6. 津奈島災害

 本稿をお読みの方は、津奈島災害および津奈島に関する知識はなにも持ち合わせていないだろう。

 一旦、ここで取材当時の記録を参照しつつ、津奈島に関する解説を記載させていただきたい。


 S県にある津奈島は日本海に浮かぶ小さな離島である。

 本土から60kmほどの距離があり、フェリー船で片道4時間ほどかかっていた。

 災害発生当時、524名の島民が島に暮らしていたといわれている。

 漁業を主産業としており、観光客が訪れることはほとんどなかったらしい。

 全国紙にも名前が載ることはほとんどなく、津奈島災害が起こるまでは日本人の大多数から認知されていなかった。


 津奈島に異変が起こったのは、2018年7月21日午前4時13分。

 気象庁の津波計が津奈島沿岸において発生した津波を捉えた。

 津波の高さは約8.2mと推定され、海抜30メートルの地点まで遡上したとみなされた。これは東日本大震災の津波に匹敵する規模である。


 津波の発生を受けて、県庁は津奈島の役場へ連絡。しかし誰の応答もなかった。

 その後、津奈島に所在地を持つあらゆる法人に連絡をするも、ことごとくつながらなかったという。

 

 事態の緊急性を鑑みて、自衛隊の緊急出動が要請されたのが午前4時45分。

 それから1時間後に陸自のヘリが津奈島上空に接近するも、その時点で津奈島の家屋がほぼすべて倒壊していることが確認された。

 津奈島の集落は沿岸部に集中していた。津波の直撃は不可避だったのだ。津波に流された車が山の斜面にまで転がっていたといわれている。


 それから8時間後、海上自衛隊および海上保安庁が島民の救出のために津奈島へ到着。必死の捜索活動が続けられたが、ついに生存者はおろか遺体すら見つけることができなかったという。行方不明になった島民は524名。

 

 災害発生から5年が経過した取材当時においても、自衛隊および海上保安庁による捜索が定期的に行われていたが、成果は出ていなかった。


 問題はなぜ津波が発生したかだ。

 通常、津波は地震に伴い発生する。にも関わらず当時、津奈島の周囲ではいかなる地震も観測されておらず、低気圧による気象津波ではないかと考えられていた。

 

 実際、災害の発生当時、津奈島には活発な雨雲がかかっていたことがわかっている。このため発達した低気圧により、潮位が上がり、気象津波が誘発されたというのが専門家たちの意見だった。


 ツナラについての取材を始めるにあたり、私は改めて津奈島災害に関する資料を調べたが、災害発生から5年が経過してもなお、災害発生当時の報道から新しい知見はほとんど加わっていなかった。


 集落が丸々一つ消えた規模の災害にも関わらず、津奈島に関しては驚くほどの無関心ぶりを発揮していたのである。せめて被災者や遺族に取材した記事はないか探したが、こちらもほとんど見つけることはできなかった。

 

 改めて調べてわかったのは、津奈島にあった神社についてである。

 こちらは津奈比売つなひめ神社と呼ばれており、豊田千尋とよたちひろという女性が神主を務めていたことがわかっている。当時26歳の若い女性だったという。

 災害発生後、彼女の行方もわからなくなっている。 


 取材開始時、私が津奈島について知っていたのはその程度のものだった。どの文献にもツナラ信仰に関する言及はなかったのである。

 

 椛島裕子への取材でも、津奈島との繋がりはわからなかったため、ツナラ信仰との関連は偶然だったかもしれないと考えていた時期もあった。


 しかし、2023年3月。

『トリハダQ』の公式アカウントに届いた1通のDMにより、状況が一変した。

 DMにはこう記されていた。


「ツナラって、津奈島の方言ですよ。ウナギのことを津奈島ではツナラと呼んでいたって祖父から聞きました」

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