世界大戦-6

 1941年1月のある日、俺と弾正は名古屋城の中にある、幕府参謀本部にある小部屋で炬燵に入って茶を飲んでいる。


 「竹中提督は見事に勝ったが、少し勝ちすぎたかな?なんせこちらは喪失が艦艇、航空機、兵員全てゼロの完全勝利だ。アメリカが戦意喪失で講和とかにならねば良いのだが」


 「心配無用でございますよ。そのために、ガチガチの人種差別主義者のルーズベルトが大統領になるように世論工作と資金援助をいたしました。人種差別主義者のルーズベルトは黄色人種に負けたまま講和なんて事は認めるはずかありません。やつが大統領でいる限りアメリカの完全勝利以外の決着はありませぬ」

 「それに副大統領がトルーマン。ルーズベルトに輪をかけた人種差別主義者で、こいつはアメリカを滅ぼす羽目になっても、黄色人種に頭を下げるような真似はしないでしょう。ルーズベルトに何かあっても、こいつが後釜ですから安心でございます」

 「さらにもう一つ、強力な隠し球がございます。ルーズベルトの懐刀、国務長官のコーデル・ハルがこちらの手の者でございますれば、そう簡単に講和なんぞになる筈もございません」


 「ほう、それは初耳だ。どうやって籠絡したんだ?」


 「これが、なかなか苦労した案件でございましてな、ご承知の如く松永一族は、世界中が憎しみあって自ら滅びの道へ向かってゆくようになった大きな原因は共産主義とアメリカが強国となって己の正義を無理矢理押し付けようとしたのが大きな原因であると断じた上様のお考えのもと、それを阻止するために、今の戦争に向けて準備してきた訳ですが、殿が前世で残されたお言葉に、この時代の人物の覚書にルーズベルトと共アメリカ国務長官のコーデル・ハルの名前がございました」

 「私の親父の時代に扱った案件なのですが、若い頃ハルをヨーロッパに行かせ、しかもレーニン本人と偶然を装いそこで会わせました。レーニン本人から共産主義思想を植え付けられ、感化されたハルの元に後年、ボルシェビキの使者を名乗る者が現れます。さすがレーニン先生、カリスマ性がありますな。数年後であっても、ハルの思想は揺らぐ事なく直ぐに工作員となったのです」

「ところがギッチョンチョン。ボルシェビキの使者は真っ赤な偽物。こちらの手の者です。大体、金に困ってたレーニン先生にアメリカから来る若者に共産主義について教えてやって欲しいと話を持ちかけて会わせたので、レーニンはハルの事なんてすぐに忘れてしまったか、最初から覚えていなかったかもしれませんな」

 「ハルはスターリンと共産主義の為に動いていると思っていますが、実際はボルシェビキとは全く関係ありません。笑える話でございますな」

 「ちなみに、ボルシェビキの諜報活動は裏切りや摘発を避けるために横の連絡が全くないので、この事が他の共産主義者からハルに知れる事は絶対ありえません」


 レーニンを神隠しにあわせたり、アメリカの中で南北の対立を煽り第二次南北戦争を起こしてアメリカを分断した方が簡単だったのではないか?などとは言うまい。諜報の醍醐味がわかってないとか言われそうだ。松永一族は富も名誉も求めず私欲なしにこの茶番劇の上演のためにだけ350年以上もの間、準備してきたのだ。演出家は最高の演出を行い、役者はそれに応えて、最高の演技をせねばなるまい。


 「ところで弾正、例の物は完成したのか?」


 「はい、試運転も終わり、乗員の訓練も終わっております。思いのほか金がかかり、2隻しか造れなかったのが残念でございましたが、他にも金のかかる案件が沢山ありますし、戦だからと言って、無節操に国債を発行したり、増税するのは避けたいですからな」


 「その辺は仕方あるまい。俺に全権を任されているとはいえ、我が国は一応憲法と選挙のある民主主義国家であるからな。まぁ、8万トン級が2隻あれば機動部隊が作れよう。使いまわせば良い事じゃ。アメリカにも時に餌を与えなければ、降りてしまうかもしれん。ダンスは1人では踊れんからのう」


 航空輸送艦、翔鶴と瑞鶴。装甲航空甲板を持った輸送艦である。基準排水量8万トン、船倉と甲板を繋ぐエレベーターが艦の右サイドに一基。カタパルトも無く、エンジンはガスタービン4基の通常動力である。

