戦国-9

 松平家康が死に、弱体化した駿河に北条が侵入した。織田と同盟してない最後の大大名である。本拠地の小田原城に信仰とも言える程の信頼と自信を持っており、この国の西を織田が、東を北条が支配すれば良いと言っているそうだが、その割には動きが悪い。わずかずつ領地の拡大をしてきてはいるものの、基本、南関東と相州を領有して満足してしまっているのだ。

 単独では守りきれない今川氏真は俺に帰順する事を願い、家康君を無視した結果、彼を殺してしまったような気がして、寝覚めの悪かった俺は受け入れた。

 織田と北条は直接ぶつかる事となり、生き残りを賭けたような大きな合戦はなかったが、局地戦で北条は負け続け、小田原城を頼って籠城した。助けの来ない籠城戦なんて、意味が無いと思うが、実はそうでもない。農民兵主体の軍勢だと、田植えの季節や刈り取りの季節になったら包囲を解いて引き上げねばならないのだ。かの軍神も10年くらい前に小田原城を包囲したが攻略できていない。この時は武田が川中島に出兵したせいもあったのだが。

 充分な広さの城に充分な量の量食を持って立てこもり、場内に何本か井戸でもあると数年の籠城に耐えられたりする。付き合う義理も無いので、鉄甲船に積むために開発している、この時代としては長砲身の5寸と6寸の榴弾砲の試作品を2門ずつ持ってきている。天守に向かって派手にぶっぱなす。僅かな時間で、小田原城は廃城のようになり、すっかり気落ちした北条氏政は降伏したのであった。

 どさくさ紛れに軍神が南下して、領地を拡大していたのは、言うまでも無い。

 北条が敗れたのをみた、諏訪の武田勝頼が帰順した。


 多少の小競り合いはあったものの、東北の大名達が次々と帰順するなか、思いつきの発明というか、技術の実現にうつつを抜かしつつ、俺は多忙な日々を送っていた。

 弾正は相変わらず、目立たず、影に日向に俺を助けて働いている。情報部の部長と、織田家の家宰以上の地位を求めず、腰も低く、皆に頼りにされている。茶の湯と茶道具、美術品意外には道楽も無いようだ。茶道具や美術品は次々と献上される。俺にはさっぱり素養がないので、茶の湯は大名の嗜みとして弾正に教えてもらっているが、道具や美術品は、飽きたら美術館でも作れと言って、弾正に渡している。この間渡した変な形の釜など、これ一つで一国と交換できますぞなどと言っていたが、釜と国を換える戦国大名なんぞいるわけが無い。無いよね。

 あと弾正が楽しみにしているのは、たまに暇な時に話す、俺が知っている未来の話だ。自転車やオートバイ、機関車の話、自動車の話、飛行機の話。潜水艦や戦艦。ロケットや人工衛星、月に行く話。ロボット、コンピューター、携帯、無線、テレビ、ゲーム、色々な飲み物や食べ物。子供のような顔をして聞いている。

途中から弥助や帰蝶、津久井嘉之介もまざり、何故か北条との戦い後、景勝に家督を譲り名古屋に住みつき、しょっちゅう飯を食いに来ている軍神もいた。

 世界大戦の話、弾正は大和国主であったせいか、戦艦大和の話にウルウルしていた。

原爆の話には全員が激怒し、白人は人類の敵だと興奮する弥助をなだめるのには苦労した。

 俺が熱田大神の啓示をうけていると公言しているせいか、俺が未来の話をしても俺の事をおかしいと思う者もいない。たぶん。

 皆、どこまでそんな未来を信じているのかわからないが、楽しそうなので良しとした。もう俺だって信長が長いせいか、感覚としては、本当に信之であったのかわからなくなってきているところがある。

ここ20年の織田領の科学技術の発達が、他の国や世界と比べて異常だという事実があるから、

本当のことであったと信じられるのだ。

 料理の話のついでに、ラーメン、チャーハン、餃子と天麩羅蕎麦を作った所、これが大受け。

蕎麦が蕎麦粉6・小麦粉4なのは残念であったが、俺は蕎麦打ちはできない。カレーをリクエストされたが、ターメリックとクミン、唐辛子くらいしかわからない。先の宿題とした。山っ気のあるやつでも、インドに行かせようかとも思ったが、さすがにやり過ぎな気がしてやめた。

