問題:幸崎 亮はファンタジーの書き手であるか?

 ここ最近は〝切れッ端〟のPV数が増え、嬉しいやら不安やらといった心情でございますね。好意的な目でご覧いただけていると思いたいのはやまやまなのですが、どうしても私の感覚としては、性善説に傾くことのできない今日この頃でございます。


 私はあくまでもファンタジーの書き手ですので、夢と冒険と恐怖の物語を綴り、それを皆さまにお届けすることが使命であります。しかし、この〝切れッ端〟にて あれやこれやと語りすぎてしまうと、そのイメージが崩れ去ってしまいかねません。

              

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 たとえば〝お笑い芸人〟がいたとして、その人が本業のネタをやらず、株やら政治の話をしている姿ばかり見せられてしまうと、ただの政治活動家にしか見えなくなってしまいます。たまに本業に手をつけたとしても、どうしても普段の姿がチラついてしまう。


 そして案の定、ネタの中に〝そういう要素〟が垣間見えてしまうと、「もういいよ……。そういういうのは……」と、拒否反応が出てしまうというものです。


 こうしたイメージが固まってしまうと、いくら本人が「芸人です! お笑いがやりたいんです!」と熱く語ったところで、見ている側としてはただの素人政治コメンテータにしか見えません。ネタ、つまり作品の前に、思想が出てきてしまうわけです。


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 もちろん作品をご覧になる方の中には作品そのものよりも、作者の思想や人間性、有り体に言えば人生の方に興味があるといった方もおられるでしょう。各界の有名な方々も、時おりそうした発言をされておられますね。私にはあまり理解できないのですが、そういった需要もあるにはあるのでしょう。


 私はあくまでも〝作品世界そのもの〟を楽しみたいですので、作品よりも前面に〝思想〟が押し出されていると辟易します。たとえば私は〝エンタメとしての百合やBL〟なら読みますが、そこに政治的思想が絡んでくると、途端に溜息が漏れます。


 単純に同性同士でイチャイチャして、単純に愛のある行為をして、単純に結婚すれば良いのですが――そこに「理解しない世の中が悪い」だの「世界の方が間違っている」だの「今はこういう時代があたりまえ」だの、そうした思想やプロパガンダが覗き見えてしまうと、完全に冷めきってしまいますね。ただの活動本じゃないかと。



 私がエッセイを読むのを避けているのも、そうした思想に触れてしまうのを避けるためです。別に誰がどういう思想を持っていても構いませんし、持っていて当然です。単純に私がそういうものを、わざわざ知りたいとは思わないというだけです。


 うんざりするような現実から離れるために空想の作品世界を訪れているというのに、そこでもわざわざ現実を見せつけられるのは嫌なのです。


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 純文学について色々と調べていた時に目にしたのですが、純文学では基本的に主人公や登場人物は作者の思想や信条を表現するための〝舞台装置〟でしかなく、登場人物そのものにキャラクタ性は必要ないといった意見もありました。主人公には名前すらも必要なく、ただの一人称でいい。「私」や「僕」で充分なのだと。


 なかには「主人公なんて誰でもいい。たとえ死んでも、別のを出せばいいだけだ」と、申されている書き手の方もおられましたね。これは〝最初に作品世界を構築し、そこで生きる者らの人生を描いている〟私からすると、かなり衝撃的な発言でした。


 すべてが〝そう〟だとは決して思えませんが、そうなると純文学の場合は思想が前面に出ていて当然なのかなと。エンタメと純文学との決定的な違いは、この辺りにあるのではないかと思いはじめた次第ですね。


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 よくある〝なろう系〟の辛口批評における、ネガティブなコメントの中に「この主人公は作者の自己投影」といったものや「この展開は作者の願望」といったものが散見されたりもするのですが、これはある意味で、純文学的な側面を持っているのだとも評価できますね。そうすると、私の好みに合わないのも納得です。


 念のため断っておきますが、私はエンタメVS純文学を煽りたいわけでも、どちらが正しく優れていると申しあげているわけでもありませんからね。ただただ自分なりに分析をしているに過ぎませんし、それが絶対だとも申しません。


 いつしか何を発言するにも、こうして先手を打っておかなければいけない世の中となってしまいましたね。ネットがアングラなものだった時代には、総じて利用者のリテラシが高い傾向にあったのですが、やはり全体的な分母が増えますと、勘違いや思い込みからの不毛な争いが発生してまいります。



 さらにタチの悪いことに、たとえ間違っていたとして、感情的な暴力によって押し通されてしまいます。そして間違っていたものが支配者となり、ルールが捻じ曲げられてゆくのです。嘘も間違いも、訴え続けてれいれば真実となります。


 これがフィクションの中だけならば良いのですけどね。極端な話、ファンタジーというものは嘘を読者に信じ込ませることです。そのために嘘を書き続け、嘘を正当化させる文言を書き連ねる。そうして嘘の世界を構築し、嘘を具現化させるのです。



 たとえば〝ドラえもん〟は実在しませんが、この世に〝ドラえもん〟は存在しております。「こんな時ドラえもんの道具があれば」と発言すれば、日本で生まれ育った者なら大抵は会話を理解できるでしょう。すでに〝ドラえもんという嘘〟は、しっかりと日本に具現化されているのです。