 輸送艦なので、燃費重視で最高速度は12ノットにすぎない。ただ、この艦は防護に徹しており、船体は多数の鋼の小部屋を幾つも合わせたような構造になっており、魚雷を受けても小部屋がひとつかふたつ潰れるだけで、艦内への直接の浸水はほぼ無い。スクリューも舵も防御されており、真後ろから魚雷の直撃を受けない限り破壊される事は無い。小回りは効かないが、舵がやられても片側のスクリューだけ動かす事で方向転換の補助もできる構造になっている。

 アングルドデッキになってない通常型空母のような甲板は装甲されており、500キロ爆弾の直撃も跳ね返し、大破したように思わせる偽装用の噴煙吐出装置なども積んでいる。武装はレーダー管制機関砲5基のみ。速度が遅いため、発着艦できるのはレシプロの戦闘機のみである。要は非常に沈み難い、空母に見える輸送艦なのである。


 「では航空機の準備が整い次第、ア号作戦開始じゃ。統合参謀本部の上杉大将にそのように伝えよ」


 話は戻って、1940年4月。カムチャッカにある日本国北方軍団本部で参謀を務める辻正信中佐は同志を集めて、戦略勉強会と称していつもの秘密会合を開いていた。集まっているのは若手の大尉、中尉、少尉達十数名である。


 世界に日本の事は知られていない。

だが、日本は世界のことを知っていて、世界史や世界情勢はかなりオープンにされている。松永一族の努力というか、暗躍にも関わらず、組織が大きくなると世界を日本の元に統一しようとか、巨大帝国を作ろうとか、世界一優れた大和民族だとかいう、一定数の跳ねっ返りが出てしまうのは仕方ない事だろう。欧米による他民族支配から世界を解放して、ある程度の平等の元で恒久的な世界平和を実現しようなどと言っても、話が大きすぎて理解できない者も多い。


 で、辻正信中佐であるが、陸軍大学を席次3位という優秀な成績で卒業したあと、清国との国境沿いの部隊に配属された。その地で何度かの清国兵の国境の越境騒ぎがあり、そこで手柄を立てた彼は、東ロシア帝国の成立時に暗躍し、帝国成立時は若年ながら北方軍団の参謀の末席に名を連ねていた。幾度かのボルシェビキとの戦いに勝利した彼は作戦の神様と言われたが、これについては自分で言い始めたという噂もある。

 彼の作戦の基本は、敵の考えてもいないルートから敵の側面を突くというものであったが、それだけに行軍は過酷であり、彼の作戦に関わる軍団は戦闘による戦死者よりも、行軍中の戦死者のほうが多いと噂された。

 彼は思想家の石原莞爾の影響を受け、世界戦争の後に日本を中心とする大東亜共栄圏を築き欧米と対等に渡り合うべきであると考えていた。ただ、彼の理解している大東亜共栄圏は中国を含むアジア各国を支配する、天皇による直接政治を中心とした旧帝政ロシアのような政治体制であった。彼の頭の中では将軍家、特に織田信長の再来とか言われている、鎖国主義者の現将軍織田信幸など、日本の世界制覇を妨げ、天皇家を蔑ろにする邪魔者以外の何者でも無く、その排除は己の使命であると考えていた。

 

 さて、この辻正信中佐、自尊心はチョモランマより高く、己の能力に対する過信はマリアナ海溝より深いのであるが、彼を良く知る人間から見ると大した才覚もなく、人物でもない。

 ただ彼には卓越した才能が一つあった。己を大きく見せて信頼させ、洗脳する。つまり天才詐欺師であったのだ。


 北方軍団の中で、彼は若手将校を集めて今日も演説をしていた。

 「これだけの戦力を持ちながら、ただ我々陸軍はこの地でただ無駄飯を食っている。これについて諸君はどう考えているのか?」

「南下して中国を占領下に置き、恭順した中国兵と共にモンゴルを従え、ドイツと組んでソビエト連邦を下し、ユーラシアに覇を唱え陛下のご威光を高める事こそ我らの使命ではないか?」

 「400年も続く織田幕府は海軍を重視し、太平洋をはさんで遠く離れたアメリカとの戦争にうつつをぬかしている。だが、陸軍こそ国の要。それをわからぬ将軍家は甚だ不見識であるといえよう。この地で惰眠を貪るようなことをしているのは陛下に対する不忠以外のなにものでもない」

 「われらは機を見て中国軍と交戦し、なし崩しに中国に進駐すれば、陛下のご威光のもと、蒋介石や毛沢東に抑圧されている中国の民衆が、我も我もと馳せ参じるのは火を見るより明らか。我が国の300年以上の雌伏は何のためであったか、我らの行いをもって将軍家に思い出させなければならぬ。そして、そのような不見識な将軍家は大政奉還を行いこの国を天皇陛下の直接おさめる国とせねばならない」


