第20話 これからも強く生きて


水奈とファリテ、二人が美奈のいるアパートの部屋にたどり着いた。

日草の眠っていた部屋と同じように、壁をすり抜けて部屋に入る為に、もちろん二人の姿はこの部屋の住民には見えない。音も、声も気配も感じない。


そして、その部屋には、先ほどまで映像で見えていた彼女がぐってりを壁を背にもたれている姿があった。

「え……!?」

 一瞬、もしかして手遅れだったのでは、と水奈は焦った。

 自分達がここへ来るまでの間に、彼女はもうすでに行動をしてしまったのかと。

「水奈、落ち着いて。まだ大丈夫だわ」


 美奈の身体からは血は一滴も出ていない。呼吸もしている。

 美奈は首にカッターナイフの刃を向けては、何度もその手を中断させていた。

 死のうと思っても、やはり力が出ない。首を掻っ切るくらいの痛みは父が最期に感じた痛みよりはまだ楽だとはわかっている。しかし、それでも一瞬は激痛が襲い掛かるだろう。

 そう思うと、絶望の中ではあっても、なかなか踏み切れなかった。

「やっぱりできない……私に死ぬなんて」

 美奈はやはり死のうとする恐怖で手が止まり、それで疲れ切って壁に背をもたれていただけだった。

 絶望感でいっぱいだが、もうどうしたらいいのかわからない気持ちが交錯していた。


「水奈。じゃあ力を発動させるわよ」

 美奈の様子を見て、ファリテがそう言った。

「力って?」

「対象の魂と一緒にいる時だけ、この能力を発動してる間だけ、私達は生きてる人間と少しだけお話ができるの。姿は見えないけど、声のみの通話ならできるわ」

「そんなことができるんだ」

 これもクレイドルデスゴッドの能力のうちの一つなのだろう。この任務に必要不可欠な能力として、大事なものだ。これができるのはまさに死神といった特殊な者だからだ。

ファリテの腕輪が桃色に光った。

桃色の光が、部屋中に照らし出された。とはいってもこの光には生きてる者には見えないので、あくまでも二人の視界に映るだけだ。

「これがこの仕事で一番重要なものよ」

 そして、ファリテは例のゆりかごを出現させて、それを美奈の前にそっと置いた。

「これで春樹さんの魂と娘さんを話すことができるようになる」

「そんなことできるの?」

「こうやって、一時的だけ、死んだ人の意思を伝えることができる。最期を看取ることができなかったまま死に別れした人達を」

 つまりこの能力は、クレイドルデスゴッド達が生きてる者と話せるようになる上に、さらに回収した魂をその家族に繋げることのできるものだ。


 準備が整い、ファリテはそっと語り掛けた。

「聞こえますか……?」

 ファリテの声に、美奈はびくっと反応した。

 誰もいないはずのこの部屋に、何者かが入ってきた気配もない。

「誰!?」

ここには自分しか住んでいないのに、と。となるとこの声はいったいどこから聞こえるというのか。

「私達は冥界の使い。あなたの悲しみに、私達が必要だと思い、ここへ来ました。あなたの元へと私達が行くべきだとのお告げを受けて」

「冥界……?」

 突然出てくる幻想染みた発言。

「嘘、そんなもの、信じられない。冥界なんて、そんなのおとぎ話だわ! 誰よあなた!」

 冥界といえば死んだ先の場所のイメージがある。そんなもの、所詮ファンタジーの創作物でしかない。これは何者かがからかっているのだろうか? と美奈は思った。だとするとこの状況で、なんと酷い冗談だと。

「ですが、現に私達はこうしてあなたと話しているでしょう。こんなこと、普通の人間にできると思いますか?」

 何も知らない人間にとってこれは幽霊の声ではないだろうか、とも思えるが、一方的ではなく、こうして会話が成立している、そらならばこれは冗談ではないのかもしれない。

「そうだ、冥界って……」

 冥界といえば、死者が絡む場所というイメージがある。

 それを聞いて、美奈はすぐに父のことが思い浮かんだ。

「冥界ってことは、お父さんはそこにいるの?」

 死者の行く場所ならば、自分の父もそこにいるのではないかと。

「はい。あなたのお父さんの魂は私達がしかと保護しました」

「保護……」

 では父は今、この者の元にいるのだろうか、と美奈は思った。

「そして、あなたのお父さんを殺した犯人は、私達死神が裁きを下しました。あの犯人の死亡は事故や持病などではなく、神の使いである私達によるものなのです。あの者は私達の上司である、冥界でも偉い人が相応の罰が必要と判断した為に、私達がその役目をになったのです」

