世界大戦-9

 アメリカ太平洋艦隊の第2、3、4機動部隊は

ウィリアム・ハルゼー大将を総司令官としてハワイを目指していた。18隻の空母と90隻の駆逐艦、1500機の艦載機からなる史上最大の大艦隊である。敵にどのような戦力があろうと、数の暴力で潰してしまえるはずだ。途中でスプルーアンスがアラスカ沖で日本軍と戦闘になり、巨大戦艦を沈めたが自身も損害を受け引き分けたという報告を受けたが、空母3隻を失い残った3隻も中破と大破である事は情報秘匿の為に伝えられなかった。また、未確認であるという事でジェット戦闘機、海上スレスレを飛ぶ飛行爆弾と追尾してくる噴進弾についても、詳しいことは伝わらなかったのである。


 ハワイの手前1500キロ地点で第二機動部隊の索敵機が10万トンクラスの巨大な空母2隻と駆逐艦15隻からなる日本艦隊を700キロ先に発見した。日本の索敵機や潜水艦は発見されていない。ハルゼーは先手を取れる事を素直に喜び航空機に発進を命じた。

 戦闘機350、艦爆200、艦攻150からなる航空機は途中からで編隊を組み、4軍に分かれて日本艦隊に向かう。日本艦隊まで100キロに近づいた時、噴進弾が飛来する。編隊を解き散開するが、味方機が次々と堕ちる。3波に渡る攻撃により100機を失うもアメリカの部隊は果敢に前進し遂に日本の空母をその視界にいれたのであった。

 右手上方から50機あまりの敵機が飛来する。100機の戦闘機がそれを迎撃するためにそちらに向かう。そして空母上空に達した艦爆と艦攻が猛烈な対空射撃の防弾幕をものともせずに艦隊に突っ込んでゆく。 

 空母を中心に2つの輪状陣を作り進む日本艦隊であったが、350機もの艦爆と艦攻の攻撃から

逃れることはできなかった。艦隊運動の結果、僅かに崩れた陣形の隙間から侵入した艦爆により急降下爆撃を受けた右側の空母の飛行甲板に2発の爆弾が当たりもうもうと黒煙をあげる。次いで艦首右後方に一発の魚雷が命中、空母の進行方向が右にずれ、陣形がさらに崩れる。そこに低空から10機程の艦攻が侵入し次々と魚雷を放っていった。3発の魚雷が命中し、空母は僅かに右に傾く。艦内で爆発が起きたのか艦側の何ヶ所から炎と煙が噴出する。 

 左側の空母も無事では済まず、飛行甲板に置かれていた、発進が間に合わなかったらしい数機の航空機に爆弾が命中、誘爆したのか甲板上で大爆発が起きる。この時ハワイ方面から50機の新手が出現。方向からいっても明らかに敵機である。超高速で近づく敵機に加えて最初に航空隊右手に現れた敵機も近づいてくる。あらかた爆弾も魚雷も投下した航空隊は戦闘機を殿に帰艦する。最後尾の30機程が落とされたが、370機が帰艦したのであった。



ハルゼーは迷っていた。次々と仲間を失いながらハワイに張り付いて情報を送っていた潜水艦部隊の報告ではハワイ周辺の敵空母は4隻。今回発見して攻撃隊が向かったのは2隻である。潜水艦部隊からの報告も一昨日の物が最後で、残り2隻の所在がわからない。敵空母は10万トンクラスの巨大空母で、おそらく一隻あたり200機を超える艦載機を積んでいるはずである。

 ハワイの陸上基地にも規模は不明であるが多数の航空機がいるはずで、正面から敵空母群と陸上基地を相手にまともにぶつかっては、勝負は五分五分。高性能奮進弾を持つ敵にこちらがやられてしまう事もありうるだろう。ジェット戦闘機らしい新型機が投入されているという未確認情報もある。従って今回の作戦の要諦は敵空母群を誘い出し、陸上基地の支援の外で戦闘に持ち込む事にあった。自分達の兵器を過信しているのか、敵は空母2隻で出撃してきたため先手を取ることができたのは僥倖であった。だが、あと2隻の空母がこの周辺にいるのは間違いない。それに対応するため航空機を半分残したのであるが、未だ見つかっていない。間髪あけずに第二次攻撃隊を派遣し、敵空母を沈めるべきなのであるが、そこに巨大空母2隻分の攻撃機が飛来した場合、こちらも深い傷を負う事になりかねない。

