第23話 事件はまだ終わらない

 社員達は自分の命は助かっても、まだ安心できなかった。


 犯人が立てこもった部屋にはまだ部長が残っている。

 自分達は逃がされていても、中にはまだ人質になっている上司がいるのだ。

 事件は終わっていない。岡崎は今もなお、人質をとり、立てこもっているのだ。

「部長は大丈夫なんだろうか」

 部下たちは、自分と共に人質になっていた上司を心配した。

「部長を解放するように説得してください!」

 一足先に脱出できた社員達は、上司を解放するようにと警察に懇願した。

 警察はさすがに岡崎が引火する可能性は低いと見ていた。

 ガソリン規模の爆発なら、犯人もただではいられない。


 事件現場に駆け付けた人質の家族の中にはあそこに残された部長の妻と息子も来ていた。

「早く夫を助けてください! お願い、犯人に解放するように説得してください!」

「父さんはどうなるんですか!? 早く、突入するとかなんなり救助してください!」

 息子はまだ中学生という年齢だった。事件を知って学校から慌てて現場へ駆けつけたのだ。

 中学生という子供の年齢では自らが父を助けに行くなんて行為はできない。これは警察が頼りなのだ。

 今すぐにでも自分達が助けに行きたい、しかしそれではなお危険である。

 今にも自分の家族が殺されるかもしれない。その極度の不安に、もはや家族は警察官に泣きついて来たのだ。早く救出せねば、自分の大事な家族の命が奪われると。

「現在、説得を試みているところなので、きっと必ず救出します!」

 警察はなんとかそう言って家族を落ち着かせようとしていた。

 妻にとっては最愛の夫が、息子にとっては敬愛する父が死ぬかもしれないのだ。

 ニュースでここの立てこもりを知った時は、自分の家族の会社ではないことを祈っていた。

 しかし、携帯電話にかけても連絡が取れなかったことから、これは本当の事件なのだと知った。


 部長を人質に残したまま説得が続き、十分ほどが経過した。

 立てこもりの時間が経過し、作戦会議で警察は突入する作戦を練り上げた。

 外には機動隊が待機する。いよいよ犯人確保までは秒読みかもしれない。

「岡崎、お前はもう包囲されている! これ以上無駄な抵抗をするようなら突撃も考えている! ただちに出てきなさい」

 これ以上事件を長引かせてはいけない。強行突破も作戦に入っていた。

 

 一方その頃、立てこもりの現場となっている室内は、部長がまだ恐怖におびえていたが、外の様子を見ると、もしかすると助かる希望も出て来たのでは、と一瞬期待する。

 このまま警察が突入して、岡崎が取り押さえられれば。自分は助かると。

 この恐怖から解放されるのでは、とそれに期待したかった。

 もうすぐここへ突入される。それはもうあと少しかもしれない。


しかし、岡崎はもうすぐ自分が取り押さえられるという焦った感情はないようだった。

その表情は達観していた。

 まるでこれも最初から計画通りだったことかのように。

 岡崎は最後の手段として計画していたことを実行しようとしていた。

 

 岡崎はその「ある計画」を実行する前に、部長に話しかけた。

「俺はお前のことをずっと恨んでたぜ。俺のことをくびにしたせいで、俺がどれだけ苦労したかわかってないだろって。それでのうのうと自分は仕事をしているこの会社のやつらが気に食わなかった」

 先ほどまで外の警察に向けていた荒々しい声ではなく、そのトーンは落ち着いていた。

 先ほどまで怒り狂うように叫んでいた者が突然落ち着いた口調になったのがかえって恐怖を煽る。

「な、何を言ってるんだね君は……」

 突然、何を言い出すのか、と思った部長はそう答えた。

「お前にはわかんねえんだろうな。俺が苦しんでいる間もずっと、普通に給料もらって家族と過ごしてうまいもん食ってたお前にはな」

 先ほどまでの外へと呼び掛けていた怒声とは違い、突然の語り。

「だから、あんたに一番いい復讐はこれだと思ったんだよ。これが最高の形なんだって」

 岡崎は、煙草を吸おうとしたのか、煙草をくわえた。

 そうなると、必然的にライターを出すことになる。

 このガソリンまみれの室内に、火を使うとはどういうことか。

 気化爆発でどうなるかはもう予想通りだ。

「や、やめてくれ!」

 部長は叫んだ。どうか火をつけないでくれと。

 そんなことになったら自分達も死ぬと。

「もう俺は終わりなんだ、お前も道連れだ。こうやって道連れにすることがお前への最高な報復だってな」

「や、やめ……!」

「じゃあな」

 部長の叫び声もむなしく、岡崎はライターに火をつけた。

その瞬間、部屋に残された部長は希望の光を失い、一瞬で絶望に包まれた。


爆音が響いた。

爆風でオフィスの窓ガラスが一斉に割れた。

窓から黒い煙が噴き出す。

 外にいた者達は叫びを上げた。岡崎が立てこもった場所から爆発音が響き、窓ガラスが粉々に砕けて地上に降り注ぎ、一気に辺りは煙の臭いが充満する。

ほんの一瞬だった。あっという間に煙に包まれた。

中に残された人質の家族である親子は絶望に悲鳴を上げた。まだあそこには、夫が、父がと。

 とうとう最悪な事態が起きてしまった。

 当然、その中にいた者がどうなったかは、もう誰もが予想がついた。

 人質は解放されることも、犯人が逮捕されることも、なかった。


 岡崎は最初からこのつもりだったのだ。

 人質をとって立てこもり、外へ解放や降伏条件への引き換えに様々な要求をしたが、それでもこんな事件を起こした時点で人質を解放しても、降伏しても逮捕されるのはわかっていた。

 それならばもう死んで、全てから逃げる、それを最初から覚悟していたのだろう。

 恨みに恨んだ上司を巻き添えにするために。

 自分の人生を台無しにした会社への復讐も兼ねて。

その為に、人質をとって立てこもった。要求を飲もうが飲まないが、すでにこうする計画を立てていたのだ。

 ある意味、これが一番の逃走劇だったのかもしれない。

こんな目に遭わせた理不尽な社会に報復したい、自分の命を犠牲にしてでも。


 人質にされた社員は最後どれだけ恐怖を味わったのだろうか。

 いつ殺されるかわからない恐怖に怯え、自分の命が奪われる覚悟をしていたのか、助かる希望を抱いていたのか。最期に何を考えていたのかも、もはや誰にもわからない。

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