 男尊女卑の時代ではあるが、家庭内における妻の発言力は無視できるものではなく、帰蝶は大名達の妻たちをまとめてしまっている。しかも人に言えない内情ダダ漏れ。さすが蝮の娘。女にしておくのが惜しいほどだ。政治力は俺の数段上である。俺なんて、これだけ大きくなって、あれこれの利害関係が複雑になってくると、周りが補佐してくれなければどうにもならない。


 ある日、弾正が真顔で問いかける。

「上さま、天下統一もあとわずかで成し遂げられます。人も増え、国も富み、技術も進み、教育も進んでおります。

 教育を受け、研究者や技術者の人数も増えている現状を考えるに、あと10年経てばイスパニアもポルトガルも敵ではありますまい。清国や遠くインドすらその手に収めることもできましょうし、上様の言う亜米利加国が興るのも防げましょうし、我らが亜米利加国を作ることもできましょう」 


なんとなく、将来の自立した日本の国を考えていたが、確かに成り行きで行くより、未来への計画図を作って行動した方が確実ではある。

 弾正とはそのあたりを相談しておいた方が良いのかもしれない。俺だって病気でいつ死ぬかわからないのだ。


「明国もインドも手は出さん。人がたくさん住んでいるところ、ましてや人種も文化も言葉も違う民を支配しようとしても、中々うまくいくものでは無いし、抵抗運動など起きたら泥沼だろう。今、天下統一がうまく行ってるのは、所詮同じ日本人で、同じ言葉を話す人間だからじゃ。ましてや戦国の前の時代には統一されていたわけでもあるしな」

「我らが亜米利加を作ったところで、黄色い亜米利加ができるだけで、問題の解決にはなるまい。広い土地、豊かな資源。蒸気船でも一カ月かかって行けるかどうかという距離、無線すら無い状況では、過大な税の有無に関わらず、いずれ独立となるのは流れあろう。国ごと亜米利加に移住というのもありだが、それに我らが住み着いて現在住んでいるインディオを迫害してしまったら、そこに大義はあるまい。それに俺はこの国が好きじゃ」

 

 「上様の申される通りにございましょう。戦には勝てても、永久に支配し続けるのは無理でしょうな。かの元も広大な帝国を作りましたが200年しかもちませんでした」


 「どうしたもんかの。我らと同じような技術立国をいくもつくり、資源国と合わせて、緩やかな連合体として、巨大な国力を持った国が支配したり、横車をおさぬ世界にならぬようにするのが良いのかのう」

 自作の地球儀を回しながら俺はいう。


 天正5年。俺はこの歳44歳になる。昨年、最後まで残っていた島津が帰順。天下統一は成った。国内はなんとか落ち着いてきているし、街道は拡張整備され、名古屋から京、摂津をつなぐ鉄道計画が始まっている。密かに日本人の奴隷売買をしていたのが露見して、カトリックのイスパニア、ポルトガルとは国交断絶。全員が国外撤去となった。現在イギリスとオランダのみ長崎でわずかな交易と交流が続いている。

 正直、現在ヨーロッパや明国から得なければならない知識は殆どなく、全国民の教育を目指した結果、日本人の研究者や技術者が数多く育っており、しかも今後急速に増えるはずだ。

各分野で切磋琢磨しており、戦がなくなったため、資本もまわり、物流も良くなった。

 技術や知識の海外への拡散を防ぐためにも、半鎖国は望ましかった。極力イスパニア人どもの目に触れないようにしていたが、限界がある。

 朝鮮国からは対馬を窓口にして、鉄を買い入れている。彼の国は良質な鉄鉱石が掘り出される。蒸留酒や綺麗に染色された布、サンゴなどの細工物などが喜ばれる。それを明国に運ぶと莫大な儲けになるのだそうだ。こちらとしても、人件費や手間はかかっているものの、原材料費はそれほどでも無い。資源の少ない我が国としては大変助かっている。

一応、植林もして、あまり木を切り過ぎないように助言しておいた。

 この時代の日本は世界有数の金、銀、銅の産出国である。鉱床が浅く掘り出しやすいのもあるのかと思う。ただ、金と銅はこれからの電気の普及や数百年後のコンピューター時代のためにいくらあっても足りない。金融資産としてでなく、後世の産業資産として出来るだけ国外に持ち出したく無い。


 国を作っている所や、人の多い場所には進出しないという方針で、蝦夷から、樺太へを伸ばしている。さらに、独立国ではあるものの、琉球もこちらに取り込もうと画策している。国防上、何としてもアイヌや琉球人共存しなければならない。幸い琉球は人種も言葉も日本人の系列である。共存可能だと信じたい。弾正と情報部が、あれこれ画策して明国よりこちら寄りになるよう工作している。


