27. ある密漁者の懺悔_7

 2018年、5月。

 シラスの漁期が終わり、津奈シップスも稼働するのは表向きの事業だけとなる。

 綿土湾に船を繰り出せば、いくらでもシラスは獲れるだろうが、禁漁期にシラスを仕入れても、取引自体が難しい。佐原たちからすれば、長い休みに入っているようなものだった。

 その日、佐原は懇意にしているキャバ嬢とホテルに入っていた。二回戦に突入しようとしたとき、工藤から着信が来た。

 すぐに折り返しの連絡を入れた。


「ケイちゃん、どうしたの?」


 返事はなかった。スマートフォンのスピーカーからは波の音が聞こえ続ける。「ケイちゃん?」ともう一度訊ねると、今度は声が返ってきた。


「ツーナーラーノーミーコートー、ツーナーラーノーミーコートー、マーモーリーターマーエー、サーキーハーエーターマーエー」


 工藤の声だ。普段と話す調子が違いすぎて、工藤の声だとすぐにはわからなかった。何度も名前を呼んだが返事はなく、一方的に切られた。

 スマートフォンを握っていた手が汗ばんでいた。いまのはなんだったのだろう。まるで呪文を唱えているようにも、呻いているようにも聴こえた。

 佐原はキャバ嬢に金を渡し、さっさと帰らせると、部下に連絡を取り、工藤のスケジュールを確認させた。

 工藤は本土の事業所ではなく、三日前から津奈島へ渡っていることがわかった。今度は湯沢に確認を取る。湯沢の返事はそっけなかった。


「工藤? ああ、こないだから島に来てたな。こっちじゃ見てないけど」


 様子がおかしいので工藤の捜索を頼んだが、湯沢の反応は鈍かった。ボスの危機感のなさに苛立ちながら、佐原は翌朝、すぐに津奈島行きのフェリー船に乗り込んだ。

 フェリーの客室で、工藤の電話から聞こえた言葉を反芻する。


 ツナラノミコト。


 神社で祀られているツナラ様のことだろうか。

 なぜ工藤がツナラの名前を? 工藤になにがあったのか。

 消える直前の高橋の様子が脳裏から離れない。


 ――もう、この方は呼ばれていますね。

 ――いずれみな、ツナラの仔としてツナラさまのもとに還る。


 なにがツナラの仔だ。なにがツナラさまだ。そんなものがいてたまるか。

 午後になり、ようやくフェリーは港に到着した。電波が入ったので工藤のスマートフォンに電話を掛けるが、応答はない。その足で佐原は宿舎へ向かう。宿舎に詰めていた従業員に工藤の所在を訊ねた。


「工藤さんなら昨日、神社のほうにいましたね」


 佐原は津奈比売神社まで車を飛ばした。がら空きの駐車場に停車したのち、段差を登り、鳥居をくぐり、境内の奥にある池へと向かう。

 だが池への門は錠によって閉ざされていた。佐原は毒づきながら、門を乗り越えようとした。


「何をしているのですか?」


 声を掛けられる。千尋ではない。精悍な顔つきの、四十代の男だった。神社の関係者である有賀である。


「関係者以外は立ち入り禁止ですよ」

「ここに連れがいるかもしれないんです。入れさせてもらえませんか?」

「無理ですね。神域ですから」


 にべもなく有賀は断った。

 その言葉に、佐原は怒りで頭が湧きたち、有賀の胸倉をつかんだ。


「うちの人間、どこに隠した。ここにいるのはわかってんだぞ」

「なんの話です? ここには誰も来ていませんよ」

「前にうちの人間がここの池に入ろうとした。あんたんところの巫女さんは、ツナラに呼ばれたとか、わけのわからねーこと云ってたぞ。ケイちゃんも、工藤も消えた。お前らがなにかしたんだろ!」

「巫女さんではない。ヒメコ様です。ご訂正を」

「ヒメコ? 姫様気取りかよ」

「ご訂正を」


 なおも有賀は平静な調子で繰り返す。だんだんと佐原は怒りを持続することができなくなった。結局どうすることもできず、胸倉から手を離す。


「本当に、誰も池には入ってないのか?」

「ええ、この一週間は誰も」

「工藤は来なかったか? 神社のほうにいたと聞いたんだが」

「工藤さんはいらっしゃいましたね。私が話をしました」

「いったい、なんの話を?」

「神社の由縁です。主に津奈来命に関する話を。あとは私どもの屋敷についても尋ねられてましたね」

「屋敷?」

「ええ。神社の隣にある屋敷です。ヒメコ様と共に住んでいます。御覧になられます?」

「いや、いい」


 佐原は首を振った。そこで佐原はあることに思い至る。


「工藤がなにでここに来てた?」

「車でお越しになられてましたね」


 工藤は自前の車を津奈島に持っている。島のノスタルジックな風景にはまるで馴染まない、青のシボレーカマロだ。佐原がそうであるように、島を移動する際は、バスではなく必ずカマロに乗っていた。