 第一次攻撃隊から敵空母2隻を中破、第二次攻撃隊の派遣の必要を認むという報告が来た時、敵の別働隊はまだ発見されていなかった。発見した場合は戻ってきた第一次攻撃隊を当てることにして第二次攻撃隊戦闘機200、艦爆250、艦攻250を派遣する。

 第二次攻撃隊が敵艦隊に近づいた時、敵機100機から襲撃を受けた。戦闘機100機が迎撃に向かうものの敵機は二手に分かれ50機は大回りして本隊に向かってくる。敵機から2波にわたり、噴進弾が発射され、味方機が撃墜される。次いで銃撃戦となったが、こちらの2倍近くスピードが出ているのではないかと思われる敵機に、なす術もなく撃墜されてゆく。200機程度をなくしたが、それでも生き残った艦爆と艦攻は敵空母に攻撃を開始。周りの駆逐艦と空母の対空砲火に更に数を減らされながら果敢に急降下爆撃を行い、魚雷を投下してゆく。第一次攻撃隊の攻撃のダメージか、空母のスピードは遅く、次々と爆弾が命中。数発の魚雷が命中する。

 特に最初から傾斜していた右側の空母は対空砲火もまばらとなり、がっくり艦速が落ちたため、攻撃が集中する。左側の空母は火災が発生したのか、艦速こそ落ちないものの、盛大に黒煙をあげている。


 ハワイ派遣艦隊第一部隊を指揮する毛利成紀中将は旗艦としている駆逐艦あきかぜで参謀長から報告を受けていた。

 「第一輸送艦妙高がもたなそうです。艦長の浅野中佐はまだまだいけると言っておりますが、機関不調で、偽装でない火災も酷くこれ以上戦域にとどまると乗務員が艦と運命を共にする可能性が高いと判断されます」

 「妙高乗員は避難艇で脱出せよ。これより妙高は本艦からの遠隔操縦とする。我ら第一部隊は当初の目的を果たせり。敵の第二次攻撃隊撤収と共に後退する」


 第一次攻撃隊が帰艦した時ハルゼー提督は衝撃を受けていた。700機が出撃して半分しか帰艦しなかったのである。再び襲撃可能な航空機は何機あるのだろうか?

 帰艦した攻撃隊のパイロットの報告では、敵の航空機は追尾式の奮進弾を搭載し、これに狙われたら助からない事、プロペラを持たない従来のものと形の全く違う航空機であり、大きさもF6Fの1.5倍近くある事、最高速を600キロ近くまで上げたF6Fをもってしても全く追いつかない事。目視では1.5倍近いスピードが出ているのではないかと思われる事。

 敵の防空機銃のいくつかは恐ろしく正確に敵機を撃ち落とす事。駆逐艦の艦砲も狙いは正確で航空機に対してもよく命中する事等信じられないような物ばかりであった。


 第一次攻撃隊が半分程着艦した時、艦隊左手から海面ギリギリを飛ぶ20機余りの小型のジェット機が飛来、次々と艦に突入する。アメリカ艦隊の輪状陣は簡単に破られ、防空駆逐艦も全くと言って良い程役に立たない。攻撃は3回にわたって行われ、空母3隻と駆逐艦10隻が撃沈された。次いでどこからか魚雷が襲来。更に空母2隻と駆逐艦7隻が沈む。ハルゼーは艦隊を分散させ撤退を命ずる。

 飛行甲板が無事な空母が2隻あったため航空機の着艦は可能であったが、積める機数は限られており、大部分の航空機は着艦後海面に破棄された。艦隊位置が移動したため、第二次攻撃隊は燃料切れで海上に着水するものも多かったが、アラスカと違い水温が高かったためかなりのパイロットを収容できたのは不幸中の幸いであった。


 戦闘海域で日本軍に救助されたアメリカ軍のパイロット達は、運良く生き残ったアラスカ沖海戦で救助されたパイロットと共に後にカナダに届けられた。


 インドネシア海軍のアンドリ提督は旗艦スマトラの艦橋でジャワ産のコーヒーを飲んでいた。100年前に創設されたインドネシア海軍の初の海戦である。今回はフィリピン海軍、オーストラリア海軍との共同作戦となっており、インドネシアからスマトラ、カリマンタン、スウェラシの3隻の空母と駆逐艦12隻、潜水艦5隻、フィリピン海軍からイサガニ提督指揮下の空母ルソンとネグロスと駆逐艦10隻、潜水艦5隻、オーストラリア海軍からガングルー少将以下10隻の駆逐艦と5隻の潜水艦が、参加して連合艦隊を構成している。フィリピン海軍もほぼ同時期の創設で同じく初海戦となる。

