7. 田所雄太郎への取材

 DMの送り主は田所雄太郎という30代の男性である。

 田所は都内で美容師として働いているが、もとは津奈島があるS県の出身だという。

 

 3月中旬、我々は直接話を伺うため、田所と『トリハダQ』オフィスの会議室で落ち合うこととなった。

 

「いつもはお客さんの話聞いてばっかりなので、改まってカメラの前で身内の話をするのはなんだか照れくさいですね」


 そう謙遜してはいたものの、やはり客商売で話すことに慣れているためか、設置されたカメラにも臆さず、田所は楽しそうに話を始めた。


******


 田所は高校卒業までS県の市内に住んでいた。田所の実家には両親のほか、父方の祖父も同居していたらしい。


 田所の祖父、田所恵三は地元の商店街の会長を務めていた。稼業である服飾店を両親に譲ったあとは隠居生活に入り、趣味の釣りを楽しんでいたという。


「早朝から港まで釣りに出かけてましたね。ときどき地元の人たちも連れていったりして、楽しそうにしてましたよ」


 田所自身も小学生の頃は恵三と一緒に海釣りに出かけた。

 早朝からコンビニのおにぎりを頬張りながら、釣り竿を垂らした。スズキやアジ、ヤリイカなどを釣りげて、二人でよくはしゃいでいたという。

 中学にあがり、田所はファッションや音楽へ興味が移ったため、自然に恵三とも釣りに行かなくなった。


 その後も恵三の釣り趣味は続いた。

 しかし田所が中学二年の頃、田所の祖母、つまり恵三の妻が病気で亡くなった。


「あの頃は家じゅうが暗くなった感じがしてましたね。大事な灯がふって消えちゃったような感覚というか。それでも祖父は変わらず釣りに出かけてましたよ。それ以外に気持ちを紛らわす術がなかったんでしょうね」


 以前のように同伴者を連れることなく、一人で釣りに出かけていた田所がどのような胸中でいたのかはわからない。

 

 やがて田所は東京で美容師になるという夢を追うため、東京にある美容師の専門学校に進学した。

 すっかり祖父とも会わなくなってしまったが、時折家族と連絡を取り、恵三の近況も耳にしていた。


 ちょうど田所が状況生活を楽しんでいた頃、今から10年ほど前。

 恵三に新しい釣り仲間ができたという話を耳にした。


 当時の人を寄せ付けない雰囲気を持っていた恵三には珍しく、釣り仲間と市内で呑んだり、泊りがけで出かけることも増えていたらしい。

 田所は祖父の変化を歓迎していたが、両親は複雑な表情をしていた。

 その相手が津奈島の人間だったためだ。


「うちの地元じゃ、津奈島の人とはあんまり関わるなって云われてたんですよ」


 津奈島の人々は本土の人間とあまり関わることがなかった。市内の漁師や釣り人たちも津奈島には近寄らないようにしていたという。


「詳しくは知らないんですけど、外の人間が島の近海で漁や釣りをすると、ものすごい嫌がらせをされるとかで。高校の時、同級生に津奈島の子供がいましたけど、その子も周りとは一線を引いてる感じでしたね」


 津奈島災害発生時、その同級生とも連絡を取ろうとしたらしいが、誰も連絡先を知らなかった。このため、相手が被災したのかどうかすら現在もわからないという。


 津奈島と本土の人間とのあいだには、深い断絶があった。

 田所の両親の心配も両者の関係に由来したものだったが、田所自身は祖父の好きにさせればいいと考えていた。


「だって素敵じゃないですか。年取ってから新しい友達ができるって。祖父が楽しく過ごせるなら、それでいいじゃないかと思ってました」


 その後、田所は都内の美容院で働き始めた。

 アシスタント業務と技術習得に忙殺される日々を送っていたため、なかなか地元にも帰れなかった。

 ようやくスタイリストになれた頃、津奈島災害が発生した。


「ニュースで見た時、そりゃあビックリしましたし、死ぬほど心配しましたよ。祖父がたまに島に行っていたのは聞いてたので……」


 田所はすぐ実家に電話をかけたが、家人はなかなか電話に出なかった。しばらくして地元にいる弟から連絡が来た。


「じいちゃんが倒れた。いま入院している」


 一人で早朝の釣りに出かけた恵三が港で倒れた。

 通行人の通報により、病院へ緊急搬送され、所持していた免許証から家族に連絡がきたのだ。何があったのか尋ねたが、家族も何が起きたのかわからず困惑していた。医師の話によれば、極度のストレスによる急性心不全の疑いがあるという。


