第4話 襲い掛かる絶望
そんなことがあってからも一週間、水奈にとっては不安定な心で過ごすことになった。
ほんの少し前まではいつもの日常だった家も、あの日から大きく変わってしまったようにすら思える。
父親は再就職をしなければ、と毎日仕事探しにとハローワークへ通った。
果たして父の仕事が決まる日はいつなのか。
水奈は学校で宮田達とあんなことがあっても、そのことは決して両親に話さないことにした。
ただでさえ不安定な家族に、自分が学校で嫌なことがあったと知られるのは心配をかけてますます不安にさせるだけかもしれない。
しかもそれはまさに両親に関わることだったのだ。決して言うわけにはいかない。
今はただ水奈が耐えていればいいだけの話だ、いつかは解決すると思えば苦しくない。
家庭がそんな状況になってから、両親は夫婦喧嘩が増えた。
父親の再就職がうまくいってないことに、二人は焦りも感じるのだろう。
水奈が自分の部屋にいても、下の階から二人の怒声が聞こえてくることが多くなった。
「あなたは大体そんなだから! だから仕事が見つからないのよ」
母親が怒鳴る声が聞こえて、「ああまたか」と水奈は嫌な気持ちになった。
「今まで私にばっかり家事を押し付けて! 仕事と家事の両立がどれだけ大変だったかわかる? あなたは今まで仕事にだけ集中してればいいからわからなかったのよ! その仕事がない今は、私一人になんでも押し付けるのはおかしいわよ!」
これまでも夫婦喧嘩をすることは度々あったが、今は明らかにそれまでとは違う。
両親の怒声が聞こえる度に、水奈は不安定な気持ちになる。
今まで両親がうまくいっていたので、これは嫌だった。
まるで、その関係が崩れてしまうのではと。
「あなたが仕事がない今、これからどうすればいいっていうのよ! あの子大学行きたいのよ! 水奈の将来を応援するつもりじゃなったの!?」
今度は水奈についての内容が聞こえてくる。
ただの夫婦喧嘩ならともかく、水奈は自分のことを喧嘩の話題にされるのは嫌だった。
「だからそれは俺が仕事探して頑張って働くから」
「あなたのお給料だけじゃ家が厳しいってわかってるでしょ? 今まで私も働いてきたからなんとかなってたのに! そのあなたが今こうなのよ!?」
「そんな言い方はないだろう」
「あなたに私の気持ちなんてわからないでしょう! 今までずっと頑張ってきたのに!」
自分のことを出され、不安になった水奈は部屋を出て、階段を降り、二人の元へ来た。
母親は怒りの表情で父親を睨み付けていた。
「ねえ、どうしたの二人とも、落ち着きなよ」
少しなら喧嘩の仲裁になるかもしれない、二人の怒りが収まるかもしれない、と水奈は声をかける。
「水奈、心配することないんだ、お母さんはちょっと苛ついているだけだから」
父親がなんとか娘に心配をかけないように、と穏やかに言った。
二人が経済的な話に苛立つのは、自分の大学進学費用のことがあるからだろうか、とそれも不安になっていたからだ。
「私のせい? 私が大学行きたいから? それが原因でお金のことについてもめてるの?」
自分のせいで両親が陰険なムードになっているのではと。自分の将来があるからこそ、こんなにも今が切迫感のある状況になっているのかもしれない。
「水奈のせいじゃない。お前のことを想っているからこそ、頑張ろうって話だ。だから心配しなくていい。ほら、今日はもうおやすみ」
母親に散々怒鳴られての父親のその優しい態度が水奈をますます不安にさせた。
仕事を失って一番不安になっているのは父親の方だというのに、それを取り繕って水奈に心配をかけまいと嘘をついているというのがわかるからだ。
きっと苦しいのは今だけ、きっとこれから状況が変わる、と信じて水奈はせめて自分だけは普通に自分のやるべきことをやろう、と思った。
家で両親の喧嘩が増えた分、家にいるのもあまり居心地のいい場所ではないような気がした。
なので学校に行ってる時は、ある意味今までの自分と同じでいれる気がした。
勉強に集中していれば、少しでも気がまぎれるかもしれない、と。
しかし、学校に行けば、クラスメイトとすれ違う度に笑われているような気がした。
「あの子のお父さん、今仕事ないんでしょ?」と。
もちろん実際にそう言われているわけではないのだが、クラスでも目立つグループである宮田達にそのことが知られているとなると、彼女達がそれを言いふらさないという保証もない。
学校では知られたくない相手に家庭の事情を知られている。それで学校で何か言われないかという不安と恐怖が常にまとわりついた。
それからしばらくの間、父親は家にいることが多くなった。
仕事探しがうまくいっていないのか、ハローワークに通うのも大変そうだ。
水奈が家に帰って来ると、父親がすでに家にいることが多くなった。
今日もうまくいかなかった、という日は父親は昼から酒を飲むことも多くなったのか、キッチンのテーブルにはアルコール飲料の空き缶が複数倒れていた。そして、その父親本人はだらだらと居間でテレビを見ている。
「お父さん、今日はハロワ行かないの?」
