38. 津奈島上陸_2

 古井戸を見つけたのち、我々は共同洗面所の床にある開口部からロープをかけ、床下へと降りて行った。

 

 方形の古井戸は間近で見ると非常に古い造りであることがわかる。さらに古井戸には内部へ降りるための縄梯子が掛けられていた。縄梯子は井戸枠の縁にフックがひっかけられ、井戸の底に向かって降ろされていた。


 井戸の底を懐中電灯で照らす。底はかなり深い。底の構造がどうなっているかはよく見えないが、いまは涸れてしまっているのか、水面が見当たらない。

 井戸の底までは20mはありそうだ。お誂え向きに縄梯子が用意されているとはいえ、さすがに直接降りるのは危険である。


「というわけで、新兵器の出番よ」


 安達氏が自信満々に取り出したのは、『トリハダQ』のオフィスで新たに購入した小型ドローンである。

 スマホでの操縦が可能であり、前方から真下まで角度を調整できる4Kカメラを備えている。また超高輝度LEDのヘッドライトも付属しているため、暗所での撮影にも対応できるという。まさに現在の状況にうってつけの機材である。

 

 私とミオ、安達氏が見守る中、撮影スタッフはドローンのセッティングを終えた。

 空中を舞うドローンは 回転翼を駆動させながら、古井戸内部へと投下された。


 スタッフの操縦のもと、ドローンは慎重に高度を下げていく。

 ドローンのカメラが捉えた映像がスタッフの持つタブレットに映し出される。

 我々はスタッフの後ろから、タブレットの映像を覗き込んだ。


 古井戸は木の枠を組み上げて造られているようだ。専門家でないので年代まではわからないが、江戸時代よりもさらに時代が上がるのではないだろうか。


 安達氏が自信満々に取り出したのは、『トリハダQ』のオフィスで新たに購入した小型ドローンである。

 スマホでの操縦が可能であり、前方から真下まで角度を調整できる4Kカメラを備えている。また超高輝度LEDのヘッドライトも付属しているため、暗所での撮影にも対応できるという。まさに現在の状況にうってつけの機材である。

 

 私とミオ、安達氏が見守る中、撮影スタッフはドローンのセッティングを終えた。

 空中を舞うドローンは 回転翼を駆動させながら、古井戸内部へと投下された。


 スタッフの操縦のもと、ドローンは慎重に高度を下げていく。

 ドローンのカメラが捉えた映像がスタッフの持つタブレットに映し出される。

 我々はスタッフの後ろから、タブレットの映像を覗き込んだ。


 古井戸は木の枠を組み上げて造られているようだ。専門家でないので年代まではわからないが、江戸時代よりもさらに時代が上がるのではないだろうか。

 

 やがてドローンは古井戸の底にたどり着いた。

 タブレットには思いがけない光景が映し出された。


 古井戸の底にあったのは、部屋である。

 四方が石の壁に囲まれており、それぞれの壁には絵が描かれていた。

 

 私が最初に連想したのは、古墳壁画である。少なくとも絵柄は共通している。

 非常に古い年代の壁画なのは間違いない。

 赤・黒・白の3色を駆使し、描かれているのは“ツナラの物語”であった。

 

 1つ目は、砂浜に打ち上げられた裸の青年の姿が描かれている。青年はあざだらけで、1人の娘が青年のそばに駆け寄っている。


 2つ目は、池のほとりに立つ青年と娘の姿が描かれている。池には黒いウナギの群れが描かれている。


 3つ目は、海に面した岩屋に入ろうとしている青年の姿が描かれている。青年は苦悶の表情を浮かべている。

 

 4つ目は、海面からせりあがる化け物の姿が描かれている。龍のように胴体が長く、白い鱗が細かく描画されている。胴体の両脇からは白い手が伸びている。その手が掴んでいるのは着物の人間だった。

 そして顔に当たる部分に描かれていたのは、腐敗した人間の顔だった。窪んだ眼窩が正面を向いており、骨と肉が露出している。


 4つ目の絵を見て、ミオは反応を示した。


「私が夢で見たのとおなじ……。間違いないです。これ、“岩屋のツナラ”です!」

「じゃあ、この壁画は“岩屋のツナラ”を描いたもの……」

「あ、待ってください」


 ミオはタブレット画面を凝視すると、壁画のある1点を指さした。


「ここ。この部分、拡大できますか?」


 ミオの指示に従い、カメラがズームしていく。

 拡大された壁画の一部。そこには文字が書かれていた。


【和太川知乃加美】


 安達氏は首を傾げながら、文字を読んだ。


「ワタカワチノカミ? どういう意味?」

「この文字、ひょっとして万葉仮名じゃないでしょうか」


 万葉仮名とは、平安時代前に用いられた日本語表記である。

 漢字の音を借用し、カナ表記に充てているのが特徴で、いわば漢字をカナ表記の当て字にしている。このため漢字の意味を考慮する必要はない。


 それぞれの表記と読みの対応を考えると、【川】の表記の読みは「ツ」となる。

 よって、壁画に記載された文字はこう読めるのではないだろうか。


 ワタツチノカミ


「綿土? 綿土湾の名前か?」

「違う……、そうじゃない」

 

