調査官の長い夜
第1話
冒険者が昼夜問わず働くのであれば、それを支援するギルドの職員たちも、昼夜問わず働かなければならないときがある。
おれは最後まで残ってぶつぶつ文句を垂れていた係長が帰ったのを見届けると、受付とつながる正面玄関のカギを閉め、最低限の明かりだけを残して、所内のランプを消して回った。
「なんか暖かい飲物でも飲むか?」
「あ、いえ、むしろ私が淹れてきます」
今日は隔週に1度の夜勤当番の日だった。冒険者は依頼の性質上、夜間に活動する者も多い、そのためギルドも緊急事態に対応できるよう、夜間であっても二人以上の職員を事務所に常駐させることになっている。普段なら、おれはレンと組んで夜勤当番をすることが多いが、今日は様々な事情が重なって、同僚のハナと一緒だ。
「ありがとう」
おれはハナから受け取ったハーブティーを飲みながら、窓から通りを見た。
今夜は静かだった。日暮れと同時に振り始めた雨が、人々を家路に急がせたのだろう。まだ第一夜警時だというのに、ギルドが面する大通りには、時おり回る馬車の車輪の音と、庇を控えめに打つ雨の音だけが取り残されてしまった。
おれは自分の席に戻り、黙々と残務を片付けた。隣ではハナが同じように、書類と睨めっこしてペンを走らせていた。やや赤み掛かった亜麻色の髪が、ランプの明かりに影を落とす。年頃の若い娘と二人っきりで夜勤なんて、いくら人がいなかったとは言え、係長の奴、何を考えているのか。
デリカシーのない奴だと心の中で上司を非難しつつも、いつもとは違う職場の雰囲気というか、ある種の緊張感のようなもののおかげで、仕事には集中できた。決してハナのことをそういう目で見ているわけでも、意識しているわけでもないが、やはり男という生物は、いくつになっても、女が近くにいると背筋がピンと伸びてしまう性なのかもしれない。
「ふぅ、ひと段落した。飯、どうする? 持ってきたか?」
おれは背もたれに体を預けて背中を伸ばすと、隣で書類と睨めっこしているハナに声を掛けた。
「あ、はい、でも、その、私は……」
「おれ、腹減ったから、先に食ってきていいか?」
夜勤当番の際は、原則として夕食は家から職場に持ち込むことになっている。だがおれは、夜勤の日はこっそり事務所を抜け出して、外へ食べに行くのが唯一の楽しみだった。仕事をさぼって食う飯は格別だ。レンと二人で夜勤の当番をするときなんか、お互い代わりばんこで居酒屋に赴くほどだ。
ハナは困ったように視線を落とした。普段から真面目に勤務している証拠だ。おれがいつもやってることだから心配ないと、取り繕おうとしたとき、ハナがおずおずと口を開いた。
「あの、一緒に、食べませんか?」
おれは首を横に振った。
「そりゃあさすがに無理だ、二人で外へ出たら、事務所が空っぽになっちまう。急な用事で駆けこんできた冒険者が居たら、困っちまうだろ?」
「そうじゃなくて、私、作ってきたんです」
「え?」
「家で、お弁当、作ってきたんです」
「そうなのか、でもそれは君の分だから、自分で食べな。気持ちだけいただいとくよ」
おれはハナがいつも昼休みに机で食っている、カピカピに乾いた堅パンのような物体を思い出していた。たとえそれじゃないとしても、おれより職歴が長いとは言え、年下の夕食を取り上げる気にはならなかった。
「違うんです、私、リュカさんの分も、作ってきたんです」
「え? なんで?」
何か思惑でもあるのだろうか……。おれは急に怖くなった。
「その……この間の、お礼もかねて……」
「この間……ああ、そうか」
おれは先々週、ハナが巻き込まれた事件に同行し、解決の手伝いをしたことを思い出した。
「別に、おれだけじゃ何もできなかったんだ。君の礼を受け取るのは、あのダルムントって冒険者のほうが相応しい」
「そんなことありません!」
ハナはきっぱりと言った。おれを真っ直ぐ見る目は、髪の色と同じ綺麗な亜麻色だったが、目が合うと恥ずかしそうに視線をそらした。
「じゃあ、一緒に、食うか、ここで」
これ以上固辞するのも悪いしな。おれは簡単に机の書類を片付けてスペースを作った。
「私、ちょっと温め直してきます」
ハナは弾けるように席を立つと、事務所の奥にある台所へ消えていった。
まだ夜は始まったばかりだった。
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