第13話 初めての任務
金色の空間をひたすら歩くと、ようやく先が見えて来た
たどり着いたのは、先ほど映像で見えていたコンビニらしき建物の外だった。
日本のコンビニエンスストアだったようで、あの後、誰かが警察に通報したのか、今は多数の警察官の雑踏で騒がしい状況となっていた。
どうやら先ほどのスクリーンで見た映像の続きである。
事件現場の第一発見者が通報したのかもしれない。
外には何台もパトカーが止まり、事件現場の周辺は深夜だというのに、騒がしい。
外は一般人立ち入り禁止の規制がされているが、すでにこの世の生きた人間ではないファリテと水奈にとっては関係ない。
「私達の姿、誰にも見えてないんだね」
無関係の人間が事件現場に踏み入ろうとしているのに、誰も水奈たちのことが見えていないのか、まるで何もいないかのように、二人の気配にすら気づかない。
たくさんの警察官がいるが、当然ながら水奈たちの姿は誰にも見えていない、声も聞こえない。
「私達は生きた人間ではないから。実質この世でいえば幽霊みたいなものよ。一般人には見えないし、存在を感じられることもないわ」
水奈は現世でいえば死んでいる身なので幽霊、と言われればそれはそれで合っている。
水奈達はコンビニの店内に足を踏み込んだ。
通常ならば気軽に商品を買いに行けるという便利さのコンビニは、今は地獄のようにすさまじい状況だった。
警察官は皆辛辣な表情で現場を探る。人が死んでいるから当然か。
第一発見者と思われる客に、話を聞いている。
そして、レジには先ほどの映像の被害者となった店員、だった男性の遺体が横たわっていた。
警察はついさっき来たばかりで、まずは現場検証からだ。
「間近で見ると、本当に怖い……」
複数の警察官が店内をカメラで撮り、何かを話している。
ドラマでよくまさにドラマでよく見る殺人現場の場面だ。
こんな場面を実際に目にすることになるとは、と水奈は思った。
「さあ、水奈、魂の回収よ」
衝撃を受けている水奈に、ファリテは任務を忘れるなというばかりに声をかける。
どうやら彼女はこういった場所に慣れているのか、動揺しない。
きっとこれまでもこういった仕事を何度も経験してきたのだろう。
二人は男性の遺体の傍に来た。
間近で見る人の死体は、なんとも生々しいものだった。
身体中から血が噴き出て、刺された部分の衣服が破けていて、そこから痛々しい傷口が露出しており、あらゆる場所から血が垂れている。
血の色は若干変わっているものに、そんなに凝固していないところを見ると、つい先ほどこの惨殺が起きたばかりだということを思わせる。
瞳孔が開いており、男性は恐怖の感情の表情のままで死に絶えた。
死後硬直の為か、死んだ時と同じ体勢のままで固まっている。
匂いを感じ取ることができるのならば、恐らくここは血生臭さででいっぱいだっただろう。しかしこの水奈達の姿は人間には見えない。つまり生身の人間としてここにいる存在ではないのだ。だから現場の匂いを感じ取ったりすることはできない。
この死体が先ほどまで、強盗と言い争いになっていた店員なのだ。
あれほど恐怖の声を発していた者が、今はもう二度と喋ることはない。
ほんの数時間前まで、いつも通りの仕事をしていたはずなのに、今はもう死んでいる。
一人の人間の無理やりな行動により。
「この人、可哀そう……」
なぜ何もしていない、突然押し入ってきた強盗にただ要求を飲まなかったという理由で殺されなければならなかったのか。
この店員はただ、まともに職務をこなしていただけだ。要求通りすぐに金を出せなかったのだって、仕方ない。
ただ相手の思い通りにならなかったという理由で理不尽に命を奪われたのだ。
「水奈、そんなことを言っても仕方ないわ。早く任務をやりましょう」
水奈達にはこの者を生き返らせる術などない。あくまでも死神としてやってきただけだからだ。
これがこの仕事の大きな任務である「魂の回収」だ。
この役目はファリテ達クレイドルデスゴットに与えられた使命だ。
今ここにいる者ではその役目をできるのはファリテだけだ。
ファリテ達が話をできるのは死んだ人のみ。
そして死んだ者を連れて来たのみだけが話せる。死者の意思を使うことで。
「水奈、こうして魂を回収するの、よく見ててね」
ファリテが死体に手をかざすと、ファリテの腕にはめられたブレスレットの宝珠が紫に輝き出した。
すると、その遺体からゆっくりとぽう、と一筋の煙のようなものがでてきた。
その煙は、丸い水晶のような形になり、紫色に漂っている。
「これが、魂?」
これはまさに人魂というものだろうか。
