第32話 任務完了






「水奈、ファリテを起こしに行きなさい」

 ファリテに報告せねばならない。あなたを殺した者を裁いたと。


 城のような通路を通り、水奈はメディウムに教えてもらったファリテの部屋へ向かった。

 ファリテの部屋のドアの前に来ると、水奈は少し考えた。

「今回のことについて、ファリテはどう思うのかな……」

 あとからやってきた後輩にあたる水奈に自分が死んだ時のことを知られた。後輩にそんなことを知られた、それはとても嫌なことではないのか。過去の辛い部分を水奈に見られてしまったのだ。

 さらにその犯人を水奈が裁いた。

 そしてこれからはファリテ自身のアフターケアをする。

 それは彼女にとってどういう気持ちなのか。

 今までは水奈から見れば先輩として慕っていた相手だ。それが今回は自分が彼女のことについての任務をしたのである。

 水奈にとってはメディウムに指示された通りの任務をこなしただけだが、ファリテがそれを喜ぶのかはわからない。

「悩んでも仕方ない。ちゃんとファリテに伝えなきゃ」


 覚悟を決めて、水奈はファリテの部屋に入った。

 ファリテの部屋は水奈の部屋と同じく、天蓋のベッドに、貴族の部屋かのような設備の揃った豪勢な部屋だった。

 そのベッドの中で、ファリテはすやすやと眠っていた。

 大きなベッドで眠る彼女の姿はそれはまるで可憐な人形のようにも見える。

 今、ファリテは死神装束ではなく、質素な部屋着をまとっていた。こうして見ると、確かに生きていた頃は普通の少女だった面影がある。

「ファリテ、全部終わったよ」

 水奈はファリテに語り掛け、そっと身体に触れた。

 ファリテはうっすらと目を開けた。

「おはよう……水奈」

「おはようファリテ。あなたの仇、取ったよ」

 目覚めたばかりの虚ろな目だが、水奈のその言葉に、ファリテはすぐになんのことか察した。

「……じゃあ、全部見たのね」

 それはもちろん、ファリテ自身が人生を終わらせたところを知ったのだろうと。

ファリテは顔をうつむけ、一瞬悲しそうな顔をした。

「うん。苦しい想いをしたんだね」

やはり自分の人生が無理やり奪われたことに理不尽だったのだろう。

その憎しみにより、この仕事ができていたのかもしれない。

そして、それを後輩に知られてしまった。

しかし、水奈が言うことにより、それはもう終わったのだと。

だがまだこのことは終わっていない。残された役目があるのだ。

「あなたの、家族に会いに行こう」

「うん」


 メディウムの力は事件の犯罪者を特定することはできないが、自分の元にクレイドルデスゴットとして選ばれた者の家族の居場所は探り当てることができる。

 自分の部下となる者の人間関係はその人物の心を読めば血のつながりのある家族を感じ取れるからだ。ファリテの家族の元へ行くのは簡単だ。

 しかしそこへ向かう扉はその魂を担当するクレイドルデスゴッドがいなければならない。

 故意に殺された者は、家族と通話できる条件が「殺した者を処罰した死神が同行すること」だからだ。

 ファリテはクレイドルデスゴッドとしてこれまでやっていたが、自分自身の家族の場所へとは行けなかったのだ。必ずその魂を連れて行く者がいなければその場所への扉は開かない。

「じゃあファリテ。私が連れて行ってあげる」

「……うん」

 水奈は扉を出現させた。

 冥界から扉を開き、二人は現在伏田家の住んでいる場所へと向かった。

これまではファリテが水奈へ仕事を教える為の研修として率先して連れて行ったのが、今回は逆に水奈がファリテの為に連れて行く立場だ。いつもと違うその感覚に、緊張した。

 ここでファリテの為に最後まで任務を成し遂げなければならない。

 

現世で降りた場所はマンションだった。

「今はここに住んでるのね。私のあの家はどうなったんだろう」

 ファリテは自分の家族が過去に住んでいた家とは違うことに最初は驚いた。


伏田家はあの事件の後、かつて住んでいた一軒家からマンションへ引っ越したのだ。

 とてもだが娘の死んだ家でなど暮らせない。

 あの家のセキュリティの甘さからあんなことになったのではと思うと、そうなると再び同じことが繰り返されるかもしれない。

 あんな家のせいで、娘は命を落としたのだとすら思っていたからだ。

 なので今度はきっちりとセキュリティの厳しいマンションへと引っ越したのである。

 もっと早くにこういった場所に住んでいればよかった、と両親は後悔していた。


 伏田家の住んでいる部屋のドアの前に、二人は立った。

「じゃあ、行こうよ」

 あとは壁をすり抜けて中に入るだけだ。

 すると、いつもならこういう場所ならすんなりと進むはずのファリテは立ち止まった。

「大丈夫かな……。私が今頃二人に会ったところで、何かが変わるとは思えない」

 ファリテは不安気にそう言った。

 これまでは死神として冷酷な性格を貫いてきた彼女が、まるで普通の少女のように迷いを見せた。他人のことについての任務と、自分のことは全く違うという戸惑いもあるのだろう。

