37. 津奈島上陸_1

 2023年8月10日深夜。


 我々は大型遊漁船で日本海を進んでいた。

 目的地は津奈島である。

 漁船の主である漁師を除いた搭乗員は、私と水城ミオ、安達氏、ほか2名の撮影スタッフである。


 空は青く晴れ渡り、海面は凪いでいる。そのことが少し意外だった。

 沖合だというのに海鳥の姿もあった。

 こんなに穏やかな海はまったく想像もしていなかった。


 波に揺られながら、我々は甲板のデッキに座り込み、海を眺めていた。安達氏はすっかり船酔いにやられ、青白い顔をしているが、ミオは慣れているのか動じた様子は見せない。それでも、頭にかぶったバケットハットから垣間見える彼女の横顔はひどい緊張に包まれているようだった。

 

 ミオにとっては、5年ぶりの帰島である。変わり果てた故郷を実際に目の当たりにするのは、これが初めてなのだ。

 

 思い起こせば、彼女と組んで仕事を初めてそろそろ半年以上が経とうとしている。

 最初は若い娘と組むなんて、という気持ちもあった。

 しかし、その仕事ぶりを見て、素直に敬意を抱くようになった。


 そしてこれまで彼女が抱えていた使命の一端に触れ、私は謝罪をしなければならないと思っていた。


 以前、明石家マグラとの話を終えたのち、ミオは私にこう問いかけた。


 ――久住さんが追いかける理由はなんですか? ネタのためですか?


 いまにして思い返せば、あのときの言葉は私が協力者ではないかと疑っての質問だったのだろう。

 それに対し、私はただ自らの欲望に基づいた返答しかできなかった。

 そしていまも、その気持ちに変わりはない。


 水城ミオという当事者がそばにいてもなお、私はただ、ツナラがなにかを見届けたいという気持ちだけで動いていた。

 

 そこに職業倫理や正義は存在しない。

 

 津奈島へ着く前に、私はそのことを改めて告げて、ミオに謝罪した。

 私の言葉に、船上のミオは呆れたような顔になったが、やがて屈託なく大笑いし始めた。


「いま、このタイミングでそれ云うなんて。やっぱ久住さん、ブレないですね~。そういうところが“岩屋のツナラ”に気に入られてるのかもしれないですね」

「気に入られてる? 私が?」

「たぶんですけどね。“岩屋のツナラ”は自分を上手く語ってくれる人をストックする癖がある気がするんですよね。佐原だって、いつでもツナラに変えられたはずなのに、そうしなかったのは、自分のことを誰かに語ってくれるのを待っていたんじゃないかなって。ほら、怪談でもよくあるじゃないですか。『語り手の生存』問題」


 怪談や怪異とは、そもそも語り手と聞き手の存在によって初めて成り立つ。誰にも語られない神や怪異は存在しないのとおなじなのだ。


 だから、どんな実話怪談であろうとも必ず語り手はこの世に生存している。

 語り手が語る題材に思考を巡らせるように。

 怪異の側もまた、語り手を選んでいるというのは、あり得るかもしれない。


「もしかすると、いまも私たちは誘い込まれてるのかもしれないですね」

「それは、“岩屋のツナラ”に?」

「はい。もっと自分を上手に語らせるために、私たちを引き寄せている。そんな気がするんですよね」


 ふと、私は佐原が訊いたという豊田千尋の言葉を思い出していた。


 ――あなたたちがどのような野心を秘めていようと、いずれみな、ツナラの仔としてツナラのもとに還る。だから好きにすればいい。


 ――もう結末は、決まっているのだから。


 この先で、我々はどんな結末を迎えるのだろうか。

 その結末に、抗う術などあるのだろうか。


「見えてきた!」

 

 撮影スタッフがざわつき、舳先を眺める。

 ずっと青白い顔をしていた安達氏も身を起こし、島影を見つめた。


 このとき初めて、私は津奈島の姿を目の当たりにした。


 要塞、あるいは監獄。

 これまでの体験談において、津奈島はさまざまな言葉で形容されていたが、たしかに私の目にも要塞か、監獄のように見える。

 とにかく人を寄せ付けない島だという印象は共通していた。

 

 そびえたつ龍転崖を回りながら、いよいよ遊漁船は島の内湾――綿土湾へと入る。

 飛びたつ山にぐるりと取り囲まれた内湾は、たしかに湖のようだ。

 

 ここまでは体験談で聞いていた印象と変わらない。

 

 だが、おなじなのはここまでだ。


 沿岸にそって建てられた集落は、ことごとく押し寄せた津波に洗い流され、廃墟と化していた。

 土砂崩れにより木々が削れ、山の斜面は痛々しく山肌を露わにしている。


 ツナラ御殿があった位置には建物の基礎部分しか残っていない。

 