 彼の言葉を十数人の若手将校達が頷きながら聞いている。彼らの頭の中では、救国の英雄となった自分達が昭和維新を起こし、それにより一新された政府の中枢部で国を動かす未来が描かれていた。

 だが、頭がお花畑となった彼らは理解してない。北方軍団の基地から中国と満州帝国の国境まで数千キロもあること。中国の民衆は日本の事など知らない事。そして日本軍の全ては松永家の支配下にある事を。


 黒岩元帥の元に松永弾正から、配下の辻何某が上様を軽んじるおかしな思想を広げようとしているから注意するようにとホットラインが入る。上様を軽んじたと聞いた時は愛刀の刀の鯖にしてくれようかと思ったが、世は昭和。軍組織の中で、手討ちや無礼討ちは流石にできないと考えて、少し世の中の苦労を教えて矯正してやれば良いかと思い直す。1年くらい、苦労させようと呟き、弾正に連絡して手配を依頼した。だが、その後ソビエト軍の東ロシア帝国侵入などがあり、辻中佐の事は元帥の頭からすっかり抜け落ちてしまった。

 

 その日も辻中佐は信者たちに向かって大言壮語を吐いた後、気分良く自室に戻り寝酒を飲んで寝たのであった。そしてよく朝目を覚ましたのであるが、何かが変だ。あたまに靄がかかっており、正常な思考ができない。暫く動けなかったのであるが、小一時間もするとやっと頭がすっきりしてきた。周りには勉強会のメンバーが惚けたような顔をして座り込んでいたり、寝転がっている。自室で寝ていたはずがここはどこかの海岸である。コバルトブルーの海に砂浜。どう見ても、ここは南国である。右手には少しの平地があり、そこには大きな天幕が設置されている。そしてその奥に森というかジャングル。少し向こうには川が見える。


 周りの人間を起こして天幕に行く。そこには多量の食料と毛布の類、多少の医薬品、釣り道具、鎌、クワ、シャベル、農作物の種などと共に一枚の命令書と手動発電機付きの受信機能の無い送信機と双眼鏡が置いてあった。

 命令書には黒岩元帥の名で、辻正信中佐以下16名に南海島司令部での勤務を命じ、辻中佐を司令長官に任ずる。島の周囲を航行するアメリカの船舶を見張り報告するようにと書いてあった。

 黒岩元帥がすっかり彼らの事を忘れてしまったため、彼らはこの島に居続ける事となった。 彼らが帰国できたのは、戦後40年を経て、嵐を避けるために大きく通常航路を外れて、偶然この島近くを通りかかった輸送船に発見されたためであった。

 

 コーデル・ハルは正式な国務長官の職務としてソビエト連邦のスターリン書記長と交渉し、1941年秋よりソビエトに対し、援助を開始。1942年の春、雪解けとともに東ロシア帝国に対し軍事行動を起こさせることに成功した。

 ソビエトはナチスドイツとの間に相互不可侵条約を締結して東欧をドイツと分け合っており、将来はともかく現状西側の国境の心配は無かった。

 スターリンは粛清に次ぐ粛清で国内の権力を掌握したが、その粛清は軍部にも及んでおり軍の中ではスターリンに対する不満が燻っていた。

 有能な将官も多数粛清してしまったためイエスマンのにわか将官が増え部下の掌握も充分とは言えず、ロシア軍は早急にガス抜きを必要としていた。

 現在、東に逃げたソビエトの仇敵、ロシア帝国の帝室は日本の保護のもと東ロシア帝国を名乗り存続している。

 しかもここにはロシア帝国の貴族や大商人が巨額の資本と共に集まっている。

 しかもロシア皇帝の代替わり後、反ユダヤを捨ててユダヤ人との融和を図り、スターリンの大嫌いなユダヤ人国家、東エルサレム共和国と組んで力を蓄えている。

 日露戦争で、無能なロシア皇帝のためにソビエトはウラジオストクを失い、太平洋への出口を無くした。今後の世界共産化のためにも、東ロシア帝国と東エルサレム共和国を潰してユーラシアから日本の影響を無くさねばならない。


 そんな時、アメリカの国務長官から接触があった。現在アメリカと戦っている日本を後ろから攻めるなら、工作機械、土木機械、トラックなどの自動車と爆撃機や輸送機、ゴムやアルミニウム、ニッケルなどの軍需物質を援助しようというのである。今日本を叩いておかないと、いずれナチスが西ヨーロッパを手中に収めたあと反転してソビエトに牙を剥いた時、東西から攻められることになると言うのである。