 それだけファリテにとっては今、心の迷いがあるのだろう。いつもと口調がまったく違う、生きていた頃の喋り方になっているのがそれを表している。

「私が家族に会ったことで、お父さんとお母さんだけじゃなくて私自身も未練を引きずっちゃうかもしれない。あの二人にとっては私が死んだことはそれだけ心を痛めたことだろうし、だからって今になって会ったりしても何かが変わるわけではないもの」

 失ってしまった命はもうどうにもならない。ファリテはすでに死んでいるのだから生き返ることもできない。それでは家族に会うと言うことは、かえって悲しくなるのでは、と。

「ファリテ、これまではあなたがこの役目をやってたんでしょ? だから今度はあなたの番なんだよ。大丈夫、私が傍にいるから怖くない」

「……うん」

 いつもだったらこのやりとりは逆の立場だったはずだ。

 不安げな水奈をファリテが引っ張っていった。

 しかし今回はこれが水奈の任務なのだ。今度は自分が彼女を引っ張っていかねばならない。

今回はファリテ自身が自分の家族と対面をするのだ。

覚悟を決めて、二人は中へ入った。


 廊下を進み、奥のドアを開いた。そこには二人の男女がいた。

「お父さん……お母さん……」

 ファリテはようやく二年ぶりに家族の顔を見た。

 キッチンと繋がるリビングで、父親は新聞を読み、母親はせっせと洗濯物をたたんでいた。

二人とも目は儚げだ。大切なものを失って時間が経過しても、心に空いた穴が塞がらないかのように、その表情に生気はなかった。

ファリテが殺された日から二人は必死で犯人を捜したのだ。

日々警察の捜査に協力し、少しでも証拠や手がかりがつかめるようにと、日々身を粉にする思いで娘を殺した者を探そうとしていた。そんなことを二年もやっていて疲れ切ったのだろう。

そして娘を殺した犯人が捕まり、水奈がそれを裁いた。そんなことをしても娘が殺されたという悲しみは一生傷になる。

それでもまだ、犯人が見つかっただけでもマシなのかもしれない。娘を殺した者が今でもどこかで何食わぬ顔でぬくぬくとしていると思うと、それは許せなかった。日々誰がやったのかもわからない憎しみで心が締め付けられていた。犯人が逮捕されたと聞いた時、娘に報告できると思った。

しかし、いくら犯人に憎しみをぶつけようとも、娘は生き返らない。

結局は犯人が見つかったとしても、何も変わらなかったのかもしれない。

リビングの棚には、伏田理子の写真が飾られていた。殺された時の苦しい表情ではなく、優しい笑顔。死神としての冷酷さもない、普通の少女の顔で。

「ファリテ……いや理子さん。ちゃんと話さなきゃ。あなたの家族と」

「うん……」

 両親の様子を見て、不安になるファリテの為に、ここは自分がやらねばならない。

 水奈はブレスレットに力を吹き込んだ。宝玉が桃色に輝き出す。

一時的に死者と生者を通じ合わせられる能力を発動させた。

これまではファリテがこうして亡くなった者の家族と魂を引き合わせる役目をしていたのだが、今回は水奈の役目だ。ファリテの、伏田理子の為に。

「お父さん、お母さん。私だよ」

 そして、理子はそっと両親に語り掛けた。

 いつもの仕事の口調ではなく、実の家族に対する言葉遣いは水奈と同じように普通の少女の話し方だ。伏田理子はようやく家族に会うことができたのだ。

「理子……? 今の理子の声……?」

 突如聞こえた声に新聞を読んでいた父が顔を上げ、洗濯物を畳んでいた母の手が止まる。

「理子!? ここにいるの? 理子!?」

 二人はすぐさま棚の上に飾られている娘の写真を見上げた。

「理子なのか!? こんなことってあるのか!?」

 まさか今、ここで理子が写真の中から語り掛けているのではないかと思ったのかもしれない。

「そうだよ、理子だよ」

 声が応答した。これは意思が通じ合っているということだろう。 

 水奈の力によって、今は伏田理子が自分の両親と向き合っている。

「本当に理子……? 理子なの?」

「うん」

 二年ぶりに聞いた娘の声。死んだはずの、もう二度と話すこともできないと思っていた娘の。

「な、なんであなたの声が……これは幻?」

「ううん。少しだけ、神様が時間をくれたの。二人と話せるようにって」

 神様、という言い方は間違っていない。これは死神による水奈の力だ。

「神様?神様のおかげなのね。なんて奇跡なのかしら!」

 母親はむせび泣いた。あんな形で命を奪われ、会話もできなくなった娘がこうして語り掛けてきたのだ。

「理子、ごめんね。あの日、私がいなかったばかりに、強盗に入られて。あなたがとても酷い目にあったのに、私が守ってあげることもできなくて、あなたが最期にどれだけ怖くて苦しい思いをしたかを考えると、夜も眠れなかった」

