第3話
「リュカさん、起きてください!」
仮眠室の扉を開け放ち、弾けるように飛び込んできたハナにつられて、おれはベッドから転げ落ちた。
「なんだ? 何かあったのか?」
先ほどまで見ていた短い夢は、まだ胸を打つ鼓動と共に余熱を保っていた。都市に入り込んできた妖精種に追われて、建屋や路地を逃げ回る夢だった。どれだけ距離を離してもしつこく追ってくる妖精種に、あとちょっとで捕まるところだった。
「急患です、大怪我をした冒険者が、飛び込んできました」
「わかった」
おれは上着を羽織ると、階段を駆け下り、事務所の扉を開けた。
カウンターの向こう、入口近くの長椅子付近には、ずぶ濡れの男が一人と、同じくずぶ濡れだが腹部の衣類が赤く染まっている男が一人、こいつは床に横たわっていた。
「冒険者登録証は確認したか?」
おれはハナに確認を取りながら、男たちに近づいた。
「はい、どちらも4級の冒険者です」
4級か、下から二番目、ギルドに対して、それほど貢献度の高い冒険者とはいえない。
「本日の夜勤当番者のリカルディウスという者です。傷の具合を確認してもよろしいですか?」
おれはマニュアル通りの簡単な口上と共に、男たちの傷の具合を確認しようとした。だが、倒れている男からの返事はない。
「誰でもいいから早くしてくれ、このままじゃベイルは死んじまう」
代わりに応えたのは、脇に座り込んでいる男だった。おれは頭を下げると、意識のない男の服をめくり、傷の度合いを確認した。一目でわかった、彼の命を脅かしているものの正体は、毒だった。
「何にやられた?」
「たぶん、あれは、バジリスクだ」
男の言葉から、深い後悔の念を感じられた。二人の間に、何かがあったのかもしれない。だが、今それは重要なことではない。
おれはもう一度、男の脇腹を見た。傷は肉を引きちぎられたようなものだった。傷はそれほど深くはない、だが周囲の肉は既に黒く変色し始めており、硬化も進行していた。本人に意識はなく、その儚い命は、薄い呼吸によってなんとか繋ぎ止められているだけだった。
「治療師協会との専属保険契約は?」
「してない。そんな金あるわけないだろ」
だろうな、だからこそ冒険者ギルドに駆け込むしかなかった。冒険者ギルドには治療師ギルドとの包括的保険契約がある。冒険者ギルドからの依頼を遂行中の冒険者には、この保険が適用されるのだが、問題がいくつかある……。
「どの依頼を受けていた?」
「オウル湖での、漁撈依頼だ。珍しい魚を釣ってきてくれって」
「どこでバジリスクに襲われた?」
「帰り道だ。中々釣れなくて、帰りが日暮れになった。なあ、早くベイルを助けてやってくれよ!」
「もちろん、そうしたいのはやまやまです。しかし、今回受けた依頼の他に、貴方たちの経歴や、今までの依頼達成率等を確認し、保険適用が妥当であることを判断しなければならない」
「それはすぐ終わるのか?」
「君の協力があれば、1時間ほどで終わるはずだ」
「1時間? あんたも見たろ? 今の状態で、そんな悠長なことやってたら、ベイルは死んじまう!」
痛々しいほどの叫びだった。それに、彼の言うことはもっともだ。おれはハナを見た。
彼らの置かれた状況を解決する方法がないわけではなかった。この冒険者たちの身元や経歴の確認作業をハナに任せて、その間におれが先んじて怪我人をヴェステ神殿に運べば、誰も死なずに済むはずだ。
しかし、それにはリスクもある。もしこの冒険者たちの経歴に問題があったら? ギルドの保険を適用させる上で疑義が生じたら? 確認作業を待たずに治療を受けさせたおれは、責任を追及されるだろう。
「リュカさん」
ハナは震える声で、おれの出方を窺った。
もちろん、おれがそんなリスクを追ってまで、冒険者を助けなければいけない義理なんてなかった。
「こいつの名前は?」
「ベイル・オラティヌス」
「よく二人で組んで仕事をするのか?」
「ああ、完全に固定ってわけじゃないが、ベイルとは馬が合うんだ」
「ベイルは、今までギルドの保険を適用して治療を受けたことがあるか?」
「ないと、思う……少なくとも、本人からそういった話は聞いたことがない。俺たちは、そんなに危険な依頼は受けないんだ。討伐依頼を受けるときは、なるべく人を集めてからやるように決めてる」
「わかった。ベイルのことはおれに任せて、君は彼女に従って保険申請を進めてくれ」
おれは言った。
「リュカさん、裏付けはしなくていいんですか?」
ハナがおれがやろうとしていることを察したかのように、眉をひそめた。
「先に怪我人を、神殿に運ぶだけだ。それなら規則違反にはならないだろ」
神殿に運んで、どうする? ハナの目はそう語っていた。
どうするのかだって? おれだって知りたいよ。たかだか冒険者ひとり。どこでどんな死に方したって、おれには何の関係もない。
そのはずなのに、おれは今、何をやろうとしているんだ?
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