22. ある密漁者の懺悔_2
工藤との会食から2ヶ月後。
佐原は津奈島へ向かうフェリーに乗っていた。荷物はボストンバッグひとつだけ。ずっと甲板から海を眺めている。
天候は曇り。海は荒れている。灰色の雲と濁った海は境界がないまぜになり、溶け合っているように見えた。
すでに本土の影は見えなくなり、厳しい寒さを孕んだ海原に放り込まれた気分になる。乗客は地元民らしい人間と、配達業者の男性が数名。それに混ざるように佐原と同年代の男たちの姿があった。
大学のサークルではない。お互いを気にしながら、距離を取っているように見える。みな、淀んだ目をしており、荒んだ空気を放っている。
もしかすると自分と同じく津奈シップスに入社する社員かもしれない。そう考えるものの、こちらから声をかけはしなかった。端から見れば、自分も大して変わらないかもしれない。
島へ行くのはすんなりとはいかなかった。なんといっても母親の反対があったからである。一人息子が離れるのを母はとても嫌がった。
父を介護施設に入れる、母もパートをしなくていい、と説得したが、母はとにかく寝たきりに近い父と二人きりにされたくなかったらしい。
「お前も私を置いて行くのか」
かつては気丈な人だったはずの母はやつれた表情でそう詰った。結局、最後まで納得させることができないまま、佐原はこうして船上の人になっている。
寂しくはあったが、後悔はなかった。息がつまりそうな日々からの解放感、鎖を振り切って進む充足感が罪悪感を上回っていた。
ふと舳先のほうから苦しそうな声が聞こえた。甲板でスーツ姿の男性がうずくまっている。神経しそうなやせ細った男だ。海に向かってゲーゲーと吐いていた。さすがに見ていられなくなり、佐原は男に近寄り、声をかけた。
「大丈夫ですか。酔い止め、ありますけど」
「へ、平気です。もう、だいぶ吐きましたから……」
男はペットボトルで口をゆすぎ、海に吐き捨てた。それでも苦しそうだったので、佐原はひとまず男を船室まで連れて行く。ネクタイを緩め、介抱していくうちに男の顔色も戻ってきた。
「まったく、ひどすぎる。こんなオンボロ船しか渡航手段がないなんて。これだから田舎はイヤなんだ」
顔色が戻った途端、口から流れるように罵詈雑言が飛んだ。男は値踏みするようにまじまじと佐原を見返し、尋ねた。
「もしかして、あなたも津奈シップスに?」
「ということは、あなたも?」
「ええ。私、経理担当です。あ、申し遅れました。私、高橋と申します」
「どうも。佐原です」
「そうですか。お若いですね。学生さんですか?」
「元学生です。実家の事情で退学して、フリーターしてました」
「ああ、なるほど。フリーター。フリーターね」
途端に高橋の口調のトーンが変わる。あからさまにこちらを見下しているような笑みを浮かべた。佐原は気づかないふりをして訊ねた。
「高橋さんは、前の仕事はなにを? どこかの会社にいたんですか?」
「私? 私は丸菱銀行です。青山支店の支店長も務めていたのですよ」
「丸菱銀行って、あの丸菱ですか?」
「はい。あの丸菱です。銀行にずっといてもよかったんですけどね。津奈島のポテンシャルに惹かれまして。ふふ、冒険してしまいました」
高橋は光悦とした表情で笑みを浮かべた。
「津奈シップスの売上は去年だけで総額100億です。しかもまだまだ事業を拡大できるポテンシャルを占めている。私、官公庁にも顔が利きますからね。よかったですね、佐原くん。君も勝ち馬に乗れて」
「そんなにうまくいくんでしょうか」
「うまくいきますよ、絶対。うまくいってもらわなきゃ困ります……」
高橋の最後の呟きには不安の感情が洩れていた。虚勢を張っているが、この男も佐原と大して境遇は変わらないのだろう。
なにかの理由でしくじり、エリートコースから転落した。フェリーに同乗している他の者たちもおなじだろう。社会の枠組みから零れ落ちた者たちが集う津奈島はある意味、吹き溜まりなのかもしれない。
やがてフェリーは津奈島に着いた。もう一度甲板に出た佐原は、津奈島の姿を目の当たりにする。グーグルアースで島の形は確認していたが、実際に目の当たりにすると想像以上に山は急峻な印象を受けた。
何気なく山を見上げると、山腹に鳥居が見えた。そういえば、津奈島には神社があったのを思い出す。そこで佐原は鳥居に人影があることに気づいた。白い袴を着ている。顔はよく見えない。髪の長さからして女性だろうか。こちらを見ているように思える。
「おー、あれがツナラ御殿ですねー」
いつのまにか高橋も甲板に出ていた。「ツナラ御殿?」と訊くと、高橋はある個所を指さす。
山腹にある鳥居から少し離れた場所に、島の風景に似つかわしくないシンプルな外観の建物が建てられていた。白で統一された外壁は高級感を感じさせ、こちらを一望できるようなデッキが設けられている。あの一画だけ海外のホテルのようだ。
「津奈シップス代表の湯沢さんの新居ですよ。島に建てたと聞いたけど、本当だったんですね」
「あれが家なんですか?」
「島の土地代なんてたかがしれてますけどね。100坪以上はあるらしいですよ。一億はかかってるんじゃないかな」
