第2話
「これ、うまいな」
いつもハナが食っている堅パンからは、想像もつかないほど豪勢な料理だった。おれは梨のコンポートとハムを挟むと、ついふたつ目のパンを頬張ってしまい。ハナと目を見合わせて、気まずい気分になってしまった。
「ありがとうございます」
「君がこんなに料理上手だなんて知らなかった」
「ここで働く前は、厨房に居たこともあったので」
おれは頷いた。しかしそれ以上詮索するもりはなかった。彼女が冒険者ギルド所有の奴隷だということは周知の事実だ。奴隷の過去をあれこれと詮索するのは、自由民として道理にかなった行為とはいえない。
「料金を払わせてくれ、いくらかかった?」
だからこそ、これだけの食事を奢ってもらうってのは気が引けた。彼女が金に困っているということを知ってしまったあとでは特にだ。彼女の給料はおれやレンに比べて少ないばかりか、自由の身分を国から買い取るために、なけなしの給料を切り詰めて、貯金までしているらしい。昼間、どこで拾ってきたか分からない堅パンだけを齧っているのもそのためだろう。だからこそ、今夜の行為は、その彼女に似つかわしくない散財だと感じた。
「お金は結構です。わたし、まだ、貴方にお礼、言えてなかったから」
「さっきも言っただろ、礼なんて必要ない」
動いたのはあのダルムントという冒険者だ。彼としてはたまたま利害の一致したハナを利用しただけなのかもしれないが、それでも行動を起こしたのは彼だ。おれはそれに乗っかっただけに過ぎない。
「これは、私にとってのけじめなんです」
「けじめ? このナツメヤシのケーキが? それともこのヒラメの香草焼きがか? どれも一流店に引けを取らない出来だ」
おれのからかうような態度に、ハナは頬を膨らませた。
「私、貴方のこと、誤解してたから」
「善良な人間だって?」
そんなわけないじゃない、ハナは一転、口角を上げておれの目を見た。何年も一緒に仕事をしていたのに、彼女がこれほど色とりどりの表情を見せるのだと、おれは全く知らなかった。
「私、貴方のこと、無責任な人だと思ってた」
「悔しいが概ね合ってる」
「違うところも、少しはあるってことね」
「些細な違いだ」
「とにかく私、お礼がしたかった。言葉だけじゃなく、何かを返したかった」
「何を企んでいるのか知らないが、おれは食うのを止めないぞ」
おれは照れくささを誤魔化すように、料理を次々と頬張った。だがこの時にはまだ分かっていなかった。この小さなお食事会が、お返しと称して善意を押し付け合う、無慈悲な復讐の螺旋の始まりに過ぎないということを。
「そろそろ、いい時間になってきたな」
食事をあらかた片付けたときには、時刻は第2夜警時に入ろうかというところだった。おれはエーテル時計の色見本と、窓の外の黒を眺めながらあくびをかみ殺した。腹いっぱい食ったせいで、なんだか眠くなってきた。
「どうする? どっちから寝る?」
普段、夜間勤務の際は、交代で仮眠をとることが許されている。
「リュカさんからどうぞ」
「じゃあ片付けてから、2時間くらい仮眠するよ」
「片づけは私がやっておきます」
「悪いね」
「いいえ、こちらこそすいません、わざわざ泊まってもらって」
「君が謝ることじゃない。悪いのは急に休んだサリアと、その代わりにおれを指名した係長だ」
全く、男女の二人組で夜勤を組ませるなんて、デリカシーのない上司だ。普通こんな勤務配置、ありえない。年頃――というには、おれは少々熟れすぎている可能性もあるが、少なくともハナは食べ頃だ。何か間違いでもあったらどうするつもりだったのか。
「違うんです、実は、私が、指名したんです」
おれが無意識のうちに発してしまっていた上司への愚痴に、ハナが取り繕うように首を振った。
「どうしても、お礼がしたくて。でも人目に付くと、迷惑かけるかなって、ごめんなさい」
どういうことだ? 相変わらず弱い雨は止まないし、街は随分静かだし、今日の彼女はやけに綺麗に見えた。
「まあいいや、お言葉に甘えて、先に寝るとするよ」
おれはそう言うと、逃げるように仮眠室に駆け込んだ。
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