将のような殿方には姫は物足りないやもしれない。仕方ないとも思うが。母君は姫にまた、届いた文を見せるのだった。
夜になり、楓姫は数日前と同じように簀子縁に出た。かの公達に会いたい一心だったが。いないかもしれない。それでも、一目会いたかった。
すると、あの時と同じように華やかながらもつんとくる香の薫りが鼻腔に入る。姫はすぐにかの公達だとわかった。そっと歩いていくと、かの公達が佇んでいた。
「……おや、あなたは。あの時の」
「ええ、覚えておいでかや?」
「覚えていますよ、楓の君」
公達はにっこりと笑う。姫はそれに見惚れてしまったが。自身の素性を明らかにしていない事にふと、気がついた。
「どうかしましたか?」
「……あの、あなた様の名を教えてはくださらぬかや?」
「私の名ですか、いいですよ」
姫が意を決して訊いたら、公達は割とすんなりと答える。
「私は世間では、交野少将と呼ばれています。左近少将を拝命していますね」
「交野様とおっしゃいますか、わらわは。楓というのは実名です」
「え、女房名ではなかったのですね。となると、あなたはこの邸に住まわれている大君ですか?」
姫は観念して肯いた。公達もとい、交野少将は驚いて二の句が継げない。
「……そうじゃ、わらわは左の大臣の一の姫。身分を隠していて、申し訳ないとは思うております」
「いや、それについては怒っていませんが。ただ、あまりに意外だったもので」
「意外ですかや?」
「ええ、あなたは私を警戒しなかった。ましてや、扇や袖で顔を隠しもしないし」
「それは、煩わしいだけじゃ。わらわは普段はもっとちゃんとしているぞえ」
楓姫はそれだけはと念押しする。交野少将はくすりと笑う。
「そうですか、姫。ちょっと、中に入ってもいいですか?」
「……無体な事をしないなら」
「わかりました、それは約束します」
少将は肯いた。姫は踵を返すと、彼を中へ案内する。簀子縁を渡り、廊下を曲がった。姫が自室に入ると少将も続いてきた。
「……こちらがわらわが使う部屋じゃ」
「ほう、ここが。姫、その。昨日にあなたの父君から婚姻の打診が来ました。それでこちらに参る事ができたのですが」
「そうかや、わかり申した。今夜からはわらわの元にあなたが来ても。誰も怪しまずにすむの」
姫が言うと、少将は熱っぽい目で見てくる。腕を不意に掴まれて姫は驚く。そっと引き寄せられて、気がついたら抱きしめられていた。しばらくはそのままでいたのだった。
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