第3話 雪の一日

 人混みの中でも一樹はすぐに桜が何処か分かった。ベージュのコートを着て、スーツケースを引っ張って改札をくぐって来た。

「桜」と声をかけると、不安そうな顔で周りを見回していた桜が笑顔に変わる。

「お待たせしました」

「うん。…待ってた。ずっと」と手を取る。

「あ、雪で電車が…静岡のほうで」と桜は頬を赤くして言う。

「そうじゃなくて…ずっと。ずっと、ここに来るのを待ってた」

 真剣な声で言われて、桜は何も返せず俯く。

 そのままタクシー乗り場まで行って、タクシーの列に並んだ。

「雪! こんなに降って…積もることないから…」と珍しそうに桜は声を上げる。

 寒さが気にならないのか、落ちてくる雪を飽きることなく眺める。

「お父さんは…大丈夫だった?」

「ふふ」と笑って桜は答えなかった。


 桜の父は娘を溺愛していた。結婚の話もまだ具体的に決まっていないのに、家を出てくるのは大変だったはずだった。笑顔で誤魔化されたのだから、一樹としては多少気になったが、繋いだ手を一樹は自分のコートのポケットの中に入れる。

 しばらく待って、ようやくタクシーの順番が来た。タクシーの中で喋るのは気がひけて、二人は無言だった。桜はずっと降り続ける雪を窓から眺めている。雪の勢いはどんどん強くなって、今夜は冷える予感がした。


 家に帰ると桜は早速二階に上がって、スーツケースの荷解きを始めた。スーツケースの中からお土産を取り出して一樹に渡す。

「一樹さん…お酒好きだと思って」と地酒を渡される。

「重かったでしょ?」

「お父さんが…渡しなさいって」

「え? お父さんが?」

「そう」

 その地酒のラベルに「娘をよろしく」とサインペンで書かれてあった。

「…ありがたいな」と一樹はその乱雑に書かれた文字を親指で触れた。

「お父さん…。泣きながら書いてて…」と桜は言いにくそうに言った。

「え?」

「でも…絶対、渡すようにって。反対してると思ってたけど…」

 桜も少し泣きそうな顔をしていた。可愛い娘を知らない男のところへ送り出すのに一言、伝えたかったのだろう。悩んで書いた言葉が「娘をよろしく」だったと思うと、一樹は胸が詰まった。

「大切に頂くよ」

「…うん」と言いながら頷いて、服を取り出す。

「この箪笥使っていいから」と一樹が引き出しを開ける。

「一樹さん…お話があります。でも下で待っててください」

「いいけど…? 手伝おうか?」

「あ、いいんです。下着とかあるから、恥ずかしいんです!」と言って、顔を赤くする。

「あ、ごめん」と一樹もちょっと恥ずかしくなって、下に降りた。


 階段を降りながら桜が言う話が何か考えることにした。多分、これからのことだろうし、結婚について具体的な話だろうと予想をつけながら、キッチンに行ってお湯を沸かした。


 しばらくすると、桜は階段を軽い足取りで降りてきた。

「一樹さん!」

「桜…お茶飲む?」と一樹が言うと、そのまま抱きついてきた。

 ふわっと甘い匂いがする。

「桜?」

「大好きなので、一生、一緒にいて欲しいです」と言われる。

「…待って」

「待ちません。それと赤ちゃんも欲しいです」

「ちょっと、待って」と一樹は思わず桜との距離を少し開けた。

 桜が一樹を見上げる。

「そういうことは僕から…言いたかった」

 何か言いたげに動いた唇にキスをする。

「僕の側に…いてください」


 もう一度桜の匂いが一樹に届いた。雪は音を立てずに積もっていく。



 一樹は夜中に何度も目を覚ます。横に桜がいることが嬉しくて、軽く抱きしめて、また目を閉じる。本当に側にいてくれるという奇跡を確かめるように。桜は眠りに落ちていたけれど、何度も一樹が抱きしめているのは分かっていた。疲れてしまって目を開けることはできなかったけれど、暖かさを一樹の匂いに包まれているのを感じる。

 明け方、肩が寒くて、桜から一樹に抱きついた。

 そのまま抱き寄せてくれる。

「桜? 寒い?」

「雪…まだ降ってるかな?」

「多分。見てみようか?」

 起きあがろうとする一樹に腕を絡ませる。

「いいの。多分、降ってると思うから」

「そう?」

 桜からキスをする。

「少し寒くて…」と言いながら、キスを繰り返す。

「温めようか?」


 無言でお互いの体温を求め合う。外が明るくなるにはもう少し時間がかかる。きっと雪が一段と明るい朝にする。それまでの僅かな暗い時間、匂いと暖かさを充分に感じ合った。

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星影ワルツ その後 幸せな生活をあなたと かにりよ @caniliyo

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