 今回はアメリカ海軍の2つの機動部隊がこちらに向かってきており、その撃破が連合艦隊の任務となる。我々の6万トン級の空母には一隻あたり50余機の戦闘爆撃機と対潜ヘリを含む7機のヘリコプター、早期警戒機と電子戦機各1機を、搭載している。通常動力艦であるが、アングルドデッキを待ち、蒸気カタパルトを装備している。

 各国とも日本の保護下に入った時は部族社会であり、多民族、多言語であった。教育を行い、文明の発展に勤めたが、1つの国としての意識を待ち纏まるのに200年以上を要し、近代国家として歩み始めたのはこの100年である。フィリピンとインドネシアは人口も多く軍隊の規模が大きいため空母を保有する海軍をもつが、オーストラリア、太平洋国家連合は人口が少ないため、現状自衛軍として、駆逐艦艦隊と潜水艦艦隊、潜水艦母艦を持つのみである。

 今回、太平洋国家連合はミッドウェイ周辺の作戦に参加しているが、インドネシア、フィリピン、オーストラリアは南太平洋での作戦を行うこととなった。日本軍の衛星にリンクした衛星からの情報や、他の海域でのアメリカ海軍の情報の提供は受けているが、この海域には日本海軍はいない。自分達だけで国を守らねばならない。だが、連合艦隊の士気はとても高かった。かつてヨーロッパの植民地にされかかったことがあり、現に隣国は植民地にされている。日本の保護下に鎖国、殖産に務めることにより植民地になる事も無くヨーロッパに勝るとも劣ることのない近代国家を作り上げたが、ここで独力で国を守れずして真の独立と言えるのか。ここで我々が勝利する事は国を守るだけでなく、友邦日本を助ける事でもあるのだ。恩は返さねばならぬ。負ける事は許されなかった。


 とは言え、アンドリ提督以下連合艦隊首脳陣には思う事があった。数では負けているが、兵器の質や索敵能力、情報の分析力、通信の質など自分達は50年近く先進した技術を持っている。遠距離からミサイルでタコ殴りにするという方法もとれるしそれが1番楽な方法である事も理解している。だが、違うのである。彼らは戦士であったのだ。装備の差も数の差も練度の差も戦である以上仕方ない。スポーツではないのだから、フェアである必要は無いというのも理解してる。だが、戦士たるもの相手に姿も見せずに一方的に殲滅する。相手が誰にやられたのかもわからず殲滅されるという戦いはどうしても引っかかるのである。


 アンドリ提督は子供の頃から織田信長公の大ファンであった。特に彼の腹心かつ親友であった松永弾正久秀の曽孫にあたる松永義久の書いた織田信長一代記は中学生の頃出会って以来の愛読書であり、今もスマトラの司令官室に置いてある。数万の今川軍に向かって「天運我にあり」と叫んで、白馬にまたがり単身突入する信長公。数千の火縄銃を撃ちこむ薩摩軍の前に平然と立ってその胆力を示す信長公、ラムで体当たりした織田軍の戦艦からスペインの戦艦に、日本刀を口に咥えてマストから垂らしたロープにつかまって飛び移る信長公の姿などこの歳になっても胸が熱くなる。そんな信長公の指揮した織田軍の末枝に連なる者として、やはり死力を尽くした正面からの戦いこそ相応しいと思えるのだ。イサガニ提督もガングルー少将も同書の愛読者であり同じ思いであるのは確認済みである。


 余談であるが、15年ほど前アンドリ提督は太平洋5軍連絡会議で、織田信長公の再来、今信長と名高い日本国幕府将軍職にある織田信幸公に会ったことがある。

 信長公に生き写しと言われるその姿を拝見して舞い上がってしまったアンドリ提督は、信幸公に理想の戦いとはどんなものかと聞いてしまった事がある。その時の公の答えは

 「相手に気づかれないように後ろから殴り倒して、倒れた相手の後頭部を何度も踏みつけ半殺しにして気を失わせる。一旦姿を消して暫くしたら戻って、何食わぬ顔で相手を介抱して金をせしめるのが最上」

