26. ある密漁者の懺悔_6
島での生活が始まり、1年が経とうとしていた。
津奈シップスの年間売上は投資の効果もあってか、200億を計上した。おかげでますます佐原たちの懐は潤っていた。
あれだけ息子の地方移住を嫌っていた母親も多額の仕送りを前に、なにも文句を言わなくなった。介護施設に入院してからというもの、父親の経過も順調であり、介護から解放されたことで、母の心理的負担も軽減されたようだった。
せっかくなので津奈島で獲れたウナギの冷凍パックも送っている。母は津奈島のウナギをえらく気に入り、寝たきりの父親にもすり身で食べさせているらしい。父も毎回、美味しそうに食べているという。
佐原も工藤も気がつけば湯沢の信頼を得るようになり、幹部格に昇格していた。すでに現在はシラス漁から離れ、本土側の事業所を取り仕切るようになっている。
津奈シップスは水品加工を取り仕切る企業として、表向きの商売も担うようになり、そちらの商売も軌道に乗り始めていた。
水産加工品を本土へ輸送しながら、同時に密かに確保したシラスの輸送も行う。津奈島産のシラスは育ちがよく、養鰻業者のあいだでも評判になっていた。
仲介を担っているカバシマは津奈島のシラスの営業にいつも精力的に動いていた。
休日も無視して働くので家庭は大丈夫なのかと訊ねたが、カバシマは精力がみなぎった声でいつも答えた。
「ツナラのためなら骨身は惜しみませんとも! ええ!」
島の人間とは変わらず良好である。島へ戻れば、宮川だけでなく、ほかの島民たちも気さくに声をかけてくれる。
津奈シップスに所属する従業員は平均年齢が二十代のため、高齢者が多い島民たちからすれば、孫のような存在なのだろう。
すべては順調である。順調のはずである。
しかし、佐原はいつも不安を抱え続けていた。
高橋が消えた一件以来、佐原はあまり津奈島に帰っていない。定例以外ではほとんど島には寄り付かなくなっていた。
なぜなのか。理由は自分でもわからなかった。ただ島に戻るたび、ツナラ御殿へ向かうたび、神社のことが気にかかった。
千尋の姿はあれ以来見かけていない。
彼女はずっと神社の隣にある屋敷に引きこもっているらしい。千尋の身の回りの世話は有賀家が務めており、彼女が表舞台に出ることはない。湯沢たちも彼女が普段なにをしているのか知らないようだった。
もうひとつ、佐原たちにとって由々しき問題がある。
だいたい2ヵ月につき1人か2人、失踪する人間が出始めたことだ。高橋のときと変わらない。荷物を残し、まるで蒸発したように島から消えてしまうのである。
この件についての対策も相談したが、湯沢はほとんど気にしていなかった。
「新人がトぶなんてこの業界じゃよくあることだ。代わりを補充すればいい」
佐原が気にしたのは情報漏洩だったが、なぜか湯沢はその件にはだんだんと無頓着になっていた。以前はどこかに自分たちのネタをパクったのではないかと恐れていたのに。
唯一、佐原の懸念に同調してくれたのは工藤だけである。
「失踪届けを出せたら早いんだけどなー。警察に嗅ぎ回られたら、オレたちもパクられる可能性あるしなー」
工藤は困ったようにぼやいた。
佐原は神社の関与について訊ねた。消えた人間はみな、神社に向かったのではないか。しかし佐原の言葉に工藤は首を傾げた。
「なんで神社なんだよ。あそこ、池くらいしかないじゃん」
「それはそうなんだけど……」
あの池で見た光景を佐原は誰にも話していない。
「コウちゃん、なにか知ってるの?」
幼馴染の異変を察してか、工藤が探るように訊ねる。
佐原は首を振った。
「いや、俺はなにも」
入水を試みるかのように池に入ろうとしていた高橋。池に住んでいたウナギの群れ。千尋の言葉。いまでもあれは夢だったのではないかと思うときがある。
佐原たちの事業はハッキリ言えば違法である。長続きはしない。いつかは破綻する。それは覚悟の上だった。
しかし佐原が覚悟していたのは、法による介入や他組織の横槍など、あくまで人間の理に基づいた破綻である。
神隠しなど信じられるはずもない。
いっそ工藤にだけでも相談するべきだろうか。
だが、こんな話をして工藤はどんな反応を示すのだろう。工藤はかけがえのない相棒であり、親友である。そんな人間に臆病風に吹かれたと思われたくなかった。
少し間を置いてから、工藤は云った。
「コウちゃんってさ、昔から隠しごとするとき、手を組む癖あるよね」
思わず佐原は自分の手を見た。手は両膝に置いたままだ。佐原の反応を見て、工藤は爆笑している。そこでようやく、まんまとハメられたことに気づいた。
「趣味が悪いよ」
「大学出てるくせに単純な手に引っかかるほうが悪い」
「大学は中退だ。学位は獲れてない」
「どっちでもいいわ」
工藤はひとしきり笑ってから、真顔になって訊ねた。
「オレには相談できないこと?」
「……そういうわけじゃない。ただ、うまく説明できないんだ。自分が見たモノがなんだったのか」
「その見たモノってのは、ヤバいモノ?」
「ヤバい。思い出したくない」
「危険ってこと?」
「たぶん」
「なるほどね」
工藤はうなずいてから、なにかを思案するように宙を眺めた。五分ほど経ってから、ようやく口を開いた。
「ちょっと探りを入れてみるわ。自分の目でも確かめたいし」
「ケイちゃん、あんまり派手に動くと――」
「大丈夫。無茶はしねーって」
工藤は云った。
「なんかわかったら連絡する」
それから工藤と佐原はくだらない話を続けた。最近の事業や購入した土地、あとは最近仲良くしているホステスなど。結婚の展望や東京への凱旋の野望など、気兼ねなく未来の話を語り続けた。
それが佐原にとって、希望にあふれた未来を信じられた最後の時間だった。
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