36. 豊田珠代の回想_考察

 豊田珠代――水城ミオの長い話が終わりに近づきつつあった。

 

 飄々とするミオとは対照的に、私も安達氏も沈痛な表情になっていた。

 ミオはわざとテンションの高い声で云った。


「ちょっとちょっと。なんで2人が凹んでるんですか。せっかく美味しいネタを提供してるんだから、美味しく使ってくださいよ」

「お前、ほんと良い神経してるよ……」


 安達氏は苦笑しながら、私に視線を送った。

 私は頷き、ミオに向き直る。


「話をありがとう、ミオさん。これから質問したいんだけど、いいかな?」

「どうぞどうぞ。私、NGなしなんで」


 ミオはおどけたように話す。なるべくいつも通りの空気にして、こちらが質問しやすい雰囲気を作ろうとしてくれているのだろう。

 私はミオの気遣いに感謝しながら、質問を開始した。


「ミオさんが『トリハダQ』に関わったのは、ツナラの情報を集めるため?」

「はい。ネットで検索してもなかなか出てこなかったので、こういう番組のほうが手がかりがつかめるんじゃないかと思ったんです。これでも結構頑張ったんですよ? 怪談イベントに地道に足を運んだりしましたし」

「私の怪談取材に同行したのも、ツナラを追いかけるためだったんだね」


 だが、それだけではない。

 もうひとつ、ミオはあることを危惧していたはずだ。

 

「私がツナラの言葉に反応したとき、どう思った?」

「正直なところ、疑いましたよ。あなたが“岩屋のツナラ”の協力者なんじゃないかって。怪談集めも、ツナラの復活のためなんじゃないかと考えてました」


 ミオは笑っていなかった。

 私の真意を伺うように、こちらをじっと見つめている。


「私の疑いは晴れたと思っていいのかな」

「ただの仕事熱心な怪談大好きおじさんなのはよくわかりましたよ」

 

 疑いが晴れたとは、ミオも明言しなかった。

 その理由はわかる。

 

 私は十中八九、間違いなく津奈島のウナギを口にしてしまっている。

 たびたび見る津奈島の夢や幻覚がその証拠だ。

 それでも私はいまもなおウナギにならずにいる。まるで発症しないウイルス保有者キャリアのように。

 知らず知らずのうちに、”岩屋のツナラ”の協力者としてふるまっている可能性もあるのだ。


「でも、久住さんとの仕事はほんとにめちゃくちゃ楽しかったですよ」

 

 ミオは柔らかい笑みを浮かべた。


「久住さんがどっちなのかはわかりませんが、そこは感謝してます」


 その言葉は、ともするとただの慰めだったのかもしれない。

 だが、あまりに重い使命を背負ってしまったこの娘の気持ちが、私との仕事で少しでも軽くなったのだとしたら、これほど栄誉なこともない。


 気を取り直して、私は質問を続けた。


「“岩屋のツナラ”の失われた忌み名というのは見つかったのかい?」

「いえ、全然。検討もついてないです」


 ミオは首を振った。


「名前を憶えている者が誰なのかも全然わからないです。じつは久住さん、知ってたりします?」

「そんな美味しいネタ、知ってたら、とっくに原稿に書いてるさ」

「たしかに」


 古来より名前には、相手を支配する力があるとされている。

 ヨーロッパの民話でも、狡猾な悪魔の本名を知ったことで悪魔をやりこめる話が広く伝わっており、日本でも古来より貴人や死者の本名をみだりに口にすることは禁じられていた。

 

 忌み名を知れば、相手を支配できる。“岩屋のツナラ”を呼ばれる存在の忌み名がわかれば、我々に染みついたツナラの呪いも解かれるのだろうか。

 

 気にはなるものの、まったく手がかりがないいま、雲をつかむような話でもある。


「佐原のもとに現れたのはどうしてだい? 彼は千尋さんが生きていたと慌てていたようだったけど」

「姉の記述について、確認がとりたかったんです。災害発生直前の姉の様子を知っているのは、佐原しかいなかったので」


 ミオは吐き捨てるように云った。


「スムーズに話を訊いてもらうため、いつものメイクをしないで、豊田千尋の関係者だとわかる顔で会ったんですけど。まさか姉本人に間違えられるなんて……。あのとき話ができていれば、もっと有力な情報をつかめたかもしれないのに」

