5. 失踪した夫に関する話_考察

 椛島裕子の取材を終えたのは、夕方の5時頃だった。

 我々が椛島宅を辞する際、裕子はこんなことを話した。


「最近、夢を見るんです」


 それは暗い海を見下ろしている夢だという。

 冷たいような、温かいような不思議な感触に包まれており、目が覚めてもずっと感触が残り続けるのだという。

 ひょっとすると健太郎が見た“幸せな夢”とは、これではないか。

 次第に裕子はそう考えるようになっていた。


「だから、いまになって怪談として投稿したんです。こんな不思議な話、警察の方にも話せませんしね」


 我々は東京に戻る前、ミオの提案でファミレスに寄った。ご当地名物のハンバーグがあるらしく、どうしてもそれを食べたかったらしい。

 浜松に来たのだから、ウナギでもいいのではないかと私は云ったが、ミオに拒否された。


「私、魚全般が嫌いなんですよ。昔から全然食べられなくて」


 我々はハンバーグ定食を食べながら、その日の取材について話し合う。

 

 健太郎はどこかの地方へ出張した際、ツナラと呼ばれるモノを食べた。

 それ以降、急に精力的になったり、意味のわからない言葉を唱えたり、といった奇行を繰り返すようになった。

 夫の奇行に耐えきれなくなった裕子は家出をするが、そのあいだに健太郎は行方不明となり、5年が経過しようとしている。

 健太郎はなぜ失踪したのか。財布もスマートフォンも寝室に置きっぱなしにんっていたため、少なくとも家出の可能性は薄いと考えらえる。

 

 気になったのは、健太郎が唱えていたという寝言だった。

 これについて、ミオはある意見を持っていた。


「健太郎さんが唱えていた言葉って神語じゃないでしょうか?」


 神語とは出雲大社で奏上される唱詞であり、人に祝福をもたらす心霊である幸魂さきみたま奇魂くしみたまへの祈りが込められている。  

 実際の唱詞は下記のとおりである。


 幸魂さきみたま 奇魂くしみたま 守給まもりたまひ 幸給さきはえたまえ

 

 たしかに健太郎の唱えていた言葉とほぼ一致する。

 違う点があるとすれば、祈りを捧げる対象――ツナラノミコトだ。

 一般的にミコトは「命」と表記され、日本神話における神の尊称に用いられる。


 しかしツナラノミコトという神の名前は聞いたことがない。古事記や日本書紀には登場しない地方神の可能性もある。

 ツナラ信仰とはなにか関係があるのか。

 この時点の我々には、それ以上の考察を深めることはできなかった。


 それからほどなくして、SNSで運営されている『トリハダQ』の公式アカウントから次のメッセージが投稿された。


「ツナラという言葉をご存じの方がいたら、ご一報ください」


 安達氏の提案による投稿だが、投稿時の反応は芳しくなかった。


 反応が来たのは、投稿から1週間が経過してからである。

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