21. ある密漁者の懺悔_1

 2016年、冬。

 当時の佐原は実家で父親の介護を続けていた。もともと大学は奨学金を借りて進学していたが、母のパートだけでは生活費と介護の費用を捻出できず、在学を続けるのは不可能となっていた。いまは大学を辞めて、コンビニのバイトを続けている。本当は会社員として働きたいが、就職活動はうまくいっていない。


 バイト先か面接会場、そして実家を往復しながら、自分で下の処理もできなくなった父親の世話を続ける日々は佐原の精神を少しずつ苛んでいった。


 そんなときである。

 幼馴染の工藤から会いたいという連絡が来たのは。


「コウちゃん、いまなにしてる? 相談したいことあんだけど、久しぶりに会わない?」


 工藤とは小学校以来の付き合いである。

 身体も声も大きく喧嘩っぱやい工藤と、内気で人と話すのが不得手な佐原。正反対な二人だが、座席がすぐ近くだったために班を組まされることが多く、気がつけばよく話すようになっていた。工藤と佐原の地元にある川ではブラックバスが群生しており、二人で自作のルアーを持って釣りに出かけていた。


 中学、高校と付き合いは続いたが、暴力事件を起こした工藤が高校を中退したと同時に縁が切れた。何度も連絡を取ったが、送ったメッセージの返信はなかった。風の噂でよくない仲間と付き合っているという話も耳にしたが、それが本当なのかわからないまま時間だけが過ぎた。


 工藤はいまの自分の状況を知っているのだろうか。同情や哀れみの視線は向けられたくなかった。しかしいまの状況に対する羞恥心よりも、久しぶりに旧友の顔を見たいという気持ちが勝った。


 介護を母親に頼み、佐原は久しぶりに都心に出た。

 工藤が指定したのは銀座にある高級料亭店である。佐原は慌てて、そんな金はないとメッセージを送ったが、工藤は大丈夫だと返事をするだけだった。待ち合わせの当日、佐原は学生時代に数えるほどしか着なかったジャケットを羽織り、恐る恐る店の暖簾をくぐった。


 和服を着た従業員に工藤の名を告げると、従業員は承知したように佐原を個室へと案内する。恐縮しながら通されたのは、趣のある座敷の部屋だった。部屋の上座に、数年ぶりに会う旧友の姿があった。


「よぉ、コウちゃん! 久しぶりぃ~」


 昔と変わらない呼び名で、工藤が手をあげた。

 工藤はカラフルなバレンシアガのニットをゆったり着ており、それを黒いパンツに合わせている。手首にはロレックスの腕時計が巻かれていた。


「ケイちゃん、元気そうだね」

「おうよ! なんつーの? いま、人生の上り調子ってやつでさ。まぁ、食いねぇ食いねぇ。ここは俺が持つからさ」


 コース料理だったらしく、次から次へと料理が運ばれてくる。懐石御膳に、刺身の舟盛り。

 それから佐原は人生で初めての懐石料理と獺祭を味わいながら、工藤と昔話で盛り上がった。小学校の頃の担任や同級生のエピソード、中学生で一番かわいいと言われた女子の噂や、高校時代、工藤が先輩の彼女とホテルへ行ってしまった話など、主に工藤が一方的に話を続けた。

