戦国-11
慶長10年の大地震により、信長公が亡くなられたあと、あとを追おうとした松永弾正は帰蝶様や重臣達に止められ、思いとどまったのであった。
その後、信長公の菩提を弔うために出家し、南海坊天海と名乗った。そして120歳で死ぬまで織田家の為に一切の私欲を捨て尽くしたのである。
信長公が熱田大神から与えられたという神宣集を補完する信長の数々の言葉を記録していたのも天海僧正の功績であろう。
多田牛一 信長公記より
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