生きていれば絶対に人魂というものは目に見えることはない。
これができるのは、まさに死神だからだろう。
すると、その丸い物体から何かが聞こえた。
「はっ!」
人魂は何かに気づいたように水奈たちに語り掛けた。スクリーンで聞こえた店員の声と同じだ。どうやら声からして先ほど殺された男性らしい。
「あの男は! どこへ行ったんだ! とても恐ろしい目に遭った。早く通報しなければ! 警察を、警察を呼ばねば! 誰か、助けてくれ!」
店員の魂はまだ自分が死んだことに気がついていないのか、事件発生の時の記憶を引きずっているようだった。
さきほどまで激痛の苦しみの中、こと切れても、魂となった今は痛みを感じない。
それでは自分がどうなったのかは把握できない。
「は! なぜ私が倒れているのだ!? なんだこの血は! あの男はどこへ行った!? 警察が来てくれたのか! なぜ誰も私に気が付かないのだ。なぜ誰も救急車に運んでくれないのだ!?」
下には倒れている自分の身体。そして周囲には大勢の人々。しかし誰もこの店員の声に気が付かない。なぜ声を挙げているのに誰も気づいてくれないのか、と。
周囲の状況についていけない魂に、ファリテは語り掛けた。
「辛いことを言いますが、あなたは今、この世でいう「死」を迎えました」
周囲の生きた人間には水奈達の声は聞こえない。
死神だからこそ、死者である人魂とは会話できる。
もちろんこの人魂との会話は、周囲の人間には聞こえていない。
「なんだって!? 私は死んでしまったというのか!?」
店員はまだ自分の姿が今、魂という存在になっていることも実感できていないようだ。
「はい、残念ながら」
ファリテは死者と向き合うというこの状況に臆しもせず、慣れているようにふるまう。。
恐らく今までもこうして魂を回収する任務を何度もこなしてきたのだろう。
今回もまたいつもの任務といわんばかりに。
「嫌だ、信じられない。この身体に戻してくれ! 私は死にたくない! 早く、助けてくれ!」
まだ状況を受け入れられない男性は取り乱した。
なんと声をかけたらいいかわからない水奈はその様子をただ、隣で見つめていた。
「あなたたちは、お迎えの天使でしょうか、それとも死神でしょうか?」
「どっちとも、とれますね」
ファリテはあえて「死神」という言葉は使わない。
死ぬ時に死神がやってきた、と思わせるのは絶望的な響きがある。
それならば天使と思われている方が死者にとってはまだ気が楽である。
なのであえてそれは死者によってはどちらともとれる、という言い方をするのだ。
「私はこのまま、あの世にでも連れていかれるのでしょうか」
店員の魂は、悲しみの入った声でそう言った。
「お願いします、私の魂を身体に戻してください。私には娘がいます。私が死んでしまったらあの子はどうなるのでしょう。妻はもういません。私がいなければ家族は困ります。私が死んだことで悲しませてしまいます。あの子を一人にさせてしまいます。どうか、どうかお願いします……」
店員は今にも泣きそうな声で、家族への想いを綴った。
この店員だって、深夜の仕事とはいえいつも通りに家を出て来ただけだ。
この日に自分が死ぬなどと一筋も思っていなかっただろう。
家族に会えるのはあれで最後だったというのは想像ができなかった。これがどれだけ絶望的か。
「あの子に、会えなくなる。あの子はまだ私が必要だ。若いうちに父親を失うなんて思いはさせたくない。どうか、どうか……」
余命宣告された重い病気でもない、事故でもない。本来なら死ぬ必要のなかった人間が。同じ人間である自分勝手な者の思考により無理やり死に追いやられたのだ。
自分が生きることができなくなることも、全てを失うことも、それが人の手でやられたことには無念でしかない。
こんな身勝手な理由で人生を奪われ、家族に二度と会えないなんて、どれだけの辛さだろうか。
家族のことを恨み、家族に冷たく当たったまま、死を迎えた水奈とは正反対だ。
「あなたが神の使いか何かなら、どうか生き返らせてくれませんか。このまま死にたくない」
「……残念ながら、それはできないのです」
少し申し訳なさそうに、ファリテは事実を突きつけた。
水奈たちの役目はあくまでも死神であって、万能な神ではない。
死んだ者を蘇らせるといった魔法のようなことはできないのだ。
「ああ、そんな。死にたくない、ここで終わりたくない、もっと生きたい」
家族に会えなくどころか、もう娯楽を楽しむことも、人生の喜びを味わうこともできなくなる。それは辛いことでしかない、
「あなたの気持ちはわかります。ですが、もう時間がありません。魂を回収させていただきます」