 もちろんこうした〝いい嘘〟や、エンタメの域を出ない嘘ならば良いのですが、残念ながらそうではないものも多く存在しています。もはや星の数ほど思い浮かぶかと思われますので、あえてここでは言及いたしません。


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 少し話を戻しまして、私の描いている作品の登場人物が、はたして私の自己投影なのかということを考えてみたのですが――なんと残念なことに、誰一人として当てはまらないんですよね。


 確かに彼らは私の理想を示した存在ではあるのですが、それが私の分身かと問われると、明確に「違う」と断言できます。主人公をはじめとして登場人物それぞれに、一人ずつ乗り移ってみたのですが、誰ともシンクロすることができませんでした。


 ミストリアンクエストの主人公・エルスは私とは正反対の性格をしておりますし、他の人物らも基本的に、私よりも優秀です。ミストリアンエイジの主人公なら或いはとも思ったのですが、やはり彼も、私とは決定的な違いがありますね。


 この辺りを突き詰めていくと、なかなか面白いものが発見できそうではありました。彼らはいったい、どこから誕生してきたのか。もしかすると私の理想どおり、作品世界に自然と誕生してくれたのかもしれません。



 私の場合、特に「このキャラを出そう」といった思いに関係なく、勝手に人物が出てきてしまう場合があります。たとえばミストリアンエイジの第51話にて、最初に登場した彼女なのですが、本来あの場面で新キャラが出る予定はありませんでした。しかも予定がないキャラだったというのに、やたらと発言回数が多いという。


 その後に女王が出ることは、もちろん予定しておりましたし、彼女の口調も〝あれ〟にすることは決めてはおりました。しかし服装までは決めておらず、なぜか初登場時に、勝手にあのような衣装や態度で現れてまいりましたね。


 別に予定にない登場人物が増えたからといって、物語の進行には一切影響がないのですが。実際、彼女らはどこから生まれたのかを考えてみますと、やはり作品世界の中からとしか考えられないんですよね。元々あっちに居たけれど、呼ばれたからこっちに歩いてきたといった具合です。――実際には飛んでまいりましたけどね。



 私の作品は基本的に、〝~するためだけのキャラクタ〟は用意しておりません。〝敵の大技を我が身に受け、死ぬために出てきたキャラクタ〟であったり、〝ただ主人公に逆らって、返り討ちに遭うためだけのキャラクタ〟といった具合ですね。


 〝基本的に〟と付けたのは、執筆時点ではそんなつもりはなかったとしても、あとで読み返すとそんな風に見えてしまう者も散見されてしまったからですね。特にミストリアンクエスト第3章は登場人物が多く、悪役の傍若無人さを見せつけるかのように、かなりの人数が命を散らしていきました。


 もちろん私の性質上、散っていった者たちの人生も、用意してはいるのですが。純粋に読み手として見ると、死ぬために出てきたようにも見えかねないなと。ここは少し反省すべき部分ではありますね。


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 なぜこのような振り返りをしているのかと言いますと、少し次回の更新までに、時間をいただきたく思いまして。と、申しますのも、28日から新たなコンテストが始まりますので、それに合わせたいなといった思惑がございます。


 実際の成績はともかく、やはり参加することによってモチベーションは上がりますからね。特にミストリアンエイジは評価が伸びず、しかも★を付けてくれた方のBANが確認できましたので、実際の★は66しかありません。これは次回どなたかが★を付けてくれた際に相殺されてしまいます。さらに退会を宣言されておられる方もおられますので、マイナス6は確定です。


 ええ。正直このままの状態で、投稿を続けるのはキツイんですよね。加えて申しますと本業であるミストリアンエイジよりも、この〝切れッ端〟の方がPVが伸びてしまうという有様です。最も〝読まれるためのアドバンテージ〟があるであろう、新着の通知を出していないにもかかわらずです。


 実際に試した結果があるのですが、過去には〝新着〟を出さないことによって、三ヶ月近くの隠蔽に成功したこともあります。


 詳しくは〝どうでもいい小ネタ:その1〟をご覧になってください。あれを試した際の最終更新は2023年の11月23日でした。


 逆にミストリアンエイジの場合は新着の表示が消えるまでPVが0なんてことがザラですからね。もちろん投稿時間の影響もあるのでしょうが、こんな文章の方が読まれてしまうことに対しては、色々と思うところが生じてしまいます。


 もしかしたら私のイメージはファンタジーの書き手ではなく、すでに別の何かになってしまっているのではなかろうか。そんな思いが、頭をよぎってしまいますね。



 何度も申しあげているとおり、私の目的は〝夢と冒険と恐怖の物語〟を描き続けることです。ファンタジーの書き手としてのイメージが崩れ去ってしまわぬよう、くれぐれも気をつけて行動しなければなりませんね。


 とはいえ需要があるのであれば、こうした話もいたしますが。別に他人がどう思おうが、私のやることは変わりません。どのような話をするとしても、根幹にあるのは〝ファンタジーの作品創り〟です。それらのヒントを整理しているにすぎません。


 ミストリアンエイジも終盤へと近づいてまいりましたので、そろそろ設定資料の追記をしたり、ミストリアンクエストの改稿を再開させたりもしたいですね。やりたいことは山積みです。もっと時間が欲しいです。



 今回は内容が二転三転し、だらだらと長く語りすぎてしまいました。この辺りで終わりとさせていただきます。いつもお付き合いいただき、ありがとうございます。

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