「有力な情報?」

「だっておかしいじゃないですか。佐原は明らかに“岩屋のツナラ”に憑りつかれていた。でも、佐原自身はツナラを食べたはずがないんです」


 実はこの点は私も気になっていた。

 佐原はウナギを口にすることができない。津奈島でも最後まで佐原はツナラを口にしていなかった。

 だから津奈島災害においても、佐原は生き残ったと考えられた。

 

 しかし結局、佐原はツナラになった。

 これはなにを意味するのか。


「どこか知らないところでウナギ食べちゃったんじゃない? ウナギ嫌いでも知らずに食っちゃうはあるでしょ」


 安達氏の指摘は一理ある。

 だが、知らないうちに口にするシチュエーションとはなにがあるのだろうか。

 また、これは佐原だけの問題ではない。


「そもそも、どこで島民はツナラを口にしたんだ?」


 島民たちは“岩屋のツナラ”を知らずとも、津奈島のウナギを肌感覚で畏れていた。

 そんな彼らが自発的にウナギを口にしたとは考えにくい。

 “岩屋のツナラ”の協力者による介入があったはずだ。


「豊田行雄もおそらくどこかでツナラを食べているはずだ。ミオさん。お父さんがどこでツナラを食べたのか心当たりはある?」

「いえ、私にはまったく……。父がどこでツナラを食べたのかは何度も考えたんですけど……」


 父親の最期を思い出したのだろう。

 ミオの表情は固くなっていた。

 

