第22話 恐怖の立てこもり


「水奈、次の仕事ですよ。すぐにファリテと一緒に私のところへ来てちょうだい」

 水奈が部屋で休息していると、画面にメディウムからの指示が届いた。

 やはりこの仕事は一つの任務が終われば、また次の任務が始まるのだ。

 それだけクレイドルデスゴッド達がやるべきことは多い。

それだけ現世では多くの人々が死を迎えているというわけだ。

ただでさえ前回の任務が終わってそんなに経過していない今は、精神的な疲れもあるが、それでも水奈には早くこの任務が一人前にできるようにならねばならないので研修は続く。


 水奈はファリテと共にメディウムの間に来た。

「よく来てくれました。水奈、もう大体の流れはわかりましたか?」

 メディウムの言うのは、この仕事がどういった手順で進んでいくかのことだ。

「はい。大体は」

 まずは死者の魂を回収する、次に加害者の魂を回収して裁きを下す。最後は亡くなった者の家族に魂を対面させ、魂をゆりかごに乗せて転生へと送り届ける。

「では、今回の任務についてです。これを見てください」

前回と同じようにまたもや現世への事件の映像を見ることから始まる。




 どこかのオフィスビルだろうか。

 背広を来たサラリーマン達やいわゆるOLといわれるであろう、女性社員が忙しく動き回る部屋が映し出される。

 パソコンデスクの上にはパソコンでの業務をこなし、書類が積み上げられている。

 それを社員と思われる人々が順々に仕事をこなしている。

ごく普通の会社だ。ここにいる人々はいつも通りに仕事をしている。

 こんな日常的な光景に、一体何が起こるというのか。


 しかし、その光景は突如崩されていく。

 オフィスビルの一階のロビーと思われる場所から何やら大声が聞こえた。

 その声の口調からして何者かが怒鳴っていると思われる。

 それが聞こえた社員達は、一体何事だ? と首をかしげる。

 そのままロビーにある受付を無視したかのように、中に足音が入っていく音がする。

 しばらくすると、三階にあるこの部署に廊下から大きな足音が近づいて来た。それはまるで、怒りかのように、どたどたと騒がしい音だった。

 部屋の外での大きな音に何事か、と社員が思っていたところだ。


 オフィスの扉がバタン、と荒々しく大きな音を立てて開かれた。

途端に部屋の中にいた社員達が扉に一斉に目を向ける。

 すると、突然の怒鳴り声が響く。

「お前ら、動くな!」

入ってきたのは身なりが汚らしい男だった。

 洗濯をせず、まるで何日も同じ服を着ているかのような伸びきった衣服に、髪も洗っていないのかボサボサである。髭も伸ばしっぱなしでだらしなく見える。その形相はまるで、鬼のように怒り狂っていた。