 もしも工藤が神社で行方不明になったのなら、駐車場には工藤のカマロがあるはずだ。駐車場にカマロはなかった。あれば、すぐに気づいたはずだ。

 工藤はここにいない。少なくとも、神社で消えたわけではない。


「ご納得いただけたようですね」


 有賀の言葉に、佐原はなにも反論できない。


「……お騒がせして、申し訳ありません」

「いえ。ただ、工藤さんの件は確かに心配ですね。島の者たちにも声をかけますので、見つかったら、そちらにご連絡いたします」

「はい。ありがとうございます……」


 佐原は力なく鳥居をくぐり、段差を降りた。一度宿舎に戻り、再度状況を確認する。しかし工藤の足取りはわからない。工藤の車も宿舎からは消えていた。

 ほかの従業員によれば、工藤はここ数日、宿舎と神社を往復していたらしい。


「そういえば昨日は、ずっと宿舎をうろうろしてましたよ。探し物してるみたいでした」


 しかしなにを探していたのかわからないという。

 念のため、工藤が宿舎で使っていた部屋も確認する。新しい従業員が入ってくるものの、いなくなる人間も定期的に現れるため、常に空き室のある状態が保たれている。


「工藤さんが使っていたのは、ここの部屋です」


 宿舎の2階にある部屋に入る。工藤のスーツケースが部屋の隅に置かれているが、他に変わった様子は見当たらない。スーツケースの中も検めるが、入っているのは着替えだけで財布やスマートフォンなどは見当たらなかった。

 宿舎の前に出ると、釣り帰りの宮川とばったり出くわした。


「康介くん。戻って来てたの?」

「はい。ちょっと野暮用で。工藤を見かけませんでした?」

「圭一郎くん? そういえば今日は会ってないね」

「工藤、探し物をしてたらしいんですけど、なんのことかわかります?」

「さぁ。落とし物でもしてたんじゃない?」


 結局、なにも手がかりは見当たらない。八方ふさがりになっていた時、工藤の捜索に当たっていた部下から連絡が来た。

 青いカマロが綿土湾の端にある岸壁に停車していたのだ。さらに付近に停められていたボートも一隻、なくなっているという。

 佐原はすぐ現場に急行し、カマロを確認した。間違いなく工藤の車のナンバーである。


 車のダッシュボードには財布とスマートフォンが置きっぱなしになっていた。ドアに手をかけると、すんなり開いた。車のキーが差しっぱなしになっている。佐原は財布とスマートフォンを確認する。


 財布の中身は1万円の札束とカード、免許証が入れっぱなしになっていた。スマートフォンはロックがかかっていなかったので、すんなり画面を表示できた。


 電話の着信履歴を確認する。最後の電話は昨日の夜。佐原のもとにかかってきた電話が最後だ。ほかのメッセージも確認するが、不審な点は見当たらない。


「どうしましょう、佐原さん」


 同行していた部下が不安そうに尋ねる。工藤失踪という事態の重さをようやく実感できたらしい。佐原はひとまず湯沢に連絡し、改めて工藤失踪を伝える。

 一連の報告を訊いて、湯沢はこう答えた。


「放っておいていいんじゃねぇか?」

「放っておく? 捜索しないってことですか?」

「蒸発したんだろ? じゃあ、探しても仕方ないだろ。仕事のやる気がないってことなんだから」

「そういう問題じゃないでしょ! 工藤がいなくなったんですよ! そんな軽い言葉で放っておいていいわけないだろっ!」

「なに熱くなってんだよ。そんなキャラじゃないだろ?」


 電話口の向こうで湯沢はケタケタと笑った。

 佐原は自分の耳を疑った。工藤は経営の一端を担う幹部である。湯沢にとっても可愛がっていた右腕のはずだ。

 人情の問題だけではない。工藤は津奈シップスの実情をよく知っている。情報漏洩のリスクがある。そんなわけがない、と佐原は確信しているが、工藤が津奈シップスを裏切って、他の組織に情報を売っている可能性だってある。