 どこまで本当なのかわからない工藤の話を、佐原は相槌を打ちながら訊く。


 そういえば、昼休みや放課後の教室でもこんなふうに話していたことを思い出す。懐かしさが込み上げてくる。同時にやるせなさと苛立ちも。


「なんで返信してくれなかったんだよ、ケイちゃん。俺、メール送っただろ?」


 気がつくと佐原は口に出していた。酔いもあったのだろう。普段よりも言葉がすらすら出てくる。云わないでいいことすら口に出せそうなくらい。


「さんざん無視してたのに、急に呼び出して。謝罪の一言もなしかよ。どんだけ心配したかわかってんのかよ」

「どーしたよぉ。慣れない酒に酔っちゃったのかよ」

「俺のこと、馬鹿にしてんのかって云ってんだよ」


 声は想像以上に響き、しんと空気が静まりかえる。佐原は自分の声量に慄いたが、一度勢いがついた言葉は止まらなかった。


「なにが人生の上り調子だよ。似合わない高そうなブランドなんか身につけちゃってさ。高級料亭って政治家きどりかよ。こっちは毎日毎日必死でやってるのに――」

「親父さんのことだろ? 店閉めたんだよな」


 工藤はなんでもないような顔でお猪口を煽る。佐原はすっかり酔いが醒めていた。


「知ってたの?」

「まぁな。だから声かけた」


 そこでようやく佐原は、今日自分が呼び出された件を思い出す。


「そういえば相談って、なんの話なの?」

「おう。やっと本題に入れたな。まぁ、その、なんだ」


 工藤は姿勢を崩し、胡坐をかいた。それから困ったように眉間にしわを寄せる。途端に嫌な予感がした。子供の頃から変わらない工藤の癖だ。この顔をして話を始めるときは、たいていろくなことがない。借金の催促か、女とのもめごとか。だがどっちにしろ、佐原が力になれることではない。だとしたら、なんだ?

 すると工藤は身を乗り出し、声を潜めながら云った。


「コウちゃんさ、俺と一緒にウナギ獲らない?」


 想像していた内容のどれとも違う言葉に、佐原はどう反応していいかわからなかった。

 しかしウナギを獲るという言葉でピンとくる。


「もしかして、シラス漁か?」

「ビンゴ! さすが鰻屋の息子。話が早い」

「あれは許可証がいるはずよ。最近、不漁で規制も厳しくなってるし。簡単には獲れないと思うけど」

「大丈夫大丈夫。許可はいらないよ。うちの会社のルートでさばくからさ。知識と腕があれば、資格はなくても問題なし」

「問題なしって、そんなわけ――」


 佐原はそこで初めて気づいた。


「密漁か」

「人聞きが悪いなぁ。密漁じゃないって。ビジネスだよ、ビジネス。ちゃんと地元の人たちの協力も得てるし。ほら、ちゃんと名刺もあるんだから」


 工藤は得意げに笑うと、ふところから名刺を取り出した。名刺には「津奈シップス」という社名と共に、『企画課 工藤圭一郎』と印字がされている。


「オレの先輩が立ち上げた会社でさ、去年からそこで世話になってるんだけど、すげー儲かるのよ。いま人手が足りなくてさ、だからこうしてケイちゃんをスカウトしに来たってわけ」

「先輩って誰なの? 本当にこれ、ちゃんとした会社なの?」

「当たり前じゃん。ちゃんと事業届けも出してるんだからさ。湯沢さんって人なんだけど、すげー頭が切れて、度胸もあって、信頼できる人だよ。高校辞めてからさ、舎弟みたいなことやらせてもらってて」

「その湯沢さんは、堅気の人?」

「堅気だよ。組には入ってねーし」

「堅気の人間は、シラスをこっそり流通したりなんてしないよ。ケイちゃんだって知ってるでしょ? ウナギが絶滅寸前だって云われてるのは」


 現在、日本で食用として流通しているウナギの99%以上は養殖ウナギである。

 これらの養殖ウナギは、捕獲された天然の稚魚を養殖池に放って養育されたものであり、このため苗種となる稚魚、シラスウナギを捕獲する必要がある。


 近年、シラスの漁獲量は激減しており、取引価格も高騰している。半透明なシラスウナギの姿にちなんで“白いダイヤ”とも形容されるほどだ。


 このため国はシラスの保護に全力を注いでいる。漁獲されたシラスは申告が必要であり、県ごとに漁獲制限もかけられている。


 工藤が主張する“会社のルート”とは、正規の流通ルートや漁獲制限を無視し、獲れたシラスウナギを売りさばこうという話だろう。

 これは完全に密輸だ。さらに資格もなく漁をしているのだから、密漁に当たる。

 そんなビジネスを営む会社がまともな組織であるわけがない。


「心配しなくていいよ。秘密の漁場があんのさ。誰にも知られてない。いくら獲っても獲り尽くせないほどのシラスがいんのよ。動画見る?」


 工藤はスマートフォンに撮影した動画を映し出す。

 夜の海を漁船の甲板から撮影しているらしい。舷からせり出すように取り付けられた集魚灯が海面に沈み、海水を蛍色の光に染め上げる。


 船員が手にしたタモを光に染まった海面へと突っ込み、ぐるぐると撫でるようにかき回す。しばらくして船員は海面からタモを重そうに引き上げた。

 網目の細かいタモにはびっしりとなにかが詰まっている。船員は満面の笑顔で、タモの中身をカメラのほうへ向けた。


 シラスだ。

 半透明のウナギの稚魚たちがタモいっぱいにみっちりと詰め込まれていたのだ。船員はタモの中身を水が入ったバケツに開けると、ふたたび無造作にタモを突っ込む。先ほどとおなじようにタモを回したのち、引き上げると先ほどとおなじく大量のシラスたちが網の中で跳ねまわっていた。