 そして山腹にあるはずの、津奈比売神社の鳥居はどこにも見当たらなかった。

 

 神社の段差があったはずの山の斜面は、津奈島のどこよりも荒れ果てており、砲弾を撃ち込んだような窪地がいくつもできている。


 災害跡というより、戦場跡ではないかと錯覚しそうになる。


 変わり果てた島を前に、ミオはただ島の現状を受け止めるように目の前の光景を眺めていた。

 そしてぼそりと小さく呟いた。


「ただいま」


 船が着岸する直前、私は内湾の端のほうにある岬に目を向けた。

 岬にできているという“つならの岩屋”は落石によって入り口が塞がれていた。


 何度も語られてきた、岩屋から響く唸り声も聴こえてこない。


 こうして我々は現在の津奈島の姿を認識しながら、上陸を果たした。


******


 上陸時の時刻は13時。津奈島の長期滞在は危険なため、日が暮れる前には撤収するスケジュールを立てていた。

 滞在時間はおよそ3時間ほど。


 すでに何度も救助活動が行われているためだろう。

 瓦礫はあらかた撤去されており、ただの更地になっている場所も散見された。


 時間が許せば津奈比売神社の状況も確認したいところだが、いまはまず最優先で確認しなければならない場所がある。


 宮川の家だ。


「ここです。宮川さんの家があったのは……」


 ミオは指をさしたのは、崩壊しかかった木造の建物だった。

 2階建ての建物は窓ガラスがすべて割れており、通りに面した玄関側は柱からぽっきりと折れ、屋根が崩れ落ちようとしている。

 

 その一方で、敷地の奥側に当たる建物の部分はそれほどの損傷をうけていない。縁側の廊下なども残っており、人が住んでいた当時の姿を忍ばせていた。


 宮川が持っていた土地はかなりの面積があり、かつては民宿だったという屋敷も敷地の半分しか占めていない。砂利が敷き詰められたスペースは、かつて駐車場として利用されいていたのかもしれない。


 古井戸があるとすれば、この敷地内のどこかにあるはずだ。


 敷地内を軽く見回してみるが、やはり古井戸らしいモノはすぐには見当たらない。

 どこかに隠されているか、とっくに埋められているか。


「もともと井戸は埋めるとヤバいって話あるじゃないですか。ましてや、うちの島は本物の神様がいますし。埋めたってことは、おそらくないと思うんですよね」


 ミオは確信に満ちた口調で云った。

 

 とすれば、古井戸はどこかに隠されている公算が高い。

 それにあたって1ヵ所、気になる場所があった。


 共同洗面所である。


 津奈シップスの従業員だった高橋が姿を消す直前、最後に痕跡を残したのは共同洗面所だった。

 おそらく高橋は共同洗面所でツナラになった可能性が高い。

 そう考えたとき、共同洗面所の付近に古井戸があったのではないかと推測される。


 さらにもうひとつ、共同洗面所の不自然さである。


 佐原の体験談によれば、共同洗面所は新しく増築された箇所であり、1階と2階のあいだに設置されていたという。

 つまり共同洗面所の床下には段差分の高さの空間があるということになる。


 我々は崩落と破片に注意しながら、縁側から建物の中に入り込んだ。

 軋み床を踏み歩きながら、進んでいくと、壊れかけた段差を見つける。5段ほど上がった先には共同洗面所があった。


 ミオは段差の横に回り、壁を叩く。壁の内部で反響する音が響いていた。

 間違いなく空洞になっている。


 問題はどうやってこの空間の内部に入り込むかだ。


 私は段差を歩き、共同洗面場のエリアまでやってくる。

 ガラスが割れ、吹きさらしの状態になっているせいで、ステンレス製の洗い場には錆が浮かび、木の板を張った床は一部が腐食している。

 ここで高橋はツナラとなって姿を消した。


 本当に共同洗面場の床下に古井戸があるのなら、この共同洗面場から床下へと抜ける隙間、あるいはもっと直接的な抜け穴があるのではないか。


 私は共同洗面場の床を手で触りながら、違和感がないかを探る。

 やがて床に奇妙な切れ目が出来ていることに気づいた。

 

 切れ目ができている区画は、四方がちょうど50㎝×50㎝の正方形となっている。

 人が通り抜けるには十分な大きさだ。


 切れ目の隙間に指先をひっかけると、そのまま引き上げるように床材を起こす。

 すると、区画の形に切り取られた床材が自然と持ち上がった。


 中から埃が舞うと同時に、カビの匂いが立ち込める。

 私は床材を完全に外した。床下に通じる穴があっといういまに出来上がる。

 わざわざこんなモノを用意しているということは、定期的に床下に降りる機会があったということだろうか。

 

 持っていた懐中電灯を点け、床下を照らす。

 光の中から浮かび上がったのは、木材の井戸枠だった。


 古井戸を、見つけた。

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