 ヒコを務めていた豊田行雄氏は人一倍、ウナギに対する警戒心が強かった。

 また津奈島へくる以前は、ウナギの蒲焼きは大好物だったらしく、味や匂いにもすぐに気づいたと考えられる。


 これらを踏まえると、佐原と豊田行雄、島民たちは特殊な調理法をされたツナラを口にしていたのではないだろうか。


「ウナギの調理なんて、蒲焼き以外にあるか? ひつまぶしは好きだけどさ」

「シラスウナギの状態で食べていた可能性はありませんか? シラスだったら、誰も警戒しないと思います」


 私や安達氏の意見に、ミオは首を振る。


「島にいたとき、誰かがシラスを食べていたという記憶はないです。シラスウナギもツナラに関係するのはわかってましたから。警戒して食べない習わしになっていたはずです」

「とはいえ、すり身にして混ぜちゃえば、わからなくない?」


 安達氏はそう云うが、私はあくまで魚料理とわかる状態で提供されたのではないかと考えていた。


 理由はミオがいまもなおツナラの影響を受けずに健在しているためである。

 ミオはたびたび魚嫌いを公言していた。これは幼少の頃のトラウマに根差した、一貫した嗜好であることがわかっている。


 ミオがツナラの影響を受けていないのは、魚料理を一切口にしなかったからだ。

 もしも魚だとわからない状態で提供されていたのであれば、ミオにもツナラを食べさせ、“岩屋のツナラ”との結びつきを築くよう仕向けていたはずではないだろうか。


 私はここまでの記録を見返さないかと提案した。


「これまで訊いた話にヒントが隠されているかもしれない。気になった点を整理してみるんだ」


 安達氏はすぐにスタッフに指示を出し、これまで私がまとめた原稿や、取材した動画のデータなどを会議室に持ってこさせた。


 私とミオはこれまで作成した原稿を見返し、安達氏はスタッフと共にノートPCを開き、取材の様子を見返す。

 そしてホワイトボードに、各体験談の気になるポイントを書き出していった。


【ツナラになった宮川の言葉 → 刺身?】


 その中でも目を引いたのは、本稿の9話目【ある老釣り師の話_2】にも記載した次の箇所である。


 ツナラとなった宮川は田所恵三の前に現れた際、こんな言葉を発している。


 ――恵三さーん、こっち来なよー

 ――刺身があるよー


 最初にこの話を訊いたとき、人間がウナギになるという状況のシュールさに目がいってしまい、この言葉の意味を深く考えていなかった。

 もともと宮川は魚を捌くのが得意だったと、他の体験談の中でも言及されている。

 ツナラになったあとも、刺身に対する執着が強かったということだろうか。


「宮川のおじさん、しょっちゅう神社のほうにも来て、魚を奉納してくれてたんです。時々、調理もしてくれて、父はいつも美味しそうに食べてましたね」


 懐かしむような口調だが、ミオは考え込むように眉をひそめていた。


「どうしたの?」

「いえ、ふと思ったんです。島の人たち、だいたい『つなっこ』で外食していたから、みんな一度は宮川のおじさんの料理を食べてたんだなって」


 佐原はどうだっただろう。

 もう一度、佐原の体験談を見返した私は該当する記載を見つけた。


 本稿の23話目、【ある密漁者の懺悔_3】の一節である。


 ――宮川は刺身を出した。半透明の身が綺麗に切り揃えられている。佐原は刺身に箸を伸ばし、口に運んだ。


 佐原も宮川の調理した刺身を食べている。しかも佐原はここで口にした刺身がなんだったのか言及していない。

 あっ、とミオは声をあげた。


「そういえば椛島裕子さんが云ってませんでした? ウナギの刺身の話……」


 そこで私も、裕子が言及していた「夫が持ち帰ってくる商品サンプル」の話を思い出した。


 ――この冷凍ウナギはラインナップに富んでおり、冷凍の切り身や蒲焼きはもちろん、冷凍したウナギの刺身もあったらしい。


「えっ。ウナギって刺身で食えるの?」

「ウナギの血は有毒なので調理の際は加熱するのが一般的です。ただ、血抜きをすれば安全には食べられるそうです。いずれにしろ珍しい食べ方なのは間違いない」


 もしもなにも説明されず、ウナギの刺身を別の魚だと偽って差し出されたら、ほとんどの人間はウナギだと気づかずに食べてしまうのではないだろうか。

 

「宮川のおじさんが、協力者?」


 ミオは呆然とした声で繰り返した。

 宮川とミオ、千尋の交流は結城教授の日誌でも示唆されていた。ミオにとっては昔なじみの人物なのは間違いない。

 

 もしも宮川が協力者だった場合、どうなるのだろう。

 宮川が“岩屋のツナラ”の忌み名を知っている可能性はあるのだろうか。


「たとえ宮川が知っていたとしても、いま宮川はいないでしょ。手がかりはどこにもないんじゃないか?」

「宮川が死んだという証拠はないです。現に津奈島災害時、ツナラになった宮川はツナラのもとではなく、恵三の前に現れている。宮川はまだ生きている可能性があります」

 

 だからといって、宮川が生きている保証ももちろんどこにもない。それに宮川がたとえ生きていたとしても、宮川を探す術はどこにもないのだ。


 するとミオはテーブルの上に置かれたファイルをふたたびめくり始める。

 私が作成した原稿を読み返したのち、興奮気味にホワイトボードにあるワードを書き込んだ。


【佐原の幼馴染、工藤圭一郎が見たモノ → 宮川の住居】


「覚えていますか? 佐原が“岩屋のツナラ”を目撃した前日まで、工藤圭一郎がなにかを調べていたことを」


 それは、佐原の体験談でも語られていた出来事だ。

 工藤は従業員が消える真相を突き止めるため、独自の調査を行っていた。

 そして工藤はなにかを見つけ、写真を撮ったが、おそらくその直後にツナラとなって消えてしまった。写真もスマートフォンから消されてしまった。 


「佐原によれば、工藤は神社に行き、有賀孝明さんと話をしているんです。そのとき、工藤は津奈来命に関する話と、私たちが住んでいた屋敷について質問しています」

「神社の隣にある古い屋敷だったな。それがどうしたんだ?」

「津奈島には、私たちの屋敷とおなじくらい古い屋敷がもう1軒あるんです」


 それが、宮川の家なのだという。


 いままで消された写真は“岩屋のツナラ”を収めたものだと考えていたが、じつは違うのではないだろうか。工藤は宮川の家に不審なモノを感じ、宮川の家でなにかを見つけたのではないだろか。


「ミオさんたちが住んでた屋敷と宮川の家は間取りがおなじなのかい?」

「そんなには似てなかったはずです……。宮川さんの家、かなり改装してたはずだし。おなじくらいの年代の建物だってだけで、ほかの共通点は……」


 工藤は消えた従業員のあとを追っていた。従業員たちが消えたのは、ツナラになってしまったからである。

 もちろん工藤はそんなことは思いもしなかったはずだ。だとすれば、工藤はどんな論法で推理を進めたのだろうか。


 まず従業員が失踪したルートの検討から入ったのではないだろうか。

 津奈島からはなくなった船はなく、出航した者を見たという話もない。

 