 湯沢に合理的な思考があるのなら、工藤を心配せずとも、そちらのリスクを憂慮し

て然るべきだ。放っておいていいなんて判断になるはずがない。


「本気で言ってるんですが、それ」

「だったらなんだ。お前も消えるか?」


 佐原は電話を切った。苛立ちのあまり、その場で罵声を発しながら地団太を踏んだ。

 部下には宿舎に戻るように告げ、佐原は岸壁に残った。波の音だけがやけに耳に響き渡る。カマロのそばで項垂れていた佐原はもう一度工藤のスマートフォンを確認した。


 工藤の行動履歴を洗いたかった。SNSの類はLINE以外やっていない。ネットのブラウザ履歴も確認するが、めぼしい情報はなかった。


 写真はどうだろう。工藤は熱心に写真を撮るようなタイプではない。撮っても見返さないから無駄だと以前から話していた。だから期待はしなかった。写真アプリを起動するが、やはりこの1ヶ月のあいだで撮られた写真は見当たらなかった。

 手がかりはない。


 それでも諦められなかった。なにかメッセージはないか。痕跡はないか。見落としているモノはないか。考え続けた佐原はあることに思い至る。


 スマートフォンにはアプリの使用履歴を確認する機能がある。工藤が直近で使用したアプリを確認すれば、ここ数日の工藤の行動が読めるかもしれない。そこで設定の画面から、アプリの使用履歴を確認する。


 この2日間、工藤が最も頻繁に使用していたのはカメラだった。


 2日前も、昨日も、それぞれ一時間近くに渡ってカメラを立ち上げている。

 どういうことか考える。スマートフォンに残されたのは会合やパーティの写真ばかりだ。わざわざこのタイミングで見返すとは考えにくい。この2日間、工藤はカメラを起動して写真を撮っていた、と考えるのが自然だろう。しかし肝心の写真はスマートフォンに残されていない。ならば、これは何を意味するのか。


 シンプルに考えるなら、写真を消した、ということだ。


 工藤自身が消したのか、誰かに消されたのかはわからない。だがタイミングを踏まえると、工藤失踪と写真にはなんらかの関係があると推測される。


 しかし、いったいなんの写真を撮ったのか。

 もともと工藤は失踪者の行方を探るために島に滞在していた。となると、写真もおそらく失踪者に関連するなにかのはずだ。

 神社の写真だろうか。しかし神社のなにを撮るというのか。


 佐原は海を眺める。


 すでに日は暮れており、海は夕焼けに染まりつつある。海を見るうち、佐原の視界にひとつの岬が入ってきた。


 岬にある洞窟。入り口の半分は海に没しており、奥は闇に閉ざされ、中を伺うことはできない。つならの岩屋。


 ――知ってるか? あの洞窟にツナラ様が封じられてる伝説があるんだと。

 ――いずれみな、ツナラの仔としてツナラさまのもとに還る。


 佐原は立ち上がった。


 消えた人間は岩屋に入ったのではないのか。それであれば見つからない理由にも説明がつく。千尋の言葉とも辻褄が合う。ボートが一艘見当たらないのも、工藤がボートに搭乗して


 岩屋になにがあるのか。なぜ岩屋に入ったのかはわからないが、答えは岩屋の中にあるのではないだろうか。岸壁には会社で所有しているボートが係留している。ボートに常備しているケースの中に懐中電灯と救命胴衣が収容されているのを確認すると、佐原はすぐに救命胴衣を着用した。