 その男は片手にはナイフを掲げ、もう一方の手には腕で抱え込むほどの大きさの金属のような缶を持っていた。まるで、オイル缶のようである。

 室内にいた社員達がその手に持った凶器と、オイル缶のような物体に悲鳴を上げる。

 そこで、この部署の中でもっとも年上であろう社員が男の名前を呼んだ。

「き、君は三カ月前に辞めた岡崎くん!」

 社員が名前を知っているということは、岡崎と呼ばれたこの男はどうやら以前ここのオフィスにいたようである。前にここに勤めていた元社員だったのだろうか。

 名前を呼ばれ、男は社員に怒鳴りつけた。

「辞めただあ? お前らが一方的に俺を解雇したんだろうが!」

「し、しかし君はすでに退職したことになっていて……」

 男を刺激しないようにと、社員は弱々しく答える。

「ふざけんじゃねえよ! お前らのせいで、俺があんな目に遭ったんだ!」

 どうやら岡崎はここで社員として働いていたが、なんらかの理由で解雇されたことを恨みに持ったことで、ここに乗り込んできたのだ。

「この缶の中にはガソリンを入れてある。もしも俺がこれに引火したら、お前らどうなるかわかってるんだろうな!?」

 岡崎はそういうと、腕に抱え込んだオイル缶の中身を床中にぶちまけた。

 室内の扉の周囲にガソリンがまかれた。部屋中に一気にガソリンの臭いが充満する。

 これは本気だ、と察した社員達は悲鳴を上げ、一斉にパニックとなった。

 岡崎が入口を塞いでいるので逃げられない。その手には刃物を持っている。

 出て行こうとすれば、その刃物の餌食になるだろう。

 この状況で火をつけられたらどうなるか。

こんなに大量のガソリンが撒かれている状態で、そんなものにこんな室内で引火でもすればとんでもない規模の大爆発が起きるだろう。

もちろん、その爆発にはこの室内にいる者全員が巻き込まれる。

 社員達は、最悪な事態を想像して、叫ぶ者もいれば、その場で腰を抜かす者もいた。

「お前ら全員人質だ! 今から俺の言う通りにしろ! 俺の言うことが聞けないんだったら、すぐにここに火をつけるからな!」

 すでにガソリンが撒かれたこの状況ではそれが本気なのだとうかがえる。

社員達は真っ青になり、岡崎に誘導されるがままに、部屋の隅へと押し込まれた。

窓の近くだとそこから逃げられることを想定してだろう。

この部署があるのは三階。飛び降りれば助からないこともないかもしれない高さだ。

岡崎が人質を動かす為に、室内にあった椅子や机を蹴飛ばしたので、もはや先ほどまでの整頓されたオフィスルームは完全に荒らされていた。

「てめえら、今からパソコンも携帯も使用禁止だからな! ちょっとでもおかしな真似してみろ! すぐにドカンだ!」

 男はそう言うと、室内の社員達のスマートフォンや端末といったものを没収した。

ほんの一時間程前まではここはいつも通りの人々が動いていた。それがほんの一瞬でまるで戦場かのような大惨事になった。


 同じオフィスビルのこの部署の外の者達がここの異変に気付き、すぐに警察に通報した。

 ほどなくして、ビルの外には警察官が集まり、消防車や救急車も集まって、まさに事件現場のようになった。

 大勢の警官が集まり、黄色いテープで周囲に規制線を貼っている。

 街中のオフィスビルでそんなことが怒り、何事かとその騒ぎを聞きつけて、ビルの周りにやじうまが集まろうとしていたが、ガソリンをまかれ非常に危険な状態だと警察が規制した。

 オフィスビルの周囲はもはや戦場である。犯人と戦うのだから戦場で合ってはいるが。

岡崎はガソリンをまいて火をつけると脅した。要求を飲まないと即火をつける、人質を殺すと脅した。

その為にビルの中に入ることも、強制的に突入することもできない。

完全に立てこもりである。人質を取って、自分の言うことを警察に聞かせようとするために。

 人質の命がかかっている以上、立てこもりを長引かせない為に、刑事がメガホンで犯人に説得を試みる。

「今すぐ武器を捨てて人質を解放しなさい!」

 すると、男は外にいる警察官に向けて、窓からこう叫んだ。

「まずは俺に金を出すんだな! 四千万くらいでいい!」

 岡崎はまず身代金を用意しろ、と言った。

 こんな事件を起こせば大金を入手したとしても、警察に捕まり、その金を使うことはできないという意識はないのだろうか。

 そのやりとりをしている間も、中に取り残された社員達はただ怯えるしかなかった。

 早く助けてくれ、という気持ちもあれば、警察が犯人の機嫌をそごねたり、要求を飲まなかったらすぐに自分達は殺される。もうすぐ自分達は死ぬのだろうか。しかし抵抗すればこの部屋中に撒かれたガソリンに引火されるのでは、と恐怖に包まれた。

岡崎は立てこもっている間、常に携帯電話をいじっていた、人質には常に刃物を向けていた。

 少しでも動こうとすれば、刃物で脅された。

 上司に対して、愚痴をひたすら向けていた。それがますます社員の恐怖を煽る。


 部屋に立ち込めるガソリン臭。少しでも火の元があれば瞬時に何もかもが吹き飛ぶだろう。

 人質となった社員達には一分一秒が長く感じ、早くここから逃げたいという恐怖でいっぱいだった。誰か助けてくれ、と外の警察がなんとかしてくれると祈りながら。

説得と岡崎の要求の押し問答が続き、それからしばらくして、警察は要求通りの四千万を用意した。

「要求通り四千万を用意した! 人質を解放しなさい!」

 メガホンで叫ぶ。警察にも焦りはあった。あまりにも事件を長引かせると、いつガソリンに引火されるかもわからない。岡崎の機嫌次第では持ってる凶器で人質が殺される可能性もある。

 慎重に対応せねばならない、という緊迫感もあり、現場は緊張が走った。

 その必死な説得により、岡崎はこう言った。

「わかった。部長以外の他のやつらは解放してやる。だが部長には残ってもらう」

それを聞いた時、人質の大半は安堵した。自分はこれで外に逃げられると。

解放の条件は自分の元上司であった部長のみを残し、それ以外は解放するということだった。

しかし部長のみは残すということだ。自分を解雇した部長には恨みがある、こいつだけは解放させるわけにはいかないと。

 岡崎は立てこもっているオフィスビルの部屋から人質を解放した。

 部長以外の社員が外に逃げることを許可したのだ。

 自分が解放されるとわかった時、人質になっていた社員達は「助かった!」と声を挙げながら無我夢中で外へ逃げて行った。

 ビルの玄関から出ると、空や町を見ると、自分はあの危険な場所から逃げられたのだと一度に解放感が襲ってきた。これで爆発にも刃物にも怯えずに済む、と。

人質達は待機していた警察官達に保護され、ビルの出入り口から外へ脱出できたのだ。

 先ほどの長く続いた緊張感によりもはや足取りはガクガクで、逃げることでやっとだったが、あの現場から外に出ることができ、警察に保護されたことで、これでもう自分はあの犯人から脅威に晒される心配もない。凶器とガソリンの餌食にならなくてすむ、と。

 これほどまでに人生最大の危機から救われたことはかつてない経験だ。

 もう少しあそこにいたらどうなっていたかわからない。

 一度本気で死を覚悟しただけに、それはもうどれだけの解放感だったか。

 現場には人質の家族も来ていた。ニュースを見て、自分の家族が働いてる会社だということを知って、その家族達が駆け付けてきたのだ。

 当然ながら人質になっている間はスマートフォンといった携帯端末は岡崎により没収されていたので家族と連絡を取ることは一切できなかった。

 なので自分の家族が中でどうなっているかもわからず、ただ無事を祈るのみだった。

 解放された社員達は家族との再会を喜び「無事でよかった」と慰め合うが、あそこに残された部長の家族達にとってはまだ事件は終わっていない

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