 蝦夷と言えば、蝦夷と樺太に公式な調査隊を出す時、俺はホップを持ち帰る用に命じた。

 大麦と酵母はある。赤い星のビールのイメージもあって、北海道はホップだらけで、行ってホップを持ち帰ればビールが飲める気がしていたのだ。

 その時、調査隊長に命じた明石清兵衛から

ホップとはなんぞやと問われて俺は気づいたのだ。俺はホップを名前しか知らない。どんな植物なのかわからないのだ。

 1年程して、イギリスの商館長から、ホップの種とエールビールの作り方が献上された。

ビールの話をしながら、俺がうっとりしていた

のと落ち込んでいる俺を見ていた津久井嘉之介が、イギリス商館に頼んでくれたのだ。ビールも樽に詰めて持ってきたようだが、流石に傷んでしまったらしい。

 俺は感動のあまり、イギリス商館の館長に沢山の褒美を与えた。その話を聞いたオランダ商館長が、1年後にラガービールの製法と、低温発酵用の酵母を献上してきた。当然、こちらにも沢山の褒美を与えた。実はガラスも大量とは言わないが、ある程度生産できるようになり、冷蔵庫というか、冷蔵機であるが、これもほぼ完成している。

 

 天正10年。俺が本能寺で殺された年である。今の所、明智光秀は身の回りにいないし、他の、俺を殺したいやつもいないようである。だが、この一年は気をつけよう。まだまだやりたい事がたくさんあるのだ。

 ところで、長男信忠に子が生まれた。のちの信光である。幼子は可愛いが、孫は格別である。元気に育ってもらいたいものである。


 ひ孫が抱けたと喜んでいた親父殿が、ぽっくり逝った。心筋梗塞であったらしい。不整脈に対しては、カテーテル手術なんてまだできないし、血栓を溶かす薬もない。72歳であった。

信之の世界より30年も長く生きた事になるが、

なんとも寂しいものである。

 蝮親父も3年前に亡くなっている。85歳であった。この時代としてはかなり長生きであった。晩年は釣り三昧であったが、この2人がいなければ今の織田は無い。感謝してもしきれない。

 50をいくつか過ぎたが、謙信は元気である。まだまだ死にそうに無い。名古屋の俺の屋敷の一角に自分の家を建て、家臣や侍女まで置いている。親戚の叔父さんみたいである。名目上は側室の父親なので義父ではあるのだが。

 親戚の叔父さんと言えば、義輝が癌になった。胃癌である。食欲が落ちて痩せたとの事でレントゲンは無いものの、医師団があれこれ診察して、どうも胃に何かありそうだという事で開腹した。胃癌であったが、多分転移はしてないとの事だ。抗がん剤も放射線もないから、切りっぱなしであとは運任せになるが、40後半になっても相変わらず暑苦しいやつだから、自己温熱療法で助かるに違いない。

 術後経過も良く退院した義輝は、将軍位を信忠に譲るという。実質的地からは無く、名ばかりのものとなっていた征夷大将軍であるが、正統な後継者である義輝としては俺の下につき、自分の代で捨てるのも忍びない。信忠であれば、俺と違って、足利の血筋であるし、一応筋も通る。実際に権力を持っている者が就いてこその将軍位であるから、是非継げという。

主上の同意も得ているということで、俺は隠居して、信忠は義輝の養子となり織田幕府の征夷大将軍となった。そして源信忠、足利信忠の名を待つことになった。

 名実ともに天下統一が成ったという事で、改めて国内の通貨と度量衡の統一と戸籍調査と登録を始めた。流石に取り上げられないので、個人の刀と銃の所持は登録制とした。いずれ厳しくして、不要な武器が市井にある状態はなくさねばならない。銃はこれからどんどん高性能化するだろうし、未来のどこぞの国のように、日常生活の中で、射殺される危険が高い社会は作りたく無い。


 海軍が装備も揃い、組織として完成した。帆は持つものの、蒸気機関で動く、4寸砲8門、80m級の鉄甲船10隻を中心に外洋航海可能な補給船や輸送船10隻も加えた大艦隊である。砲の口径が4寸と小さくなったのは、世界各国の軍艦の戦闘力を見るに砲弾の改良の進んだ4寸砲が、威力、射撃精度、発射速度、砲弾数から一番バランスが良いだろうと判断されたためである。更に上陸用の大型舟艇4隻と、海兵隊なども持つほぼ近代海軍である。練習船も数隻持っている。鉄甲船は秘匿兵器でもあるため、瀬戸内の呉に本拠地を置いた。