その時、店員の魂が何か言いかけたような気がしたが、ファリテは先に任務を始めた。
これ以上死者の言葉に耳を傾けていても、無念の想いを語られるだけできりがないからかもしれない。非道に見えるが、ファリテもまた自分の役目を果たさなければならない。その為にここへ来たのだから。
ファリテの手が光ると、両腕に抱えられるほどの大きさの光の物体が現れた。ちょうど、それは母親が赤子を入れるようなゆりかごに似ている。
これが死者を入れる「ゆりかご」というものだろう。
ここに魂を入れ、連れて行く。その魂はゆりかごで眠る赤子のように、安らかになれるという意味もこめられているのかもしれない。
ファリテは魂をそっと抱き上げた。母親が赤子を抱くように、死にゆく男性の魂を回収して「ゆりかご」に乗せる。赤子をゆりかごに乗せるように、大切に魂をその中に収める。
こうすることで助からなかった者を楽にできるのだ。
このやりとりだけを見ればまるで天使のようにも見える。
しかしやはり身体から魂が引きはがれた上で回収するのだから死神なのかもしれない。
天使のように死者とは柔らかく対応することもできない。
ファリテが魂を入れたゆりかごを頭上に持ち上げると、そのゆりかごは姿を消した。
これがメディウムの元へと魂を連れて行く方法なのだろう。
ファリテは魂を回収すると、空中に何やら円のようなものを描く。
すると、ここに来た時と同じように光る空間が現れた。扉だ。
どうやら死神は任務が終わると、こうして自分で帰る道を出現させられるようだ。
「水奈。帰るわよ」
「うん……」
二人でその扉の中へ入ると、行きと同じように階段のような足場があり、それが上へと続いている。
しかし来る前とは違う、水奈達は今、一仕事を終えたところなのだ。死者の魂を回収するという任務を。
「水奈、よく見ててくれたかしら? これがこの仕事の任務というものよ」
扉の中の階段を上りながら、ファリテは水奈にそう聞いた。
「うん……。でも、これやっぱり辛いよね。死んだ人の悲しみも、もう変えることもできなくて、生き返らせることもできなくて、死んだ人に事実を理解させて魂を回収するしかないって」
この任務の様子を初めて見た水奈の感想はそれだった。
死者に助けて、と懇願されても哀願されてもそれを叶えることはできない。死んだという事実だけを押し付けて、自分達はただその魂を回収するしかないのだ。
「今回は研修だけど、これからはあなたもこの任務をやることになるのよ」
果たして水奈はファリテのような慣れたやり口でこんなに重い任務をこなすことができるのだろうか。
死んだばかりの者と話して、魂を連れて行くなんてかなり重い役目だ。
死者はああして「死にたくない」という気持ちを言葉に出す。
そんな姿を見てしまったら、自分の場合、その悲しみに持っていかれ、任務ができなくなってしまうのではないのだろうか。
「この人、悲しそうだった」
水奈は先ほど回収した魂の持主についてそう言った。
「無理やりにあんな酷い殺され方して、無理やり命を奪われて、人生を終わらさせるなんて。突然すぎるし、一方的だし、可哀そう。もう家族に会えなくなるって言ってたし、この人の家族ってのもどうなるの……」
水奈は死んだ者のことも、残される者のことも考えるのも辛い。
水奈は自分が死ぬ時は、そういった悲しみの感情はなかった。
むしろ「これでいい」とすら思っていた。
学校でいじめに遭い、安心できる場所のはずだった家でもあの通りで居場所をなくした。
やりたいことはあっても、それができなさそうで、それならば死んでもよかったと。
自分の死を無念と思っていなかったからこそ、この仕事に適性があると選ばれたのかもしれない。
しかし、死ぬ人間はみんながそうではない。やはり自分が死ぬことについて人生が終わらせられることも、家族に会えなくなることも、生きるということができなくなることは辛いはずである。死を受け入れた水奈と違い、まだまだ死にたくなかった者もいる。
「そんなことを言ってたらこの仕事は続けられないわ」
水奈は正式なクレイドルデスゴットと就任すれば、今後はこういった任務を何件もやっていくのだろう。それは非常に重い仕事だ。
「でもね、この仕事をやっててよかったって思うこともあるのよ」
ファリテはそう言った。
惨殺な現場を見て死者の魂を回収する。こんなに重い任務に良いと思うような部分なんてあるのだろうか。自分達は名前通り死神でしかないというのに。
「さ、メディウム様に報告しなくちゃ」
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