 そうなると工藤は次の2点から状況の推理を進めたのではないだろうか。


 協力者が従業員の脱走を手引きしてウソをついているか。宿舎あるいは島からこっそり抜けられる秘密のルートが存在しないか。


 従業員たちは宿舎の中で消えている。まずは宿舎を疑ったはずだ。

 そのために、豊田家の邸宅となっていた屋敷について参考になる情報がないか、有賀孝明に質問したのだろう。


 豊田家の屋敷にあって、宮川の家にこれまで登場していないモノ。

 ツナラとなった従業員の失踪に関わり、そしておそらく宮川にとっては発見されたら非常に都合が悪いモノ。


 そこまで考えて、急にある想像が頭に浮かんだ。


?」


 私の言葉に、ミオも大きく目を見開いた。


 豊田家の屋敷に残された古井戸は地下水脈と繋がっていた。

 ツナラに取り込まれたであろう有賀親子が古井戸に飛び込んだこと。古井戸から“岩屋のツナラ”の分身が現れたことから、古井戸は“岩屋のツナラ”のもとに続いていると考えられる。


 それとおなじ構造の古井戸が宮川の家にも残されているのではないだろうか。 


「古井戸があるのだとすれば、津奈シップスの従業員が宿舎から消えたルートも納得できます。彼らはツナラになった際、古井戸に飛び込んで、“岩屋のツナラ”のもとへ向かったんです。おそらく工藤はこの古井戸を発見したんだ」


 問題はこの古井戸に“岩屋のツナラ”の忌み名の手がかりがあるかどうかだ。


「私の屋敷でも古井戸は近づいてはならない場所とされていました。もし古井戸があるのなら、“岩屋のツナラ”とも縁深いはずです。今のところ、忌み名の手がかりに繋がる唯一の場所です」


 ミオも古井戸の仮説に手ごたえを抱いていた。問題は津奈島に上陸ができないため、仮説の検証ができないことだ。

 現在、津奈島は全面的に上陸が禁止されており、災害救助および調査に関わる人間以外に上陸の許可が下りることはない。

 

 そのはずだった。


「なるほどね。古井戸ね。いいじゃんいいじゃん。なんか『リング』っぽい。画の雰囲気もばっちりじゃん」


 なぜか安達氏だけは感心したように頷いてから云った。


「じゃあ、行きますか」

「行くってどこにですか?」

「決まってるじゃん。津奈島だよ」


 あまりにもあっけない安達氏の言葉に、私もミオも一瞬なにを云っているのかわからなくなる。

 冗談なのかと思ったが、安達氏は「いや、マジだけど?」とあっさり答えた。


「うちの番組のメイン企画はさ、もともと怪談紹介じゃなくて心霊スポットの探索だよ? 万が一に備えてさ、島へ上陸する伝手は裏で探してたんだよ」

「上陸許可が下りるんですか?」

「さすがに許可は下りないねー。ただ、チャーターできる船は見つけた。最悪、近海から島を撮った画でもあれば番組としてはカッコつくかなーと思ってたんだけどさ。まぁ、こういう事態だしねー」 


 それは番組的に大丈夫なのか。あとで問題にならないのかと確認を取るが、安達氏はどこ吹く風だった。


「だって俺たち、とっくに呪われてんだよ? いつウナギになるかわからないんだよ? じゃあ、行くしかないでしょー。こういうの上陸して撮ったモン勝ちなんだからさー。ゲリラ撮影、憧れてたんだよねー」


 冗談とも本気ともつかない調子で安達氏は云ったのち、ミオに向き直る。


「番組的にはOKだけど、ミオちゃんはどうする? うちの番組の主役は君だからさ。君が行きたくないなら、俺たちは島には向かわない。君の意志に従います。どうする?」

 

 ミオは私と安達氏、その場にいるスタッフの顔を見渡した。

 覚悟を決めるように深く息を吐くと、その場にいる全員に向かって、深々と頭を下げた。


「お願いします。一緒に津奈島へ来てください」

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