 田所は仕事を休み、すぐに地元へと戻った。病院に行くと、ベッドに横たわる恵三の姿があった。

 久しぶりに会った祖父の姿はひどく小さく見えた。しわだらけの手を握りながら、呼びかけると、恵三は弱々しく頷いた。

 

このとき、田所は恵三の左手首に妙な痣があるのに気付いた。ぐるりと手首を一周する紫色の痣は痛々しく見える。

 田所はしばらく恵三のもとに付き添い、そのあいだ家族は警察の事情聴取などに応じていた。港で倒れたため、事件の可能性も疑われたためだ。


「おじいちゃん、誰かと言い争いをしてたみたいなの。でも、港にはおじいちゃん以外にはいなかったし、相手が誰なのかはわからないんだって」


 津奈島の釣り仲間はどうしたのか、と訊ねたところ、この2、3年は付き合いが途絶えていたようだと母親から告げられた。

 津奈島災害に巻き込まれた可能性が高く、そのニュースを見て、気が動転してしまったのではないかと両親は考えているようだった。


 実家を離れていた田所にはまったく事情がわからない。ただ、自分が離れているあいだも恵三の周りに何らかの変化があったことは察した。

 恵三は目覚めているあいだも何もせず、ぼんやりと天井を眺めていた。


「津奈島災害の話はしませんでした。友達が巻き込まれたのだとしたら、祖父も相当凹んでるだろうと思いましたし。いま自分が東京でどうしているか、とか、他愛ない話をだらだらしゃべってたんです」


 田所の話を聞きながら、恵三は小さく相槌を打ってくれた。

 せっかくなので、退院したら何がしたいか尋ねるが、恵三ははっきりと返事をしなかった。気晴らしになればと思い、田所は思いつくままに、あれはどうか、これはどうかと提案をしたという。その提案の中で「ウナギでも食べに行こうか」という話も出していた。


「深い理由はなかったんですよ。ちょうどあの頃は八月に入ったばかりで、東京にいる彼女とも高級なうな重を食べてみたいね、なんて話をしてたので」


 恵三はしばらくして、こう答えた。


「ツナラか」


 なんのことかわからず、田所が訊き返すと、恵三はこう云ったという。


「津奈島じゃあ、ウナギのことをツナラと呼ぶらしい。ミヤさんが云ってた」


 ミヤさんとは、恵三がつるんでいた津奈島の釣り仲間だった。

 田所は津奈島災害のことを言及するべきか迷ったが、すでに恵三さんは津奈島災害のことを知っていた。


「あの島の人らは、みんないなくなっちまったんだなぁ」


 純粋に祖父を労わるために、田所は云った。


「無事だといいね、ミヤさん」


 恵三はベッドから皺だらけの手を伸ばしてきた。祖父の悲しみを少しでも慰めようと、田所は恵三の手を握った。しばらく手を握り続けていた田所は、そこで違和感に気づいた。

 握った手が小刻みに震えていたのだ。

 恵三は前を見すえ、唇を固く握りしめていた。


「あれは、悲しんでる感じじゃなかった。明らかになにかを怖がっているように見えました」


 そして、ひとりごちるように恵三はこう呟いた。


「ミヤさんはもうツナラになっちまった」


******


 ずっと話を聞いていた私とミオはここで初めて顔を見合わせた。


「それはつまり、ミヤさんはウナギになった、ということでしょうか?」

「いや、それが……」


 田所さんは言葉を濁した。祖父の思い出話を楽しそうに話していた男の顔が急に曇りだす。緊張のためか、眉間にシワを寄せたのち、こう切り出した。


「いまから話すのは全部、祖父から聞いた話です。俺はこの話を信じていませんし、本当は何が起きたのかも全然見当がつかない。それでも聞いてもらえませんか?」


 私たちが頷くと、田所は慎重に話を始めた。

 

 次章より記載するのは、田所の話に基づいて構成した田所恵三の体験談である。

 表現上の都合により、創作を加えざるを得なかった部分もあるが、話の本筋は手を加えず記載していることはお伝えしておく。

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