 もう誰も頼れない。ほかに探す場所もない。そもそも工藤が捜索を始めたのは自分が余計なことを云ったせいだ。工藤を見捨てる選択など、もとより自分にはない。


「待ってろ、ケイちゃん」


 ボートのエンジンをオンにし、佐原は出航した。勝手知ったる海だが、岩屋の周辺にこれまで近づいたことがない。


 岬に近づくと、潮の流れが速くなる。まるで岩屋に引きずり込まれるようだ。一度入ったら出られない、という言葉の意味を実感する。


 ボートを飲み込もうとしているかのようだ。

 舳先が岩屋の入り口に到達する。想像以上に入り口は狭い。佐原は懐中電灯を点けた。ライトの灯が頼りなく洞穴の内部を照らす。


 外の空気と比べて、内部の空気は一段と冷えている。岩壁にぶつけないようにハンドルを操作しながら、水流に沿って洞窟の奥へと航行する。


 洞窟は内部にも海水が侵食し、複雑に蛇行している。どこまで続いているのか、全貌がわからない。


 グワアアァーーーーーーーーン


 びりびりと肌を震わせるような音が響く。シラス漁の際、ずっと岩屋から響いていたあの音だ。音は洞窟の奥から聴こえている。


 佐原の背筋に寒気が走った。


 ずっとこの音は外から吹いた風が洞窟内で反響する音だと思っていた。しかしいま外から吹く風はない。音の元凶は洞窟の奥にある。


 他にも外に通じる穴があり、そこから風が吹いているのだろうか。しかしこの肌を震わせる音の圧が本当に風鳴り音なのだろうか。


 これは、咆哮ではないのか。


 するとボートの舳先が途中でなにかに引っかかった。佐原は立ち上がり、懐中電灯をボートの先に向ける。


 無数の木片が水面に浮かんでいた。


 よく見るとどの木片にも加工した跡がある。木っ端微塵になっているため、もとの形はわからない。

 佐原はボートに積んでいたタモ網を使い、散らばった木片を脇にどかす。まるで嵐に遭って、粉々に砕かれたかのようだ。

 タモ網で掻き分けていったとき、水の中でなにかとぶつかる手応えがした。水の中を覗き込もうとする。

 すると水中から声が聞こえた。


 赤ん坊の泣き声だ。


 最初は空耳かと思った。だが、たしかに聞こえる。赤ん坊の泣き声がまるで水から湧き上がるかのように響き続ける。

 それにつられるように、急に水面から幾つもの黒い影が沸き上がる。


 ウナギだ。


 黒いウナギの大群が赤ん坊の泣き声を発しながら、洞窟の奥へと泳いでいった。

 佐原は声を出せなかった。


 ボートの上で腰を抜かしながら、ハンドルを操作してボートの向きを反転させようとする。だが、ボートの底にもウナギたちが密集し、舵を切ることができない。駆動し続けるエンジンによって、ボートは奥へ奥へと進んでしまう。


 赤ん坊の泣き声は止まない。


 頭が割れるように痛い。自分がどこにいるのか、だんだん平衡感が消えてくる。ボートは制御が利かないまま、ぐんぐんスピードを上げていく。やがてボートが座礁し、転覆した。そのまま佐原の体は水面に投げ出される。

 救命胴衣究を着けていた佐原は水面に浮かんだ。体を撫でるように、変わらずウナギの大群がそばを通り過ぎていく。潮の流れに佐原は巻き込まれる。

 訳が分からないまま、佐原は水を飲みこみ、流されていった。


 どれだけの時間が経っただろう。


 気がつくと、いつのまにか潮流が途絶えていた。あたりは真っ暗で、視界にはなにも映らない。終点。佐原は自分が流れの終点にたどり着いたのだと理解した。

 先ほどとまた空気が異なる。圧迫感がない。広い空間のようだ。ただ、むせ返るような生臭さが鼻をついた。


 これは、なんの匂いだ。

 ここには、なにがいるんだ。


「コウちゃん」


 声が聞こえた。間違いない。工藤の声だ。


「ケイちゃん! いるのか、ケイちゃん!」


 佐原の呼びかけに、なおも「コウちゃん、コウちゃん」と繰り返す声が響いた。やはり工藤は岩屋に入っていた。まだ無事だったのだ。

 だが、姿が見えない。光が欲しい。佐原は周りを見渡す。

 水面に浮かんでいる懐中電灯を見つける。佐原は腕を伸ばし、懐中電灯を掴んだ。スイッチを入れると、ライトはまだ点いた。


「コウちゃん、コウちゃん、コウちゃん」


 工藤の声が繰り返し聞こえる。佐原は声がするほうへ懐中電灯を向けた。

 光に照らされて、工藤の顔が浮かび上がる。


「ケイちゃん!」


 佐原は声を張り上げた。親友の無事に安堵する。工藤は疲れているのか虚ろな表情をしている。コウちゃん、コウちゃんと繰り返し呼びかけ続けた。


「一緒に帰ろう。ボートに乗ってきたんだ。湯沢の野郎、ケイちゃんのこと見捨てやがってさ。もうあんなクソ会社辞めてやろうぜ。金はあるからさ、今度は二人ででっかい事業を始めて……」