「ちなみにだけど、俺たちは今年だけで八トンのシラスを獲ってる」

「八トン? ケイちゃんたちの会社だけで?」

 

 たしか今年のシラスの漁獲量は国内で13.8トンだと聞いている。それなのに工藤の会社は全国漁獲量の半分以上のシラスを獲ったという。

 あり得ない。そんなにシラスが獲れる水域があるのなら、今頃養鰻業者は大騒ぎしているはずだ。


「漁場がどこなのかは秘密なの?」

「こればかりはな。企業秘密だからさ」

「なるほど」


 佐原は自分のスマートフォンで工藤の名刺に記されていた社名――津奈シップスを検索した。すぐに会社のホームページがヒットする。ホームページそのものはまともな会社に見える。事業は水産加工品の流通と書かれていた。事業部の住所を確認する。


 S県津奈島村2-4


「津奈島?」

「ちょっと! 会社を検索するのはズルだろ!」


 工藤の言いがかりのような抗議を無視し、さらに佐原は津奈島について検索した。

 中国地方に属する日本海の離島らしい。聞いたことがない島だ。


「本当にここが、シラスの漁場なの?」

「云えるかよ。企業秘密なんだから」

「おかしいって。シラスが獲れるのは太平洋側沿岸のはずだ。日本海の離島で獲れるなんて聞いたことがない」


 一般的に日本でウナギといえば、二ホンウナギを指す。

 二ホンウナギは太平洋海底にあるマリアナ海溝の決まったポイントで卵を産み、孵化すると言われている。孵化した稚魚は黒潮に乗りながら、幾度も変態を繰り返し、東アジアの沿岸および日本の太平洋側の沿岸にたどり着く。


 沿岸についた稚魚はシラスとなり、川を遡上して湖か沼で成魚となる。その後、成魚はふたたび海に戻り、黒潮に乗って自身が生まれた場所であるマリアナ海溝に戻り、産卵する。それが二ホンウナギのライフサイクルだ。

 日本海側に流れ着くケースもあるのだろうが、主要な漁場とされる四国の吉野川などよりも獲れるとは考えにくい。


「気にしたってしょうがないだろ、獲れるもんは獲れちまうんだから」


 諦めたのか、工藤は津奈島が漁場であることを認めた。


「島の形が独特でさ、内湾っていうの? そこが海水と淡水が混ざった水域になってるらしくて、ウナギが生育しやすいんだとさ。昔から多かったらしいぜ」


 いわゆる海ウナギだと、佐原は一応納得する。

 シラスは淡水を感知し、河口から上流に向かって遡上するが、汽水域に入るとそのまま成長をはじめるケースがある。ウナギが生育する汽水域で有名なのは宍道湖だろうか。


 グーグルマップで見た限り、津奈島の内湾は湾口が狭い。このため、湾というより海水が流れこむ湖と呼ぶことができる。このような環境であれば、湾内でウナギが生育するかもしれない。佐原はそう理解していた。


「でも、そんなにウナギが獲れるなら、業者のあいだで噂になってるはずだけど」

「なんで?」

「島の人だって獲ってたはずだろ、ウナギ」

「それはない。島の人ら、これまでウナギは獲らないようにしてたらしいし」

「獲らない?」

「そう。獲らないし、食わない。ウナギは神様の使いなんだって」

「神様の使いを密漁してんの……」

「だから密漁じゃないって。地元の人らも協力してくれてるって言ってるだろ?」

「いや、だから、なんで」

「そりゃあ、コレのためよ」


 工藤は親指と人差し指で丸を作りながら云った。


「コウちゃんもさ、津奈島なんて島があるの知らなかったでしょ? 本土との連絡フェリーが週に四本、片道四時間かかる。医者もいなけりゃ、駐在もいない。島民の半分は爺ちゃんと婆ちゃんばっかり。人口はどんどん減ってる。どん詰まりなのよ。だから神様でもなんでも売りさばいて、稼がなきゃいけない。シンプルだろ?」

