第4話

 ランプを掲げると、暗闇に降る細い雨粒が、光を遮った。

 雨は嫌いだ。少なくとも冒険者と同じくらいには。


 おれは油を塗った外套のフードを深く被ると、いまだ意識の戻らない怪我人を背負い直した。もう一人の男が、すぐさまおれと怪我人を縄紐でくくりなおす。そう簡単には解けなさそうな結び方だ。おれは大きくため息をついた。


「途中で気が変わっても、怪我人を路肩に捨てることはできないようだな」


「縄紐はウェステ神殿の巫女に解いてもらってくれ」


「そうするよ」


「俺も事務手続きが終わったら、すぐに向かう」


「そうか、だが希望した結果が出なくても、馬鹿な真似はするなよ。保険が適用されなくったって、払えない額ってわけじゃないんだ」


 おれは事務所の窓から心配そうにこちらを見ているハナを、視線で指しながら言った。ハナから残酷な査定結果を告げられた冒険者が、やけを起こす姿をふと脳裏に浮かべてしまい、底知れぬ不安を覚えたのだ。


「当然だ、どういう結果が出ても、ギルドの決定を受け入れるよ」


 男は唇をきつく結び、深々とおれに向かって頭を下げると、そのまま雨に打たれるがまま、こうべを垂れ続けた。


 どうやらおれが出発するまで、雨に打たれながらで見送るつもりでいるらしい。このまま相手の誠意を、とことんまで試してみても良かったが、おれだって秋の夜長の雨の中、いつまでも仕事なんかしたくなかった。さっさと終わらせて仮眠の続きを取るためにも、おれはギルドの門を後にし、真っ暗で静かな大通りに躍り出た。


 静かだった夜は、庇から離れたとたん、フードを叩く雨音で騒がしくなった。夜の街並みは、おれが予感していたよりずっと冷たく、味気もない。


 おれはランプで、通勤がてらよく見る戸籍役場の外壁や、贔屓のパン屋の看板を照らしたりしながら大通りを走ったが、どれ一つ取っても、日中に見る賑やかな街並みを連想することはできなかった。柱廊には皇帝や総督の悪口で盛り上がる浮浪者たちは居なかったし、当たり前だが、パンの焼き上がりを叫んで回る少年の姿も見当たらない。


 目に映る情報が少ないせいで、聴覚ばかりがやけに冴えわたった。雨音や濡れた歩道を踏む足音に混じって、背中に担いだ男の微かな息遣いが聞こえるフラウィウスの交差点。急に女が建屋から飛び出してきた。おれの肩にぶつかったが、振り返りもせず、裸足で雨の中を駆けてゆく。背負った男がうめき声を上げた。声をかける気も起きなかった。


 男に残された時間は、おそらくそう長くはない。分類学上、バジリスクは魔獣の類に位置付けられているものの、その特殊な毒効果は魔術にも匹敵するといわれている。現状では治療師のおこす奇跡でしか、体内に入った毒を消す方法はない。


 おれはとにかく走り続けた。思えば最近は走ってばっかりだ。以前であれば、冒険者風情が何人死んだって、おれには関係ないと割り切っていたはずなのに、ここ最近の出来事のせいで、妙にこいつらに入れ込んじまうようになっちまった。


 冒険者だけじゃない。レンやハナを始めとした職場の人間関係も、今年に入ってから、目まぐるしい速度で変化している。それ自体は決して悪い方向ではないだろう。レンは生意気だが気は合うし、係長の信念にも共感できるものがあった。それにハナは思いのほか家庭的で愛嬌のある同僚だと、今日知ることができた。

 だが、ずっとこの開拓都市で静かに生きていくのだと思っていたおれには、何もかもが急すぎて、戸惑いのほうが今はまだ大きいんだ。


 おれはティリウス通りの上り坂を上っていた。この坂を越えれば、ウェスタ神殿のある広場が見えるはずだ。あともう少し。おれは張り裂けそうな心臓に鞭を打った。


 石畳の隙間を流れてゆく雨、おれは何度も躓きそうになりながら、やっとのことで坂を上り切った。オリエンティウムの中心地とも言える、フォルム・ラナリアに入り、薄暗い柱廊を進む。

 ウェステ神殿の前まで着いたとき、柱の陰から、音もなく数人の警備員が姿を現した。


「冒険者ギルドの者だ、冒険者の治療を頼みたい」


 おれは首から下げた印章指輪を警備員に掲げる。リーダー格と思われる武装した女が指輪を手に取って確認すると、面倒くさそうに口を開いた。


「治療を望むのはお前か? 背負ってる方か? それとも両方?」


「おれは必要ない、こっちの男を頼む」


「ふん」


 女は相槌とも了承とも取れないこともない声を鼻の奥から鳴らすと、顎で神殿の奥を指した。おれは狂暴そうな女どもに、からかわれながら念入りに身体検査をされたあと、ケツを叩かれ、神殿内部へと続く巨大な扉の前に立たされた。そうしている間にも、毒で死にかけている男の呼吸は、着実に浅くなっていった。


 おれはしばらく、扉の前で立っていた。いつの間にか周囲には篝火が灯されていた。

 治療師の準備が整ったのか、扉の向こう側から、鐘を打ったような、小さな合図が聞こえてきた。


 重い扉がゆっくりと開かれる。女どもは一斉にかしずいた。

 おれは吸い寄せられるように、神殿の中へと進む。


 すべては、光の中にあった。

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