第50話を投稿させていただく前に

 先に注意点といたしまして、本作品は〝死〟および〝自殺〟への言及を多く含みます。しかしながら自殺や犯罪行為等を助長・推奨する意図は一切ございませんことをお断りさせていただきます。


 こうした注意書きというものは、とても重要になりましたね。ええ本当に。しっかりとフィクションは、フィクションであると示しましょう。


 「言わなくてもわかるでしょ」は、通用しない世の中となってまいりました。いずれ悪意ある言論が、国家の歴史と人類を滅ぼしかねません。


 もちろん〝ミストリアンエイジ〟はフィクションでございますよ。



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 前回の文書が長くなりすぎましたので、後編といった感じにさせていただくこととなりました。ミストリアンエイジの第50話を投稿するにあたり、第49話の弁解といった形ですね。


 ミストリアンエイジから読者さまが離れてしまったのは自主企画と〝切れッ端〟の影響もあるでしょうが、そもそも第49話が問題だったのではないかと。


 今回の第49話ならびに第34話は、私としても精神的に苦しいものではございました。しかしながら真世界シリーズという作品群において、あれらのシーンは絶対に外せないものだったんですよね。


 もちろん、〝だからといって受け入れてもらえるものではない〟という点は、重々承知しております。読者さまによっては、どんな理由でも子供が殺されるのは許せない、そんな作品は読むことが出来ないと仰られる方も居られるでしょう。



 私とて「作品のために仕方がない」と言われても、生々しい性暴力の描写が入っていると読むのを止めてしまいますし。とはいえ実際の行為の描写のない、〝匂わせ〟程度の演出ならば、許容自体は出来ます。


 具体例を挙げますと、〝鋼の錬金術師〟という作品のテレビシリーズ第一弾ですね。あれは何かと〝その場面〟が問題として取り沙汰されることが多いのですが、私個人としてはオリジナル版よりも好きなシナリオだったりします。


 また、〝タクティクスオウガ〟というゲームにも、そういった場面は出てまいりますが、こちらも大好きな作品です。もちろん〝その場面〟があるから好きだというわけではないですからね。シナリオ全体を通した場合の話です。


 そうした理由もありまして、第34話を投稿する前には何度も注意喚起を行ない、さらにどの程度までなら許容していただけるのかを試す意味も兼ねて、ミストリアンクエストの第3章でもそうした場面を登場させておりました。しかしながら駄目なものは駄目だったのか、第49話は想像以上の不評となってしまいましたね。


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 そもそも私の感覚として、死というものをあまり特別視はしておりません。第34話も第49話も、主題は〝子供が命を落とす〟という場面ではないんですよね。あくまでも主人公にとって、彼女の死が特別な意味を持っていたというだけの話です。


 人間が生物として生まれた以上、誰しもが死へ向かって進んでおります。人が死ぬのは悲しいですし、殺されると怒りを感じますが、死そのものは極めて普遍的なものです。


 特に私は二度も、自ら命を絶とうとした経験があり、死を救済だとも捉えております。ここだけを切り取ると、あたかもカルト信者のようにも聞こえますが、今の統制され抑圧され、息苦しさと生きづらさしかない現実世界を「楽しい。幸せだ」と感じられる一部の恵まれた人々の方が、私には狂っているとすら感じます。


 私は幼少期より虐めに遭い、家では虐待に近い扱いを受けておりました。私にとって学校という施設は拷問部屋、家は監獄です。肉体的にも精神的にも、一切の余裕はありませんでした。こんな幼少期でまともな人生を過ごせるはずもなく、今なおこの世の地獄まっしぐらといった生活を送っております。


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 そうした死生観もあり、特に死というものを特別視はしておりません。特別視はしておりませんが、決して軽く見ているわけでもございません。私の作風としても、登場人物は出来る限り殺したくはありません。


 しかし時として、死を描く必要は出てきます。ですがその〝死〟は特別なものではなく、この人物は自らの人生を精一杯に生き抜いた、その終着点がここだった。ただそれだけのことです。たとえ最期が誰かの手によって終わらされたとしてもです。


 現実世界と違うのは、かれらの人生には必ず意味があり、後世になんらかの影響を遺すことが出来るというだけのことです。私が現実世界で人生を終えようと、無縁仏が増えるだけ。しかし私が生み出した登場人物たちは、必ず〝なにか〟を遺します。その人物の〝死〟そのものよりも、その〝なにか〟こそが重要なのです。



 何度か述べておりますとおり、私はいわゆる〝モブキャラ〟にも名前を付けております。その人物がどういった人生を送って現在に至ったのか。それらを作り込んでおります。一見すると無駄な作業とすら思われるでしょう。しかし真世界シリーズは私の遺作ですので、それだけ作り込む価値があります。


 作り込んだ登場人物には、当然愛着が生まれます。読者さまにとっては数話登場しただけの人物でも、書き手自身はもっと長く付き合っております。


 第49話で命を落とした彼女ですが、私は10年前からミストリアンエイジのシナリオを描いておりましたので、それだけ長い付き合いがありました。ですので安易に殺すことはしたくありませんし、ただ殺されるためだけに誕生させたわけでもありません。物語にとって掛けがえのない意味を持つ、そんな役目を担って誕生したのです。


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 さて、そんな強い思いを込めた第49話だったのですが、一行あらすじログラインで示してしまうと「小さな子供が殺され、主人公が〝神〟となる決意をする」といった感じに収まってしまいます。表面上だけを見ると、こう評価せざるを得ないんですよね。


 「今回のエピソードはどういう話なのか」というネタバレなしのログラインは、毎度の近況ノートでお知らせしている通りなのですが、書き手として物語を紡ぐ際には、こうして踏み込んだログラインを設定しております。


 これをしっかりと定めておかなければ、「今回の話って何だったの? 何か進んだの? 何の意味があったの?」となってしまいますからね。


 反対にここが定まっていれば、古い作品にコメントをいただいた際にも「このエピソードって何の話だったっけ」と、迷うこともなくなります。大多数の書き手の方ならば既に実践済みとは思いますが、物語を描く上では非常にオススメな手法ですね。


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 次回の第50話は中盤の纏めといった形で、第51話から物語は一気に終盤からエンディングへと加速するわけなのですが、やはりここで多くの読者さまが離脱されてしまわれたのは悔しいなと。仕方のないことなんですけどね。WEB小説というものは積み重ねですので。いくら〝結〟の部分が良かろうと、過程が駄目ならお終いです。


 どなたかのノートを拝見した際に「終わり良ければすべて良しは通用しない。始まり良ければ続きを読んでやる、だよ」と仰られていたのが心に刺さっているのですが、本当にその通りなのだなと。こればかりは受け入れるしかありませんね。



 読者さまが減ってしまったのは悲しいですが、色々なものを抜きにして、それでも読みたくなるような作品を書くしかないなと。そう改めて気合いを入れる機会ともなりました。現在、底辺まで墜ちきっておりますので、これ以上墜ちることはありません。今後も完結へ向けて、頑張ってまいります。


 今後ともよろしくお願いいたします。

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