心を揺さぶる話とは
詐欺とか脅しとかの話ではないです。念のため。現実でもネットでもメディアでも、無闇に不安を煽ってくる輩とは即刻距離を置くのが得策です。
タイトルにある「心を揺さぶる話」とは、もちろん創作物のことですね。
現在はミストリアンクエストの第3章の改稿と平行し、ミストリアンクエストの第2章の改稿およびミストリアンエイジの投稿を行なっているのですが、やはり息抜きの時間は必要でして。そしてカクヨムでの息抜きといえば、専ら皆さまの作品を拝読させていただくことになるわけです。
そこでいつも読ませていただいている作品を読むと、決まって同じ感情が込み上げてくるんですよね。そうです。「コメントを書きたい」という感情です。
まず大前提として、私が思う名作の条件とは「コメントがたくさん付いている作品」ですね。もちろん、これは絶対ではありませんが、語り始めると長くなりますので割愛いたします。詳しくはこちらで語っております。
https://kakuyomu.jp/works/16817330664120023812/episodes/16818093076930079811
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ええ、つまり私は〝名作〟を読ませていただいているわけなのですが――。本当になんと申しますか、一つのエピソードを読み終えるごとに、コメントを書き込みたい衝動に駆られてしまうんですよね。それもかなり長文のをしたためたくなるのです。
その衝動をグッと堪え、次のページを捲るのですが、まだ前回の余韻が冷めやらぬまま、新たなページでもコメントを書き込みたくなるという。こんなことを繰り返してしまうがゆえに、読むのが遅くなってしまうというわけですね。
しかも私がコメントを書きたいエピソードというのは、特に派手なシーンやショッキングなシーンといったわけでもなく、いわゆる私の作品でいうところの〝説明回〟や〝作戦会議〟といった場面である場合が多いんですよね。衝撃の事実が判明したというわけでもなく、ただただ作中世界における、登場人物たちの行動を見せられただけといったシーンです。それにもかかわらず、これまでの物語が積み上げてきた様々な歴史が頭をよぎり、とても感慨深い気分に浸ってしまうというわけです。
そうです。まさに〝歴史〟です。
作品の中で確かに紡がれてきた作中世界の歴史です。
これは単純に歴史上の出来事が動いたという枠に留まらず、登場人物の心境の変化や、反対に登場人物が初心を忘れていない風格など、非常に多岐にわたります。
こうしたものを読ませていただいた時、私の心は強く揺さぶられてしまうというわけですね。コメントを書くことで吐き出さねばならないほどに。
もちろん〝良い意味〟でのことですからね。反感を抱いた場合はさっさとページを閉じるだけです。念のため明確にしておきます。
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急に何を語りだしたんだと感じられた方も居られると思うのですが、何が言いたいかというと、「コメントを貰うにはどうすれば良いか」を考えてみたわけですね。
まず大前提として、こんな〝切れッ端〟のような、愚痴ノートは公開しない方が良いですね。それは理解しております。ですので個人的な一般論ということで。――いつもながらの渋滞せし予防線でありますね。
逆に魅力的なエッセイなどであれば、「自分ならこう思う」といったコメントを多くいただけるかもしれません。近況ノートなどを眺めてみても、時おりそうした魅力あふれる投稿をされておられる方が散見されますからね。羨ましい限りです。
こうした「自分なら」系のコメントが欲しい場合は、あまり予防線を張らない方が得策ではありますね。予防線を張るということは、「これ系のコメントはやめてくださいね」と最初に宣言しているようなものですので。使い分けが肝心です。
そしてやはりというか当然だと申しますか、人間関係が重要になってまいりますね。突き詰めると対人関係というよりも、書き手の人柄とでも言いましょうか。誰だって気難しそうな偏屈とは関わりあいになりたくはありませんし、明るく友好的な人であれば、お近づきになりたくなるものです。――私は〝攻撃的〟でなければ、偏屈な人の方が接しやすく思えるのですけどね。これは特殊な例なのでしょう。
ただし人間関係が主体の場合は、弊害も多くあるかとも考えておりまして。それは当然ながら作品とは無関係の、個人的な雑談も含まれてしまうというわけですね。私の場合はあくまでも、作品への感想を求めておりますので、こうしたものは極力避けたい傾向にあります。そうなると物語そのもので勝負しなければならいのですが。
しかしながら今の私には、それがどういうモノであるのかを言語化することが出来ません。なんとなーくは理解出来てはいるのですが。具体的に「この要素が〝そう〟だ!」と断言は出来ないんですよね。人が死ねば泣けるわけでもないですし。
私は基本的に、人が死ぬ話では感動しませんし泣きません。それは現実でも同様です。唯一、人が亡くなって涙が流れたのは、安部総理が殺害された時だけです。あえて総理と呼ばせていただきます。それくらいに彼を敬愛しておりました。
そもそも〝感動〟と〝心を揺さぶられる〟とでは、少々意味合いが違ってくるとも考えられるのですよね。人が亡くなって〝感動〟するのもおかしな話ですし、これは明らかに心を揺さぶられたからに他ならないと思うのです。
しかしながら〝それ系〟の映画の宣伝などでは、涙を流しながら「感動しました」なんて言葉が多く散見されますね。普段は違和感がないのですが、こうして分析してみようとすると違和感だらけになってしまうというわけです。