 理子の母親はぼろぼろに涙を流しながらそう言った。

「あなたが死んだ後もずっと苦しんでるんじゃないかと思うと、苦しくて苦しくて仕方なかった。あんなに恐ろしい殺された方をして、死んだ後もずっと苦しみを味わっているんじゃないかって」

「理子、お母さんは君を亡くした時、もう大変だったんだ。お前が殺されて、なんで僕らが守れなかったんだろうって。僕も辛くて仕方なかった」

 実の娘があんな殺され方をして、二度と話すことができなくなった。

 娘を失った両親も辛いが、一番つらかったのは無理やりな行為で人生を終わらされた理子自身なのではないだろうか。

 伏田理子ももっと長く生きていたかっただろう。両親と一緒にいて、大きくなれば幸福な人生を歩んでいたのかもしれない。その夢も希望も失われた。一人の人間の手によって。

「私ね、殺される時は恐かった。死ぬ時も怖かった。やりたいこともあったのに、もう何もできなくて、学校に行くことも、友達と会うことも、夢をかなえることも、人生を楽しむこともできなくなって、もう二人にも会えないって」

 クレイドルデスゴッドであるファリテとしては全く言わなかった気持ちだが、それが伏田理子の本音なのだろう。

「あなたを死なせたのは私達にも責任があるのよ! あなたが殺される時に味わった恐怖を想像すると、なんで私の娘があんな目に遭わされなきゃいけなかったの。なんで……って。子があんな殺され方をして、もう私達は生きていけないとすら思っていた。私のせいで理子を殺したようなものだと思ったから」

 理子の母はもう、そのことにずっと負い目を感じていた。

「私達はあなたの夢を叶えてあげたかった。あなたが大人になる姿を見たかった。いつか結婚する時に見送りたかった。あなたを育て上げることが私達の役目だったのに、なのに……」

 娘が死んだのは自分達のせいではないのか、とずっと引きずっていたのだ。

「二人とも、犯人を逮捕してくえてありがとう。ずっと探してくれてたんだよね。私を殺したやつのことを。ずっと苦しんでたんじゃないかな。犯人がなかなか見つからなくて。私もいつのことは絶対に許せなかった。私を殺したんだもの」

 理子を殺した犯人を逮捕するまで苦労した。一日も早く娘を殺した犯人を突き止めたい。罰をあたえたい、と必死で捜査に協力した。犯人が捕まるまで、二人は憔悴した日々を送っていた。警察は根強い捜査の末、見つけてくれた。しかしそれでもなくしたものは戻らない。

「この前、あいつ死んだみたいだね。ある意味私の仇は取れたのかも」

実際に手を下したのはここにいる水奈なのだが。

道谷は先日、水奈が魂を回収して裁きを下したことで消滅した。

「あんなやつ、死んで当然だったのよ! なんの罪もない、私達の大事な娘の命を奪ったのよ! 見つけたら私達が直接あいつを殺したいと思ってたくらい! なのにあいつは捕まるまで、ぬくぬくと暮らしてたと思うと腹が立ったわ! 理子は殺されたのに、なんでお前は生きてるんだって。だからなんとしてもあなたを殺した犯人を見つけないとって思ってたわ」

 そのくらいに、理子の両親の犯人への憎しみは大きかった。

「お父さんとお母さんが私の仇を取るために、必死で犯人を逮捕するために頑張ってたこともわかるよ。だからずっと苦しかったんだね」

「だから、犯人もああなったし、二人はこれからは私のことを乗り越えて生きていてほしい。二人がこれ以上私のことで追い詰められないでほしい」

 それは理子の本音だ。愛する家族だからこそ、自分の分まで生きてほしいと。

「ずっと後悔してた。あなたが死んだ時、あの世でも苦しんでるんじゃないかって。ずっと犯人を恨んで未練があって成仏できないんじゃないかって。あなたが安らかに眠れないんじゃないかって。そして守ってくれなかった私達を恨んでるんじゃないかって」

「そんなこと、全然ないよ。最後にこうやって二人と話せたんだもの。私はもう思い残すことはないよ。二人のおかげで、私はようやく眠れそうだよ」

 眠れる、やはりそれはここではもう二度と来れないということだ。

「私は最後にこうして二人とお話できた。私はきっと、生まれ変われる」

 水奈ブレスレットが点滅し始めた。ここで話せる時間が残り少ないということだ。

「じゃあね。私は生まれ変わったらまた二人に会えるといいな」

 理子がそう言うと、タイムリミットになり、通信は終了した。

 最後のやりとりをずっと傍で見ていた水奈は、彼女のことが気になった。

 そんな水奈の様子を見て、理子はこう言った。

「行きましょう水奈。私はもう大丈夫よ。早くメディウム様のところへ戻らないと」

 彼女の口調は伏田理子ではなく、いつものファリテに戻っていた。

 それはもう、人間だった頃の自分とは決別したということなのかもしれない。

 理子の両親は少しだけ安心できたのかもしれない。娘が殺された後もずっと苦しんでいるわけではないと。それがわかったからだろうか。

「うん、帰ろうか」

 水奈は扉を開いた。そしてその中へ足を踏み入れた。

 水奈にとっては初めての任務がこれで一通り終わったのである。

 

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