 ヒトラーのナチスが信用できないなんて事は百も承知である。スターリンとしては、米日の両方が消耗した時にユーラシアの東側を我が手におさめ、返す刀でナチスを叩くべく戦車や大砲の量産に勤しんだいたところであった。

 戦車や大砲の大量生産はうまくいきつつあるが、粛正の後遺症もあって熟練工だけでなく労働力が足りない。どうしてもトラックや工作機械など、国の経済の土台を支える民生品が足りないのである。だが、それがアメリカからもらえるとなれば受けない理由は無い。いずれ世界はソビエトとアメリカの二強の元に二分されるだろうと考えているスターリンにとって、アメリカからただでもらえるトラック一台は、ソビエトで生産されるトラック2台に等しい。

 それに情報部の調べでは双方ひた隠しにしているが、アメリカと日本の間で大艦隊同士の海戦が起きて、双方に壊滅的な損害が発生したらしい。アメリカから接触があったのも、日本に回復する余裕を与える前に大陸の日本軍を叩くことによって、その回復を遅らせたい。いや、更なるダメージを与えたいのであろう。

 

 双方に壊滅的な損害というのは、日本の流した偽情報である。だが、世界一の工業力を誇るアメリカ、世界最強の戦艦12隻を持つアメリカを相手に日本が一方的に勝てる理由など無く、また、アメリカも、大海戦がありややアメリカ優位で引き分けという情報を積極的に流したため、更にこれらの情報には常識という裏付けもあり、疑うものはいなかった。


 また、ロシア帝国陸軍は日露戦争の前に日本軍にボロ負けしているのであるが、この時、政治的に不安定になっていたロシア帝国は国民と諸外国にこの事をひた隠しにした。また、この時に生き残ったわずかな軍人達もロシア革命のどさくさと粛正によりほとんどいなくなっており、それを知る政治家達は現在東ロシア帝国にいるため、この時の正確な情報を知るものはソビエト政府にはいなかった。


 当然の如くスターリンは有色人種の国家など、二流と考えており、かつてロシア艦隊が日本艦隊に破れたのも、イギリス製の軍艦の性能が卓越した物であったのと、腑抜けたロシア帝国の兵士のサボタージュが悪かったと考えていた。

 自分がレーニンと共に赤軍を率いて戦った時のロシア帝国兵の弱兵ぶりを考えれば当然の結論であった。だが、彼は失念していた。初期の赤軍の中核となった士官や下士官は皆、元ロシア帝国陸軍の兵士達であり、その彼らは度重なる粛清により、既にもういなくなっていた。

 

 1941年の秋から大西洋経由でアメリカからソビエトに、輸送船団が大量のトラックや、機械類を運び始め、それを確認したスターリンは東ロシア帝国、東エルサレム共和国への侵攻準備を始めた。最新型のT-34戦車200両を含む1000両の戦車、1500門の砲、6個師団5万名のソビエト軍に、占領地のブルガリアやポーランドから徴兵した5万名、6個師団の歩兵を密かにシベリア鉄道にて運び終結させていた。


 ただ、残念ながらその動きは日本の監視衛星により、全て把握されていた。カムチャッカの黒岩元帥は統合参謀本部の上杉大将と図り、日本と相互軍事援助条約が結ばれている東ロシア帝国内に軍事援助名目で陸軍航空師団3個師団と特殊砲兵師団一個が移動。ソビエト軍に備えていた。


 東ロシア帝国には日本より供与された75式戦車改70両と戦闘装甲車200両、日本軍による改造で、もはや完全に別物と化したスピットファイア改戦闘爆撃機200機、80式戦闘ヘリ70機に噴進弾大隊や砲兵大体などをもっており、今回のソビエト軍程度であれば自軍のみで対応可能であったが、侵攻をはね返すだけでは面白くないという事で日本軍との共同作戦をとることになったのである。


 スターリンの命を受けて侵攻軍の指揮をとることになったのは、ゲオルギー・ジェイコフ大将であった。彼は共産党員で、有能な軍人で、そしてスターリンに粛清されない政治的センスを持ち合わせていた。彼は他の軍人達のように日本も東ロシア帝国も軽視するような真似はせずに慎重に軍を集結させていた。

 通常、自軍が敵の数倍あることを考えれば正面突破の正攻法が教科書的には正しい方法なのだろう。ただ情報通りアメリカと日本の艦隊が共に大損害を受けた海戦があったなら、大西洋のアメリカ軍が減り、更に我が国にアメリカの援助が行われるという事は、イギリスに対する援助が減ると考えられる。