 九鬼水軍、村上水軍を母体に初代提督は九鬼嘉隆。竹中半兵衛が副提督。一般の兵とは違う特殊技能が必要という事で海軍兵学校も設立された。


 この国は南北に長く、島嶼も多い。海軍は作ったがとても国中に目が届かない。そこで湾岸警備隊を組織した。

 とりあえず、3寸砲2門を搭載し、一見帆船、実は蒸気機関も積んでいる40m級の沿岸警備艇を作った。これは遠洋航海をしないので燃料や糧食をたくさん積む必要も無いため、大きさの割に重装備である。

警備艇3隻に訓練船と小型輸送船一隻、陸軍駐屯地、陸海軍補給基地と政府機関の出張所とそれらを統括する知事を博多、若狭、駿府、江戸、庄内、仙台、函館に置いた。名古屋には湾岸警備艇10隻と陸軍の本拠地がある。

 長崎には、偽装のために、多少精度は良いものの、昔ながらの青銅製の砲を積んだ木造帆船5隻が訓練船として沿岸警備隊学校と共に置いてある。また、いずれ、対外的な交易の窓口は対馬に一本化しようと考えている。

 

 琉球に向かっていた民間船がイスパニア船に襲われた。国交が無いため、文句も言えぬ。

仕返しに鉄甲船を2隻出動させ、マニラ近辺のイスパニア船を片っ端から沈めた。秘匿兵器の秘密を守るために、ネズミ一匹漏らさず沈めたのだ。国際法という概念はまだ無い。

 船の秘密は知られないが、うわさというものは何故か流れるらしく、日本がやったという噂が流れてイスパニアと戦争になった。大海軍を組織して日本に向かってきたのだ。九鬼提督は竹中副提督を軍師として、派遣されてきたイスパニア艦隊を2度にわたって殲滅した。勝ったのではなく、織田流の皆殺しである。大艦隊が1度目に消えた時は嵐のせいにもできたが、2度も消滅するとそうも行かない。とは言え、世界帝国イスパニアがアジアのすみっこにある小国にボロ負けしたと認めるわけにもゆかず、第3次艦隊を組織しようとて、国庫が傾きかけたり、あれやこれやあり、オランダが仲介に入りイスパニアは植民地にしたばかりのフィリピンを手放し講和が成立した。ついでにまだどこのものにもなっていなかったインドネシアとオーストラリアとニュージーランドも日本の保護領とする宣言をした。各国言いたい事はあったようだが、何も言ってくる国は無かった。アルマダの海戦でイギリスに敗れたとはいえ、大海軍国のイスパニア艦隊が、負けたというより、消滅して、その理由も経過もわからないという状態の中で、本国と離れたアジアの地で得体の知れない相手と正面戦争をしたくなかったのだと思う。

 別に植民地が欲しかった訳ではない。この三国、資源大国なのだ。将来、国としてまとまってもらって、貿易相手として付き合いたい。後はこの三国、後年植民地となって現地人が大虐殺されるのだ。特にオーストラリア、ニュージーランドではアボリジニはほとんどいなくなってしまう。南米や北米まです手を出す力はないが、この辺りまでならなんとかなる。軍隊相手の皆殺しは相手も仕事なので俺の許容範囲だが、他民族の原住民の皆殺し許せない。


 保護領にはしたが、支配するような人手も無いし、する気もない。フィリピンもインドネシアも多民族の集合体であり国家が無いので、現地の部族長から土地を借り、何ヶ所かの海軍基地を作り、理解してもらえているのか微妙だが、採掘権を買った。儲けが出た分は貯めておいて、いずれ彼らが国家を作った時に還元しよう。あとは無償の病院と学校を作りこれも儲けで運営する事にした。教えるのは算術と清潔と自然科学だけ。大人の入学も可。まずは病院と簡単な交易所、何年か経って信用されたら学校という順番である。

 

 北は蝦夷から樺太、千島からカムチャッカ半島とその周辺までを調査探検。形式的ではあるが、植民し基地を置き碑をたて、領有を宣言した。これは俺の死後アラスカの一部まで広がる。これで北極から、南極まで支配地のベルトを作った事になる。北部に関しては人間が少なすぎて、将来ロシアから自分たちだけで身を守れるような国を作るのは難しそうだ。日本の領土の一部として経営することになった。

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