それでは具体的に〝なにで〟泣くのかと考えますと、それは〝人生〟を見せられたからではないでしょうか。私自身、人生やそれに類するものに触れた時、わけもわからず涙が溢れてくるんですよね。
これを書いていて思い出したのですが、私は〝君という名の翼〟という歌が大好きでして、たまにカラオケでも歌うのですが――時おりミュージックビデオが画面に出てくる時があるんですよ。そしてそれを見ながら歌ってしまうと確実に泣きますね。
これはただ、家族と思われる数人が、カメラのフレーム内に並ぶといっただけのものなのですが、それを見るとなぜか泣いてしまうのです。この出演者らが本当の家族であるかどうかもわからないにもかかわらずです。いま思い浮かべてみただけでも眼が潤みましたので、あの映像だけでも効果があるのだと思われます。
なぜ泣いてしまうのかが長年わからなかったのですが、私はあの映像に〝人生〟を感じたからではないかと思い至ったというわけですね。
逆に私は〝生き様〟を語る人をかなり苦手としております。「これが自分の生き様だ」と、偉そうに語る人がいるのですが、正直に申しあげて苦手です。「うるせえ、生き様は語るものではなく見せるものだチクショーめ」といった感じでしょうか。
こうした主観に依らず、客観的な人生を見せられた時にこそ、やはり心から感動するのだと思います。伝記などにも当てはまりますね。カクヨムにも素晴らしい伝記を投稿されておられる方が居られますので、是非とも探してみてください。
何の話をしていたのか、いつもながらに脱線してしまったわけなのですが、要はコメントをいただくためには、まずは心を揺さぶる話を書こうというわけですね。
人生などと大きなテーマを語りましたが、私の場合は割と簡単に揺さぶられてしまいます。何度か申しあげておりますとおり、私は作中の世界観にどっぷりと浸かりたいタイプです。その世界が楽園であろうと地獄であろうと、魅力的であれば「行ってみたい!」と感じます。その時点で作品のファンになるわけですね。
ファンになった作品は、しばらく読むのを止めていても自然と頭の中に再現することさえ出来ます。もちろん人さまの作品ですので勝手に触れることはしませんが、あの続きはどういう具合に進むのかなどと、色々と妄想したりはいたしますね。
それでは私自身の作品は、そんな魅力的な世界観を描けているのかというと、正直あまり自信は無いんですよね。
もちろん私自身は魅力的だと思っております。どんな名作を読んだあとであっても、私の作品には私の作品にしかない世界を描いていると自信を持っています。
しかし、それはあくまでも自分自身に対してのみであり、他者から見てどのように思われているのかなどは、いっさい見当もつかないんですよね。
そんな世界を少しでもわかりやすく描けるようにと、文章力を磨いているわけですが、これもなかなか道のりは険しいといった状況です。もちろんミストリアンクエストの第2章などと比べると、明らかにレベルが上がっているのは実感できます。
なのですが――。それ以上に驚くほどに拙い文章を投稿していたなと、恥ずかしい気分にもなるんですよね。こんなものを読んでいただいたことに、申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。
この〝切れッ端〟の昔の投稿において、「ダッシュを〝誤魔化し〟で使ってなんていない」などとのたまっていたかと思うのですが、改めて第2章の文章を読み返しますと、思いっきり誤魔化しで使っているんですよね。
他にいくらでも言い回しはあるのに、ダッシュばかりを多用しすぎている。これは本当に、早めに矯正できて良かったなと。
この流れで言いますと誤解されそうなのですが、このダッシュの件は完全に別として、言われた当初は反感を覚えるような言葉やコメントだったとしても、時間が経って自分の中で完全に消化された段階で意味を持つことが多々あります。
ダッシュの件は別ですからね。あの企画主さまに関しては、一切の反感はございません。感謝のみです。そこは断言させていただきます。
たとえば私の大嫌いなツッコミコメントを貰ったとしても、そのうち「確かに一理あるかもしれないな」と一部は受け入れることが出来るようになるものです。以前にもお話ししたとおり、どんな言葉にも使える部分はありますからね。
今ではツッコミをくれた方に対しても、感謝の念の方が強いです。いずれ改稿に生かさせていただきます。ありがとうございます。
私のような偏屈ではなく、心の広い方ならば、そういったコメントも最初から好意的に受け入れることが出来るのかもしれませんね。そうすると結論は、やはり人間関係と人柄ということになってしまうのですが。実際そういうことなのでしょう。
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――と、いうことですので、たくさんコメントが欲しい方は、幸崎を反面教師としていただくことが最善であると考えます。変な愚痴ノートを投稿しない、コメントを選り好みしない、交流は明るく積極的に、ですね。
正直、カクヨムに投稿されている作品は、どれも物語は素晴らしいものばかりです。そうなると、いったいどこで差がつくのかといえば、やはり作者自身の態度や性質になるのでしょう。ええ、当たり前のことでしたね。
そういうわけですので、私は今まで通り、黙々と創作活動に勤しむことにいたします。そうしている時の方が、精神が安定しておりますからね。心も体も健康が第一です。決して無理はせず、これからも頑張ってまいります。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
お読みいただけるだけで嬉しいです。とても感謝しております。
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