 自国が日本と戦争をしながら他国を援助するような真似は、アメリカにしかできないだろう。だが、資源も人も有限である。それによってはイギリスがナチスと折り合いをつけたり、最悪降る可能性だってある。そうなればナチスが不可侵条約など無視してソビエトに侵攻してくる可能性は否定できない。それが一年以内であっても意外ではないと彼は考えている。


 彼は電撃戦で東エルサレム共和国を下し、側面から東ロシア帝国に進攻。10日程で両国の中枢部を抑えるべく、両国の要人やラジオ局などを抑える専門部隊を用意した。また、アメリカから供与されたトラックも優先的に回してもらい機動性を確保。航空優勢は電撃戦に不可欠であるという持論を持つ彼は新型のヤク1戦闘機1000機を中心とする航空部隊も確保した。


 1942年春。運命のその日、侵攻命令がジェイコフ将軍から各基地に出された。

 その直後5箇所の飛行場に並べられ、今にも飛び立とうとしていた飛行機群の元に空から多数の噴進弾が降ってきた。地獄を思わせる紅蓮の炎のなか航空部隊は燃え尽き、そして次は燃料や食料などを集積していた基地に噴進弾が降りそそぎ、その全てが燃え尽きたのである。

 ソビエト軍の災難は始まったばかりであった。次はロシア帝国軍のマークを付けた戦闘機が現れ、小型の噴進弾を発射したのち、銃撃を加えて飛行場に僅かに残った飛行機や対空兵器を破壊してまわった。一部は足を伸ばしてシベリア鉄道を寸断した。

 その後は機体上部に大きなプロペラをつけた見慣れない機体が多数飛来して、戦車や対空兵器、野砲など破壊して回った。新型戦車のT-34は76ミリ砲を搭載、斜傾装甲を採用しエンジンを燃えにくいディーゼルとした傑作戦車であったが、対戦車に特化した戦闘ヘリによる空からの攻撃に対しては脆弱である。21世紀には様々な対策により戦闘力が低下、第一線から姿を消しつつある戦闘ヘリであるが、この時代の標準的な戦車や装甲車では敵にもならない。片っ端から破壊されていった。


 ジェイコフ将軍は何故こうなったのかよくわからないまま幕僚と共に西に撤退。いや、逃げていた。戦闘らしい戦闘も無いまま航空機が、戦車が、野砲が破壊され、食料や燃料が燃やされた。次いで現れたロシア帝国陸軍の歩兵達は撃ち漏らした戦車を携帯式の砲のような物で破壊しながらソビエト軍を追い散らした。彼らの動きは、革命の時戦った弱兵達の後裔とは思えないほど統制されていて、精強であった。

 自分の軍人生命、いや、生命はもう終わりだろう。モスクワに戻っても逮捕されるのは確実であろうし、その後処刑されない理由は思い当たらない。だが、彼は戻らねばならない。戻って何故こうなったのかはわからなくても、起きた事をスターリンに直接伝えなければならない。

奇襲や待ち伏せではない。戦いにすらならなかった。

  

 幸いなこ事に彼は逮捕される事も処刑される事も無かった。安全な飛行場からモスクワへ向かう輸送機に乗るべく幕僚と共に数台の車で向かっている途中で、シベリア鉄道を寸断すべく向かっていた日本の爆撃隊に見つかりシベリアの大地に眠る事になったからである。


 スターリンは戦慄していた。何故こうなった?ユーラシアの東の果ての日本の傀儡国家を潰して、無能な皇帝が手放したウラジオストクを取り返し、アメリカに貸しを作るだけの簡単な作戦のはずであった。だが、派遣した10個師団以上の兵と機甲軍団はどこに消えたのか帰らず。1000機を超える航空機も消えてしまった。文字通り消えたのである。シベリア鉄道もどうやったのかピンポイントで何十箇所も爆撃され、復旧の目処すら立たない。

 アメリカにはめられたのか?ソビエトを日本とドイツに潰させて漁夫の利を得ようとしているのではないか?アメリカの議員や政府職員に多数の細胞を送り込んでいるので安心していたが、驕りだったのかもしれない。

 現在、住民の少ないシベリアをソビエト軍をを破りながら東ロシア帝国軍は簡単に西進して、勢力を拡大。実質的な国境は2000キロも西に移動している。スターリンの行った民族主義の強い集団を集団移住させて父祖の土地から離してしまう政策も裏目に出た。何としてもその土地を守ろうという気持ちが無いのである。

 物資を移動させる大動脈、シベリア鉄道が寸断され機能しない今、帝国軍と戦うための軍団を各地から抽出して移動させるには数ヶ月ではとても足りない。しかも、呼応するように西の国境にはナチスの軍団が集まって来ていた。

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