第8話
おれは内心かなり焦っていたが、レンのすぐ隣に立っていたミリアムは、さほど顔色を変えていなかった。おそらく何度もこの状態のカーバンクルと対峙したことがあるのだろう。
だが今回もそうとは限らない。おれは咄嗟にレンの腰ベルトを掴んで引っ張ると、一際大きな樹木の裏に、二人で身を隠した。
「先輩の予想、外れましたね。あんなに得意気に語ってたのに」
「黙ってろ」
「ってかビビりすぎですって、冒険者の皆さんが居るんですから、隠れなくても大丈夫っすよ」
「そうとは限らん、少なくともおれたちが足を引っ張るような事態だけは避けないと」
おれはまだ何かしゃべり足りないレンに、人差し指を立てて黙らせると、シムルたちの様子を覗き込んだ。
カーバンクルは、まるで別の生物になったかのように、体をくねらせながら、シムルに近づいていた。表現し難いが、あえて例えるなら、今まで中型のウサギだった生物が、急に同じサイズの猫になったような感じだ。
「ドニトス」
シムルが口を開いたのを引き金に、カーバンクルが飛び掛かった。地べたを転がりながらそれを躱すシムル。ドニトスがカーバンクルの着地先を読んで戦斧を振り下ろした。
だがカーバンクルは空中でほんの僅かに方向を変えると、地面に突き刺さった戦斧を踏み台にし、またシムルに襲い掛かる。
だがシムルは目を反らさなかった。まるでカーバンクルが自分に向かってくるのを分かっていたかのように……そして仲間たちにも迷いはなかった。
エレナが槌を地面に打つと、槌の先端に収束していたエーテルが地中を伝わり、シムルとカーバンクルの間に、2メートルほどの土壁となって姿を現した。
カーバンクルは突如現れた壁を躱しきれず、頭から激突する。すぐに体勢を立て直すものの、シムルはその間に十分な距離を取っていた。
ちょっとした硬直状態になるかと思っていた。一瞬だが激しい攻防だった。どちらにも一息つくには良いタイミングに思えた。
だが、シムルたちはここで勝負を決めたいようだ。
ドニトスがすぐさまカーバンクルに追いつき、畳みかけるように戦斧を振りかぶる。逆側からはエレナが槌を振り上げて、魔道具の発動機会を窺っていた。避けようとした瞬間、カーバンクルの退路を塞ぐつもりなのだろう。たとえこのタイミングでカーバンクルが障壁魔術を使用したとしても、動きを止めればミリアムの魔術が待っている。
まるでやり手のチェッカーのように効率良くカーバンクルを追い詰めたシムルたちの実力に、おれは感嘆せざるを得なかった。
「良かったですね先輩」
「いや、待て――」
――エレナが嘔吐したのは、まさにその時だった。
槌を杖代わりに、うずくまるエレナ。
それを見逃してくれるほど、穏やかな相手ではなかった。
チャンスとばかりに牙をむくカーバンクル。
飛び散る鮮血。
悲劇というものは、いつも突然やってくるのだ。シムルにとっても、それは予想外の出来事だったのだろうか?
「シムル……嘘、どうして」
唖然とするエレナの前に、庇うように飛び出したシムルが膝をついていた。
青ざめた顔を振り、なんでと呟き続けるエレナ。しかし、シムルの脇腹から血をすするカーバンクルの瞳には、次の獲物であるエレナの姿も映っていた。
冷静なのはドニトスだった。カーバンクルが次の動きを見せようとした直後、あばらの浮いた脇腹を、思いっきり蹴り飛ばして雄たけびを上げた。
カーバンクルは木の幹にぶつかり、地面に転がった。口には何かの肉片のようなものが、引っ掛かっている。ドニトスは鼻の穴を膨らませ、すかさず戦斧を構えた。この体重差だ、効いてないわけがなかった。
しかしカーバンクルはよろめきながらも、樹木の上に駆け上がり、こちらを睨みつけて唸り声を上げる。
「逃げるわよ」
いつの間にかおれたちの隣に来ていたミリアムが、おれの肩を叩いた。
「ど、どこに?」
「どっかによ」
「み、みんなはどうするんだ?」
「勘違いしないで、全員で逃げるのよ。足引っ張ったら、置いていくってことを伝えたかっただけ」
ミリアムは、恐怖ですくみあがるおれの瞳を見て、意地悪そうな笑みを浮かべると、樹木の上のカーバンクルに向かって、風の魔術で攻撃を加え始めた。
「ドニトス! シムルをお願い。エレナは立てる?」
「ええ、大丈夫」
エレナは我に返ったように立ち上がり、槌を構えた。
「調査官の人たちはドニトスに付いて行って、私とエレナが最後尾を受け持つ」
「全員で生き残るぞ、付いてこい!」
樹木の上を飛び交うカーバンクルを目で追いながら、ドニトスはシムルを抱え、走り出した。
「追うぞ!」
おれはレンの尻を叩き、ドニトスの後を追う。エレナが本調子なのかは分からないが、後目に見た限りでは、ミリアムと二人で走りながら、カーバンクルの追撃を防いでいるように見えた。
しかし、祈りながら走ったのもつかの間、しばらくすると、おれたちの退路を阻むかのように、無慈悲に聳える崖が見えた。おれは喚き散らした。
「いや、ここら辺のどこかにあるはずなんだ」
ドニトスは左右を見渡し、歓喜の声を上げた。
「あった! あそこだ」
ドニトスが指した先にあったのは、崖下にぽっかり黒い口を空けた洞穴だった。
おれとレンは転がるように洞穴の中に飛び込むと、一番奥で小さくうずくまった。奥は案外広かった。おれは目を閉じると、思いつく限りの神々の名を唱え、救いを求めた。名前に詰まる度、レンが隣で補足してくれたし、間違うと訂正もしてくれた。はっきり言って鬱陶しかった。
「祈りなんぞ後でいいから、手を貸してくれ」
呆れたようなドニトスの声に顔を上げたときには、一人も欠けることなく、全員が洞穴に座っていた。
ドニトスとエレナは、シムルの傷の手当てに奔走しており、ミリアムは洞穴の入口にひとり立ち、障壁魔術でカーバンクルの侵入を防いでいた。みんな必死で、それぞれやるべきことを全うしている。
「先輩が祈ったおかげですよ」
レンが憐れむような眼差しをこちらに向けた。
「もう放っておいてくれないか?」
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