 ミオは首を振った。


「綿土湾はもともと、壁画の怪物の名前から取られた……。ワタツチノカミが現れた湾。だから、綿土湾……!」


 ついに見つけた。

 ワタツチノカミ。それこそが“岩屋のツナラ”の忌み名。


 そのときである。

 井戸の底から急に風が吹いた。

 まるで何者かの息吹のような風だった。

 ドローンの接続が切れ、タブレットの画面が真っ暗になる。


 風が井戸の中で反響し、共鳴音を奏でる。

 獣の咆哮のような共鳴音を。


 グワアアァーーーーーーーーン

 グワアアァーーーーーーーーン

 

 我々は息を呑んだ。初めて聞くはずの音なのに、この場にいる全員がこの音がなにかを知っていたからだ。


 早くここから逃げ出さないといけない。

 わかっているのに、足が竦んで動かない。


 周囲の空気が、ぐっと冷える。

 どこからか、生臭い匂いが急に立ち込めてくる。


 おーい。おーい。みんなー。

 みんなー、みんなー、こっち来なよー


 急にどこからか知らない男の声が聞こえた。

 この場に似つかわしくない、人懐っこい、能天気な声である。


 おーい。おーい。みんなー。

 みんなー、みんなー、こっち来なよー。


 次第に声が大きくなる。

 地の底から反響しているような声である。


 どこから声が聞こえるのか。本当はみんなわかっている。

 しかし、誰も覗きに行けない。わかっているのに、身体が云うことを聞いてくれない。


 隣にいるミオは古井戸を睨みながら、なにかをぶつぶつと呟き続ける。

 そのあいだも声の勢いは止まらない。


 おーい。おーい。みんなー。

 みんなー、みんなー、こっち来なよー。


 古井戸の中から声がした。まるで古井戸そのものが喋っているかのようだ。

 ふふふふ、と嗤ってから、ダメ押しのように声の主は続けた。


「刺身もあるよ」


 井戸からぬっと姿を現したのは、男の顔だった。

 まるでエビス様のような、人懐っこいにこやかな顔をしている。


 男の顔は手から離れた風船のように上昇を続け、ついには頭が天井に着く。

 真っ白い首がどこまでも伸び、蛇のようにくねっている


 井戸の底から現れたのは、ろくろ首だった。

 井戸の底にあった4つ目の壁画、あの化け物の姿にどこか似ている。


 男の顔は、会ったことはなかったが知っている。

 宮川だ。


 と、そこでミオは一歩前へ踏み出し、ろくろ首となった宮川に指先を向けて、あの言葉を唱えた。


「津奈来命、津奈来命、守り給え、幸え給え!」


 それを聞いた瞬間、にたにた笑っていた宮川の顔が苦しそうに歪んだ。

 天を仰ぎながら、いきなり宮川の顔が泥人形のように崩れた。


 そのまま井戸の底へと消えていく。


 そこで初めて、我々の足が動いた。

 すかさずミオが叫んだ。


「みんな、早くここから出て! すぐにあいつが戻ってくるから! 早く!」


 我々は急いで、古井戸のそばを離れ、宿舎を出て行った。


 さっきまで快晴だったはずなのに、空には黒い雲がたちこめていた。

 島のあちこちから、声が聞こえる。


 ツーナーラーノーミーコートー!

 ツーナーラーノーミーコートー!

 マーモーリーターマーエー!

 サーキーハーエーターマーエー!


 どこか声の調子は、我々を嘲笑っているかのようだ。

 

 我々は一目散に港に停泊している遊漁船のもとへと駆けて行った。

 だが、船のもとにたどり着いた我々はその現状を見て、悲鳴を上げる。


 船には、たくさんの赤ん坊が乗っていた。

 みな、泣き声をあげているが、どの赤ん坊にも顔がなかった。

 まるで粘土を寄せ集めて造った人形のようだ。


 船を運転する漁師の姿はどこにもない。


「もしかして、島に閉じ込められた?」


 安達氏が冷や汗をかく中、私は首肯せざるを得なかった。


「宮川の意志なのか、“岩屋のツナラ”……、ワタツチノカミの意志なのかはわからないですけど……。我々を逃がすつもりはないようですね」

「どーすんのさ。もう逃げ場なんて、どこにも――」


 そこで安達氏は言葉を切った。

 そうだ。我々が向かう場所など最初から決まっている。

 ミオは云った。


「津奈比売神社へ向かいましょう。姉との約束もあります。忌み名がわかったいま、あいつを倒すチャンスです」

 

 そしてミオはみんなを励ますために、無理やり笑顔を作って云った。


「怪異を倒す映像なんて、撮れ高エグくないですか?」


 ミオの言葉に、私も安達氏も、他のスタッフも腹が決まったようだ。

 

 島には車やバイクはない。ここから自分の足で山を登り、神社へ向かうしかない。

 こうして我々は動き出した。

 

 ツナラとの決着をつけるために。

 我々が追いかけた物語の結末を見届けるために。

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