 と言われた。私がおかしな顔をしていたせいか

 「戦いになる前に幾重にも罠をはり、相手をがんじがらめにする。戦が始まったら相手が

罠にはまって、もがきながら自滅してゆくのを眺めるような戦いも悪くない」

 とおっしゃったので、ついつい織田信長一代記の信長公のお姿がいかに素晴らしいかを力説しまった。私も若かった。信幸公のジョークがわからなかったのだ。

 同書は軍人の必読書であり、同書の内容は一般常識であると言っても間違いではない。周囲にいた同盟国の軍人達が同調して信長公を絶賛する。その時は信幸公が多忙によるストレスからか乱心し、隣にいた幕府老中の松永康秀様の首を締め始め、殿中でござると止められていたのは良い思い出である。

 後日織田家から見苦しいものを見せて申し訳ないという詫び状とともに、信長公が愛用したものの一つであるという脇差が送られてきた。

これは現在、提督の家宝となっている。


 話は戻って連合艦隊。搭載機のパイロットだけで無く、全ての艦の乗組員達の総意として武人らしく戦いたいという嘆願書が上がってきた。彼等もまた軍人であると共に戦士であった。

 連合艦隊は日本軍の指揮下にある訳ではない。同盟国間の人の交流は盛んであるし、武器のほとんどは日本製かライセンス生産した物を使っているが、これは共闘時補給を円滑に行ったり融通しあうためで、こちらで作られた物も日本に購入され使われている。同盟国としては対等の立場であり、作戦の裁量権もこちらにある。

 今回アメリカから参戦布告を受けたために共に戦っているが、連絡会議に基づいて担当領域となった南太平洋に関しては軍の規模からインドネシア海軍とフィリピン海軍を中心とした連合艦隊となっているが、これも日本軍に指導された訳ではなく、連絡会議に基づいた自主的なものである。

 艦隊首脳はリモート会議を行い、正々堂々の艦隊決戦行う事となった。


 正々堂々の艦隊決戦とは言っても、戦艦同士が目視下に砲撃戦を行うようなものではない。まずは前哨戦としてアメリカ潜水艦群とオーストラリア軍駆逐艦艦隊の戦いが行われた。乱戦の中、30隻近くの潜水艦から魚雷を撃たれたら全てを防げるかどうかわからない。インドネシアの陸上基地からの対潜哨戒機と連携して片っ端から潜水艦が沈められていった。

 ドイツのUボートも含めてこの時代の潜水艦の殆どは移動の時は基本海上航行である。バッテリーの質も高く無く、1週間も潜航したまま航行することはできない。必要に応じて敵に見つからないよう潜水し活動するのである。最高速度も最中8ノット、水上20ノット。魚雷の発射も潜望鏡深度で行う。最大潜行深度は100m弱。水上航行時にある程度スピードを出すため、それに対応した船体形状となるため静音性も低い。

 要は性能的にはまだまだ低く、透明度の高い南太平洋では見つかりやすかったのである。2日間で殆どの潜水艦が沈められた。


 アメリカ第5機動艦隊司令にミッチャー中将、第6機動艦隊司令にニミッツ少将、そして総司令官にフランク・J・フレッチャー大将が任命され南太平洋に向かった。フレッチャーはハルゼーのようなイケイケの闘志むき出し型の提督ではないが、鋼の意思と心を兼ね備えた知将であった。アメリカ海軍の艦載レーダーの索敵範囲は150km程度である。そのため彼は足の長い艦爆20機を昼の間、三交代で飛ばして敵の索敵を行った。敵は南太平洋に4〜5隻の5〜6万トン級の空母を展開しており、アメリカ機動部隊の出撃を知ればそれを繰り出してくるはずである。島々には港や都市があるはずだし、それを爆撃されるリスクを考えれば洋上で迎撃する方が合理的である。アメリカ潜水艦部隊からの連絡が減ってきていることを考えれば、位置はわからなくても、こちらの存在は知っているはずだ。だとすれば早く見つけた方が有利なのは言うまでもない。

 敵の噴進弾は、ハリネズミの様に対空砲や対空機銃を装備した防空駆逐艦で輪状陣を作る事で対処可能であると参謀本部は言っている。戦場に立った事も無い頭でっかちの戯言かもしれないが、艦橋から艦隊をみればあながち間違っているとも言えない気がする。それ程の大艦隊であった。