「なんで、島の人たちは自分でウナギを売らないんだ?」

「さっき、コウちゃんが自分で答えを言ってたじゃん。シラスウナギは規制が厳しい。正規のルートで捌いたら、水産庁からも目をつけられる。だから俺たちがこっそり捌くんだよ。流通よ、流通。どうよ、いい仕事だろ?」

「仕事って……」


 佐原は工藤の楽観さに呆れた。密漁に密輸。さらに工藤の話からして、おそらく売上を不正に申告している。しかもこの犯罪行為が島ぐるみで行われている。

 破綻は目に見えている。

 もう工藤とはこれっきりになるかもしれない。そう覚悟を決めて、佐原は云った。


「ケイちゃんがやってるのは犯罪だ。いますぐ降りたほうがいい」


 佐原の言葉に、工藤はすぐ答えなかった。

 酒を一口つけると、美味しそうに顔をほころばせた。


「美味いよなぁ、これ。高い金払ってるだけはある」

「ごめん。酒の味はよくわからないよ」

「いずれわかるようになる。金があれば。金さあれば」


 何度も何度も自分に言い聞かせるようにしながら、工藤は云った。


「夜逃げだったんだよ」

「夜逃げ?」

「高校の頃、退学した理由。親が借金しててさ、栃木の山奥にある工事現場の寮に転がり込んで、クソみてーにシバかれながら働かされてさ。あんときはさ、俺の生活ずーっとこんな感じなのかと思ってたよ」


 佐原はなにも云えなかった。そんな話は聞いたことがなかった。だが、たしかに工藤のことは幼いころから知っているのに、工藤の母親とはほとんど接点がなかった。工藤も家の事情は話そうとしなかった。


「学校のみんなは、コウちゃんが先生を殴ったからだって」

「殴ったは殴ったよ。オカセンの奴がさ、お前の生まれがどーだとか言いがかりつけてきたから、グーパンで鼻の骨を折っちゃってさ。あれ? じゃあやっぱり退学したのは殴ったせいか?」

「どっちでもいいよ、いまさら」

「たしかに。でもさ、コウちゃんだけだったよ。俺を心配してメールを送ってくれたのは」


 工藤はもう笑っていなかった。まっすぐな目で佐原を見つめていた。


「あんときはドン底な気分でさ、返信できないままスルーしちゃったけど。まだ俺はちゃんと外の世界に繋がってるんだって思えたんだよ」

「そんな大したことはしてないよ……」

「でも救われたんだよ。そんなことで救われたんだよ、あのときの俺は」


 工藤の手がのび、佐原の肩を叩いた。


「たしかにさ、法にはちょーっとだけ触れてるかもしれないけどさ。誰かを傷つけてるわけじゃない。ドラッグを売ってるわけでもない。海にいるウナギを獲って売るだけだ。べつに俺たちのせいでウナギが絶滅するわけじゃない」

「そんなのは詭弁だ」

「コウちゃんはいまの生活を抜け出したいんだろ? だったら来いよ。金があれば、なんだってできる」

「両親を置いて、島に行くなんて……」

「介護施設とかあるでしょ? うちの会社入れば、仕送りだけでおばさんもおじさんも楽させられる。スゲーいいとこのマンションの部屋とか買ってさ。親孝行できるって」

「まだそっちの社長さんがどういうかわからない」

「問題ない。ケイちゃんを会社に欲しいって話は前からしてたからさ。もう話はついてる」

「それでも断るって云ったら?」

「そしたら諦める。もう二度とケイちゃんの前には現れない」

「……そのあと、俺が通報するとか考えないのかよ」

「えっ。するの?」


 まるでそんなことは少しも考えていなかったらしい。呆気にとられようにこちらを見返す工藤の顔を見て、佐原は噴き出した。

 声をあげて笑ったあと、しゃくりあげるように泣いた。どん詰まりの人生だと思った。救いなんて無いと思っていた。


 しかし友達がいる。生きていていいと言ってくれる友達がいる。


「行けるのは、親父の施設を見つけてからだ。それでもいい?」


 返事をする代わりに、工藤は強く佐原の肩を叩いた。

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