高橋がうっとりとした目でツナラ御殿を眺める。自分の未来をツナラ御殿に重ねているのかもしれない。佐原もツナラ御殿の姿を目に焼き付ける。
やがて船が着岸し、佐原たちは島に降りた。
港は寂れており、ほとんど人の姿を見かけなかった。待ち合わせ場所である駐車場へと向かうと、一台の黒いワゴン車が停まっていた。ワゴン車の運転席には工藤の姿があった。
「よーこそ、津奈島へ!」
工藤は佐原を見て、にやりと笑う。見知っている顔を見かけて、佐原も頬を緩めた。ワゴン車には六人の男たちが乗り込む。みな、荷物は少ない。全員が乗り込んだのを確認すると、工藤は車を発進させた。
車は五分ほどで事業所の敷地にたどり着く。事業所の敷地には、古い民家の建物と三角屋根の真新しいプレハブハウスが建てられていた。工藤がプレハブハウスの扉を開ける。建物の中はテーブルとイスが雑然と置かれ、こじんまりとしていた。
中には5名ほどの男たちがいた。その中でも長身の男が佐原たちのもとへ近寄ってくる。顎に髭を生やし、ツイストの効いた黒髪をしている。目つきは鋭い。街中で会ったら、役者だと見紛うかもしれない。
男は入ってきた佐原たちを見渡し、会釈した。
「どうも。社長の湯沢です。よく来てくれました、よろしく」
湯沢は手を差し出し、一人一人と握手する。佐原も湯沢の手を握った。湯沢の手はごつく、関節が太い。
「ほんとはもっと立派な社屋を建てたいんだけど、いまはあんまり派手に投資もできないんだ。その分、給与はぶっ飛ぶ額を支給すると約束するよ」
「よし。みんな、船旅で疲れてるだろうし、宿舎のほうへ案内しよう。歓迎会もするんでね。おなじ船に乗りかかった仲間だ。クルーとして頑張ろうじゃないか」
湯沢の喋り方はハキハキしていて、自信に溢れている。表情も態度もフランクだが、声には妙な圧があった。
「じゃあ、手始めに自分のスマホ出してくれる? 回収しますんで」
ほかの男が箱を持って近づいてくる。佐原と高橋、ほかの男たちも戸惑ったように目を合わせた。扉の方を見ると、そこには工藤やほかの従業員たちが陣取っている。
パンパン、と乾いたクラップ音が響いた。湯沢はフランクな態度のまま、手を叩いた。
「聞こえなかった? 回収するから出してほしいんだけど」
工藤と目が合う。工藤は口パクで「大丈夫だから」と告げた。佐原たちは黙って、自分のスマホを取り出し、箱に入れる。その代わり、真新しいiPhoneが配られる。
「安心してくれ。こっちでもスマホを用意してるんで、家族とか友達への連絡はこっちを使ってね。最新のiPhoneだから使い勝手は良いよ」
湯沢は笑っているが、意味することは理解できる。おそらく盗聴アプリを仕込まれているはずだ。連絡内容はすべて筒抜けになるだろう。いまから自分たちは犯罪行為に加担しようとしている。だから裏切りは許さない。
「よし。じゃあ、宿舎に案内しよう。そこに荷物を置いてくれ」
宿舎と云われて案内されたのは、プレハブハウスと隣接された民家だった。もともとは古い屋敷だったらしく、1階部分で食堂と兼ねた定食屋を、2階部分を民宿にして経営していたらしい。
出迎えたのは、好々爺然とした白髪の男だった。男は宮川と名乗った。
「やぁやぁ、遠いところからご苦労さん。こちらへどうぞぉ。部屋に案内しますんで」
宮川は津奈シップスの人間ではなく、古くからの島の住民だという。島の人間ときちんを話をするのはこれが初めてだった。
プレハブハウスが建てられた敷地も、もとは宮川の土地であり、津奈シップスに借地として貸し出している。
島の人間も協力している、という工藤の言葉は本当だったのだ。
案内された部屋は宿舎の2階だった。部屋は各自で割り当てられている。六畳ほどの狭い和室である。室内には布団とテレビ、ちゃぶ台、小型の冷蔵庫が置かれていた。
「電子レンジは1階の食堂にあるから、自由に使ってくれていいよー。トイレと風呂は共同ね。なんかあったら、僕に云ってください。我が家だと思ってくつろいでくれればいいから」
歓迎会は6時に開催される。佐原は和室に座り込み、窓の外を眺めた。
部屋からは海が見える。佐原は島の地形を改めて頭の中で思い描いた。
津奈島は真上から眺めると三日月のような形をしており、山や岬に囲まれて内湾が形成されている。島の集落はほぼ内湾に沿っていると聞いていた。つまり、内湾で密漁をしようとしても、島の人間の誰かには監視されることになる。
まるで逃げ場のない監獄に閉じ込められたようだ。
それでも佐原はあまり不安を抱かなかった。
スマホの回収も湯沢の脅しも島の環境もすべては織り込み済みだ。
津奈島。白いダイヤたちがひしめく海。本当にここは宝島なのか。それとも監獄か。暮らし続ければ、いずれ答えはわかるはずだ。
窓の外から香ばしい匂いが流れ込んでくる。どうやら1階の厨房から漂っているらしい。懐かしさを覚えるのはこの匂いが実家の記憶と結びついているためだろうか。
ウナギの蒲焼きの匂いだ。
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