 敵艦隊発見、位置と空母5と駆逐艦多数という報告の後、連絡してきた索敵機は連絡を断った。

 彼我の距離は600キロ近くあったが、フレッチャーは戦闘機200機、艦爆200、艦攻100からなる攻撃隊を発進させた。こちらの空母12隻に対して敵は5隻。2隻の空母の甲板の爆撃に成功すれば敵の戦力は激減する。敵もレーダーを装備しているらしいので奇襲は不可能であろうが、200発の爆弾と150発の魚雷があれば2隻の空母の無力化は可能であると考えた。 

 

 同じ頃アンドリ提督も対艦ミサイルを積んだ戦闘爆撃機30機と対空攻撃用の武装だけの戦闘爆撃機50機の計80機に出撃を命じる。早期警戒機により敵の位置は10時間前より把握されていた。30機は大回りに敵艦隊を目指し、50機は直進、双方の艦隊のほぼ中間地点でアメリカ軍機550機と連合艦隊の50機が接触した。連合艦隊機側から100発の噴進弾が2回に分けて発射され、そのまま乱戦となる。

 それぞれの機動部隊からは第一次攻撃隊発進の後すぐに第二次攻撃隊が組織されアメリカ第5、第6機動部隊からは戦闘機180、艦爆100、艦攻90が、連合艦隊からは戦闘爆撃機50が発進する。アメリカの第一次攻撃隊のうち生き残った戦闘機100機、艦爆150機、艦攻60機は連合艦隊に向かい、連合艦隊航空団は7機を失いながらもそのままアメリカの第二次攻撃隊に向かい、連合艦隊第二次攻撃隊はアメリカの第一次攻撃隊を迎え撃つ。

 アメリカの第一次攻撃隊は更に多くの航空機を失いながらも、連合艦隊機3機を落とし、戦闘機40機、艦爆90機、艦攻40機が連合艦隊をその視野に入れる。艦隊上空で防衛に当たっていた20機と駆逐艦の凄まじい防空攻撃をものともせずに突入した。攻撃隊はさらに半減しながらも、駆逐艦2隻を撃沈、一隻を大破、数隻が小破、空母スウェラシが大破、ネグロスが中破となった。

 連合艦隊の第一次攻撃隊の生き残り43機はアメリカの第二次攻撃隊に挑むも残弾数の不足から、戦闘機50機、艦爆30機、艦攻10機を落としたものの更に3機を失った。第一次攻撃隊の離脱後、連合艦隊第二次攻撃隊47機と接触。戦闘機50機、艦爆70機、艦攻40機がそれを振り切り連合艦隊に突入。やはり半数を失ったが、スウェラシを撃沈、スマトラを大破、ルソンを中破、駆逐艦3隻を大破とした。

 

 その頃、アメリカ機動部隊も無事では済まなかった。大きく迂回しながら向かっていた30機から対艦ミサイルによる攻撃を受けた直後、オーストラリアの駆逐艦艦隊から巡航ミサイル攻撃を、あと潜水艦からのものと思われる魚雷攻撃を多数受けた。

 3万トン級の空母二代目レキシントンとバンカーヒルが撃沈。ヨークタウンが大破。旗艦プリンストンが中破、2万トン級の二代目ワスプ、シャングリラが撃沈。ランドルフが大破。駆逐艦15隻が撃沈。7隻が大破。無傷な艦艇は一隻もいなかった。

 そして何より酷かったのは戻ってきた航空部隊が生き残った空母で全機収容できてしまった事である。敵空母1隻撃沈、1隻大破、1隻中破の代償としてはあまりに高くついた。既に戦う力を喪失していたアメリカ第5、第6機動艦隊は

再び戦う事なく帰途についたのであった。

 帰国後、同時に行われたアラスカ、第二次ハワイ沖、南太平洋の3つの海戦の中で最も損失の多かった提督としてルーズベルトにより左遷され、閑職に追いやられたフレッチャーであったが、戦後の調査で唯一日本と同盟国に対して大損害を与えた提督として名誉を回復している。そして戦史家には、フレッチャー、ミッチャー、ニミッツ、アンドリ、イサガニ、ガングルーの6人の提督は人類史上最後の大海戦を行った提督として記憶されている。

 

 ハワイ沖海戦と同時にミッドウェイに進出するはずであった強襲揚陸艦艦隊は太平洋国家連合のナタイ提督の率いる駆逐艦部隊に阻止され、本土に戻ることになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る