 コウちゃん、コウちゃん、コウちゃん、コウちゃん、コウちゃん。

 工藤はこちらの言葉に反応しない。まるで言葉を覚えたばかりのオウムのように、おなじ調子で言葉を繰り返し続ける。


「なんだよ、ケイちゃん。どうしたんだよ……」


 震える声で呼びかけながら、佐原は気づいてしまった。

 工藤の顔が自分の目線よりもずっと高い位置にある。まるで生首だけ宙に浮いているようだ。これだけ光に照らしているのに、胴体が見えない。


 佐原さーん


 また呼びかける声がする。高橋の声だ。すると工藤の隣に、高橋の顔が現れる。高橋も虚ろな表情で佐原を見ていた。


 佐原さん 佐原先輩 康介さん 佐原くん 佐原


 幾つも幾つも違う声が重なる。違う顔が浮かぶ。あそこにいるのは先月いなくなった山本だ。あそこにいる若狭はシラス漁がとにかく美味かった。田代はいつも美味そうにツナラを食っていた。行方不明になった津奈シップスの面々だ。いや、それだけじゃない。女性や子供、それに赤ん坊の顔まで浮かんでいる。

 みんな、顔だけだ。顔だけがなにかに貼り付いている。


 佐原は昔読んだ『デビルマン』の漫画を思い出していた。食らった人間の顔が甲羅に浮かび上がる化け物。なぜ漫画の化け物をいま思い出すのか。


 ずるり


 なにかが這う音がした。

 粘液をこすり合わせるような音。

 それにつられるように顔の群れが動く。ゆっくりと佐原は懐中電灯を動かした。

 

 いま、佐原はドームのような空間にいた。あの岩屋の終着点である。ちょうど地底湖になっており、大きな池が広がっている。


 その池の中央に巨大な龍がとぐろを巻いていた。


 大蛇のように長い胴体に、工藤たちの顔が白い鱗の如く貼り付いてる。胴体の太さは年月を重ねた巨樹ほどある。


 龍は巨大な杭のような物体にとぐろを巻いて締め付けていた。


 懐中電灯の光は胴体を尻尾から追いかけていき、自然と杭の上部へと向かう。やがて龍の顔に当たる部分を照らし出す。


 そこにあるのは巨大な人間の頭だ。しかしどんな顔なのかはわからない。

 まるでミイラのようにぐるぐると包帯が巻き付けられている。包帯には呪文のようなものが書き込まれていた。ただの包帯ではない。お札だ。この龍を封じるための札なのだ。


 龍。あるいは化け物か。


 ぴちゃぴちゃと水面を蠢くモノたちが化け物の周囲に集う。ウナギの大群だ。無数のウナギたちが吸い寄せられるように化け物の胴体に触れる。

 胴体に貼り付いた人間の顔が口を開き、ウナギを食った。次々と食われるウナギたち。しかしなおもウナギたちは化け物に集い続ける。

 

 それが自らの役割だとでも云うかのように。

 

 ウナギが食われるたび、鱗が増える。人間の顔が増える。

 ああ、そうか。佐原は理解した。

 

 これらのウナギは、人なのだ。

 かつて人だったはずの者がウナギとなり、化け物と一体になったのだ。

 

 ウナギは生まれた時から潮流に乗って、長い旅を続けて成長する。そしてふたたび生まれた場所へと還り、新たな卵を産む。

 このウナギたちもおなじ。彼らはツナラの仔なのだ。ツナラの仔は最後に生まれた場所へと還る。


 龍の化け物――津奈来命、ツナラのもとへ還る。


 さまざまな声が響く。笑い声だ。工藤の笑い声。ひとびとの笑い声。赤ん坊の笑い声。無数の笑い声に、ひとつの絶叫が混ざる。

 絶叫を放っているのは、佐原自身だ。

 もう佐原はなにも考えられなかった。ただ叫ぶことしかできなかった。


 巨大なツナラの胴体から白い腕が生えた。人間の手と変わらない、白い腕だ。

 巨大な腕が佐原のもとに伸び、顔ほどの大きさがある指先で佐原を指さす。

 ひび割れた爪先が、佐原の頭を撫でる。

 佐原の記憶はそこで途絶えた。


******


 気がつくと佐原は津奈島の近海に浮かんでおり、通りかかった本土の漁船に救われた。そのまま佐原は事業所に退職を伝えると、逃げるように東京に帰った。

 以来、津奈島には戻らず、湯沢たちにも会わなかった。

 

 佐原が津奈島を去って2ヶ月後、津奈島災害が発生した。

 

 ニュースで見た映像には変わり果てた津奈島の姿が映し出されていた。

 

 映像の中に映るツナラ御殿は跡形もなく崩落していた。

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