「えっ」

 美奈はそれを聞いて驚いた。犯人の死、あれは偶然ではなく、そういった者など誰かの手によって実行されたものなのだと。

「仇を取ってくれたってこと?」

「はい。私達の手で、間違いなく」

 美奈はそれを聞いた時、信じられなかった。

 美奈は一瞬、自分の父を奪った憎い相手を許せなかった。しかし、それをこの者達が制裁を加えたというのだ。人を殺めた罰として。

人に手を下し、命を奪う。それはまさに死神のやることではないのか。

「でも、仇をとったとしても、お父さんはもう帰ってこない」

 例え自分以外の誰かが犯人に手を下したところで、殺された父が帰って来るわけでもないのだ。すでに死んだ者を殺した犯人を死なせたところで、ただ両方が死んだだけである。

「お父さんはあなたを大事にしていた。あなたのお父さんが私達に言いました。あなたを一人にさせてしまうと悲しんでいました」

 春樹敏夫が死んだ直後、魂を回収した際に言っていたことを伝えた。

「なので、ここへ連れてきました・あなたのお父さんの魂は今、私達の元にいます」

「えっ」

 美奈は驚いた。自分の父が今、ここにいるというのか。すでに会うことができないと思っていた父がこの場に来ている。二度とここには戻ってこれないと思っていた相手が。

「会わせて! お父さんに会わせて!」

 美奈はそう懇願した。もう二度と会えないと思っていた父が今、ここにいると。

「仰せの通りに」

 ファリテはそういうと、ブレスレットに力を集中させる。今度はそれも桃色に輝いた。

部屋の中央に光が集まり、ゆりかごの中の魂が光り輝く。

 ファリテはゆりかごから春樹敏夫の魂を抱き上げた。

「あなたのお父さんよ」

生前の姿を再現することはできないが、光に向かって会話することはできる。

 桃色に輝く煙のような魂、それはまさに人魂だ。

「美奈……私だ」

 春樹敏夫は娘にそう呼びかけた。

「お父さん……お父さんなの?」

 聞き間違えるはずがない。美奈にとっては子供の頃から何度も聞いて来た父の声。ほんのつい先週までは毎日聞いていた愛する家族の声だ。

「この方達が少しだけ時間をくれたんだ。お前と最後の別れができなくて、それが無念だった」

 もう二度と声を聞くことも、話すこともできない家族が自分に語り掛けている。これはなんという奇跡だろうか。唐突の別れで何も言えないまま話すこともできなくなってしまった、それも人の手で無理やりにそうされた。その家族が、今ここにいる

「お父さん……もう話せないかと思った」

 美奈は二度と聞くことができないと思っていた家族の声に涙を流した。姿が見えなくてもいい、父の意思とこうじて通じれるだけで、これはもう奇跡だ。

「お前を一人にしてしまうことが、悲しかった。もう会えない。私がいなくてお前が大丈夫か、心配で心配で。私が殺されたことは、お前にとって一生の傷になる」

「そんな……お父さんだって苦しかったのに」

 美奈は父の最期を想うと悲しかった。

 自分を育ててくれた父が、あんなにもむごい殺され方をした。

 何かをしたわけでもないのに、犯人の自分勝手な都合で。犯人を許せるはずもなかった。

「私を殺したやつのことは、私も許せなかった。いきなり私を殺したのだから、人生を終わらせた。しかし、だからこそこの人たちはあいつを裁いて私の仇を取ってくれた」

 もちろん、そんなことで殺された事実が変わるわけでもないのだが。

「美奈、どうかお前は自分で人生を投げ出すようなことはしないでくれ。お前が死ぬなんて、私と同じことになるなんて嫌だ。せめて私の分まで生きてくれ。お前が生きていることが、私にとってはそれが一番の願いだ」

 美奈は先ほど自害しようとしていたのだ。その行動は、決してあってはならないと。

「お前はきっとこれから生きていればいいことはある。お前のことを好きになってくれる者もいるかもしれない。私のように家族になってくれる者も現れるかもしれない。もしかすると、私よりも幸福になれるかもしれないだから、生きてくれ」

 それは娘に伝えたい、心からの願いだった。

「私はお前が生まれた時、幸せだった。母さんと美奈に会えて幸せだった。お前と生きれて幸せだった。大切に大切に美奈を育ててつもりだった。だからその大切にしていた娘であるお前が自ら死ぬなんて、やめてほしい」

 それだけ、娘が自分で死ぬということはいけないと伝えたかった。

「美奈、人を憎んだり、恨むからといって、決してそれを人に向けたりしないでくれ。犯人は裁きを受けた。この方々が制裁を下してくださった。もちろん、私が殺されたという事実は変わらない。世間の目もある。しかしいつかは時間が解決してくれる。お前も立派に生きるのだ」

 美奈はボロボロと涙をこぼした。

 最後の会話もないまま、死に別れてしまった。その父がこんな言葉を投げかけてくれたのだ。

 きちんと今度は正式にお別れの言葉として。

「お父さん、ここにはいれないの? もういっちゃうの?」

「私にはもう残された時間は少ない」

 ファリテの能力の光が暗くなりつつある。おそらくこれが消えた時、この能力の発動時間も終わるのだろう。

「あなたのお父さんは、私達が大切に扱います。お約束します」

 いよいよこれが本当の別れの時なのだ。美奈は涙が止まらなかった。

 せめて、別れの言葉なしに死別したのだから、こうして最後に会話ができただけでもよかったのかもしれない。

「お父さんの言葉、最後に聞けた」

 美奈は腕で目をごしごしとこすり、涙を拭いた。

「犯人は許せないけれど、お父さんみたいな人を出さないように、今後の犯罪防止にへと役立てられるかもしれない。お父さんの死は無駄じゃないって。二度とお父さんみたいに悲しい人を出さないように。私は、生きる。お父さんと約束したもの」

 その目は生きる希望で輝かせていた。

「さようならお父さん。きっと、私頑張るから」

「さよならだ。元気でな」

 能力発動時間が終わった。これで、本当の最後の別れが達成されたのだ。

 春樹敏夫の魂を、ふたたびゆりかごに乗せると、そのままファリテはゆりかごを抱えた状態で、水奈と共に出現させた扉に入り、冥界へと帰っていった。

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