少し前までは仕事熱心に会社に行っていたはずの父親の堕落した一面を見ているようで、少し嫌な気分になった。
「ちょっと疲れたから、今日は休むんだ。大丈夫、そのうちなんとかなる」
父親も父親で頑張っているのだからこういう時もある、と水奈は割り切るつもりだった。
しかし、母親が言ってたように、このままでは本当に家庭が危ないのではと不安になる。
翌日、学校へ行き、水奈は自分の席の机に本を置いたまま、用事があって教室から少し出ていた。
しかし教室に戻って来ると、自分の席を見て驚愕した。
「なにこれ……」
机の上には教室から出て行く前とは全く違う光景が広まっていた。
机には蓋の開いたペットボトルが横に置かれており、その口から飲料である液体が漏れていた。
それが机に置いてあった本に染み込み、表面が水分を吸ってしわしわになり、紙も液体を吸って、ページが重くなり、乾かすことも困難であろう状態でその本はもう読めそうになかった。
水奈がお小遣いを貯めてせっかく買った本、この前父親がカンパしてくれて買えた大事な本。気に入った本だから何度も読んでいた大事な本だった
それが今はこんなザマだ
「誰が……こんなことを」
水奈は心当たりがあった、もしかして宮田達の仕業かもしれないと。
周囲の生徒は水奈の机の状況について誰も触れなかった。
元々水奈はクラスに仲の良い友人がいるわけでもない、誰も水奈のことを心配したり、気にする者もいないのだ。
誰も水奈に関わらない。話しかけもしない。これが明らかないじめだったとしても。
もしもこの面倒な状況に、下手に関わることでトラブルにでもなったら自分の内申に響くのが嫌と思っている者もいるのかもしれない。
皆、自分の進路の方が大事なのだ。何かあって内申に響き、進路に影響があるのは嫌なのである。
それに、宮田達はクラスの中でも目立つ女子グループだ、そんな者達に関わりたくないという者もいるのだろう。
泣きそうになりながらも水奈はすぐにこれを片付けることにした。
教室で一人悲しそうな表情をしている水奈にも、誰も話しかけない、心配する素振りも見せない。クラスに仲の良い友人がいないということはこういうことだ。
倒れているペットボトルを起こして、漏れた飲料をハンカチやティッシュででふき取る。
飲料を吸った紙の本はずっしりと重くなっていた。大事な本だったが、それをゴミ箱に捨てた。乾かせばまだ読めたかもしれないが、こんな傷つけられた証を手元に置いておきたくなかった。それならば、捨てて見なかったことにした方がマシなのかもしれない、と。
机を片付けても、水奈は涙が溢れそうだった。こんなこと、クラスメイトに見られたくない。
悲しみを紛らわす為に、教室にいたくなかった。次の授業が始まるまで、トイレにでも行こうかと思い、廊下に出て歩いていた時だ。
「ジュース、飲んでくれた?」
傷心の水奈に、例の三人組が話しかけて来た。その表情は笑みを浮かべている。
やはりその言い方から、予想通りあれをやったのはこの者達なのだ。
まるで水奈がこういう反応になることをわかっていたかのように、様子を見てわざと話しかけてきたのだ。
「なんで……あんなことしたんですか」
三人は悲しむ水奈を見ながら、クスクスと笑っていた。
ここで弱気な態度を見せればますますつけあがられる、とわかっていても、もう水奈の心が限界になりそうだった。
「あんたの父親、今仕事ないもんね。貧乏で可哀そうなこと。だからあたし達からのプレゼント。貧しいあんたにジュース奢ってあげたんだから感謝してよ」
それは決して優しさでも恵んだわけでもない、とわかっていながらあんなことをしたのだ。
「こんなことしたら、あなたたちだって内申とかに響くかもしれないんですよ? 自分達の進路がどうなってもいいんですか? 先生に言いますよ?」
泣きそうになりながらも、水奈は精一杯反論した。
「だから、あんたが言わなきゃいいだけじゃん」
それを気にしないかのように、宮田はそう言った。
「どうせあんた、このこと教師になんて言えないでしょ。あんたの家のこととかに、何か口出しされるかもしれないしさ」
「……」
そのことを言われると、何も言えなかった。
本当ならこういったことは教師に相談したかった。
教師に言えば宮田達の行動をやめさせてくれるかもしれない。
しかし、そうすれば水奈の父が職を失っているということで弱みを握られていると知られると、教師からもそれについて何か言われるかもしれない。
自分の親が無職だということに、これ以上誰かに何かを言われるのは嫌だった。
進路希望調査には大学進学と記入して提出した。
そんな進路を選んでいたのに、現在は父親が無職となると、それが経済的に厳しい等と言われるかもしれない、それが嫌だった。
「これからもあんたに色々と親切にしてあげるから、もっと感謝してよね」
笑いながら、宮田達は水奈に背を向けて教室に戻っていった。
廊下で一人、水奈は心の中で泣いた。辛くて悲しくて仕方なかった。
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