20. 佐原康介との接触

 2023年6月。

 私は早朝の豊洲市場に来ていた。

 

 滑り止めの靴を履き、6街区の水産仲卸売場棟へと入場する。建物の中に入ると、壁にはたくさんの発泡容器が積まれ、何百という仲卸売りの店舗が魚をさばいていた。


 通路には魚介類の入った箱を詰んだターレ・トラックが走る中、新鮮な魚を求めてきた業者に混ざり、私は店舗を探していた。

 

豊洲市場の店舗には番号が振られている。番号を目印に歩いていくうち、ついに目的の店を見つけた。三宅水産。高級鮮魚を取り扱っているらしい。

 

店先には氷の詰めたケースにそれぞれ、ヒラメやイサキなどの魚が並べられていた。私は魚を眺めるふりをしながら、こっそり店員の顔を見やる。ちょうど店の奥からケースを抱えた青年が姿を現した。

 

頭を短く刈り上げ、眼鏡をかけている。卸売りで積み荷の仕事をしているせいか、筋肉はついているが、目元にはナイーブな内面が伺えた。

 間違いない。彼だ。


「あの、よろしいですか?」

「はい」


 青年は私の顔を見ると、怪訝そうに眉をひそめる。私の格好が業者の人間に見えないからだろう。


「佐原康介さんですよね?」

「……そうですけど、なにか?」


 胡散臭そうな視線を投げかけながら、仕分けの作業を続ける。私は切り出した。


「津奈島についてお伺いしたんですけど、どこかでお時間いただけませんか?」


 青年――佐原の動きが止まった。こちらと目を合わせないようにしている。


「湯沢さんが代表を務めていた津奈シップスにあなたは従業員として働いていた。少なくとも津奈島災害が発生する半年前まで津奈島に滞在していた。そうですよね?」

「誰からそんな話を」

「すいません。情報提供元は明かせないことになっているので」

「だったら、こっちも話す必要はないですよね。仕事の邪魔なんで帰ってくれません?」


 私は箱に入れられた活〆の鱧を指さした。鱧は喉元を切られ、頭と身が皮一つでつながっている。まだ神経が通っているのかピクピクと動いていた。


「買いますよ。いくらです?」

「……6000円です。切り身にできますけど、どうします?」

「お願いします」


 佐原は活〆されたハモを掴むと、店の奥へ引っ込んだ。しばらくすると骨を抜いたハモの切り身をパックに入れて持ってくる。

 私は金を払いながら、ついでに名刺を渡した。佐原はうんざりしたような顔になったが、構わず私は続けた。


「気が向いたら、いつでも連絡ください。話したくないことまで無理に訊くつもりはありませんから」

「俺は災害のことはなにも知らないんですよ」

「あなたが知ってることでいいんです。たとえば、ツナラ様のこととか」


 佐原の手がびくりと震えた。取り落としそうになったハモのパックが入った袋を慌ててキャッチする。これ以上の長居は無用だろう。


「お邪魔しました。失礼します」


 私は店先から去った。

 佐原からすぐに話を訊けるとは思っていなかった。なにしろ佐原は災害発生直前の島の様子を知る生き証人である。それなのにこれまでどのメディアにも登場していなかった。

 沈黙を続ける理由があるのだ。

 名刺を渡したが、このまま連絡が来ない可能性のほうが高いだろう。

 それでも私はもうひとつの可能性に賭けた。

 ここへ来る前、情報提供者である佐原の同僚と連絡を取り、話を訊いていた。


 佐原が津奈シップスで働いていたという話は飲んでいたときに出てきたらしい。


 そのときの佐原はひどく酔っており、自分がそんな話をしたこと自体、忘れているようだった。酔っているときに話したということは、本当は誰かに打ち明けたいという気持ちがあるからではないのか。

 もしも話したい気持ちがあるのなら、連絡はくる。


 3日後、佐原からメールが届いた。メールにはただ一言、こう記されていた。


「会って話がしたい」


 ※


 佐原の取材は私一人で応じることになった。というのもこの時期、ミオは大学の卒制に追われ、取材に同行できる日の確保が難しくなっていたのだ。


「すいません、久住さん! 私の分まで話を訊いといてください!」


 ミオからはこんなLINEと共にマスコットキャラが「お願い!」と手を合わせているスタンプが送られてきた。

 佐原とは豊洲にある個室の居酒屋で落ち合うことになっていた。夕方の五時、先にお店に入り、個室の座敷で待っていると、仕事帰りの佐原が入ってきた。


「まず先にくれませんか、取材の協力費」


 早速、佐原は金を要求してくる。今回の取材に応じる条件として、協力費は現金で渡すように強く云われていた。

 現金の入った封筒を渡すと、佐原はひったくるように取り、封筒の中身を確認する。


「ここの飲み代も私が持ちます。遠慮なく好きなものを頼んでください」

「ああ、どうも」


 佐原は被っていたニット帽を脱ぎ、向かい側に座る。

 カメラの撮影は顔を出さなければOKとのことだったので、あとでモザイク処理を入れると約束し、GoProをセッティングした。


「番組の取材っていうから、もっと大勢来るのかと思ってました」

「ネットの動画配信なんでね。テレビみたいな撮影チームはないですよ。僕も撮影は本業じゃないんだけど」

「ああ、そうなんですね」


 佐原は平静を装っているが、ひどく緊張している様子だった。

 まずはドリンクを注文し、世間話から始める。


「豊洲の市場はいつから仕事を?」

「3、4年前からかな。東京に戻ってから、バタバタしてて。ちゃんとした職歴もないんで、転がり込んだんです。魚を扱うのは得意だったんで」

「ご家族は?」

「……何年も前にいなくなりました。父はもともと脳梗塞で倒れてて、仕事はできなくなってんたですけど」


 佐原の実家は鰻屋だという。地元民に愛される鰻屋だったが、脳梗塞で倒れたことで身体の自由が利かなくなり、店も閉めざるを得なくなった。


「親父は俺に実家を継いでほしかったんじゃないかと思うんですけど、俺、ウナギが食えなかったんですよ。それでもいいって云ってくれてたけど。俺が跡を継げてれば、こんなことにはならなかったのかな……」

「でも魚の包丁さばきは見事でしたよ。鱧、美味しかったです」

「それは、どうも……」

「鱧の骨抜きはとても難しいと聞いています。店は継がなかったかもしれないけど、佐原さんはちゃんと立派な技術をお持ちだ。気に病む必要はないと思いますよ。適材適所ともいいますし」


 私の言葉に、佐原は妙な顔をした。どうしたのか尋ねると、佐原は苦笑しながら云った。


「前にもおなじことを云われました。ちょうどこんな感じの、居酒屋の個室で」

「それは、誰から?」

「幼馴染です。工藤圭一郎。津奈シップスの従業員です」


 佐原の口の端が徐々に引きつっていく。しかし、何かをこらえるように言葉を絞り出そうとしている。ここで無理に話を急かしてはならない。

 まずは話をしやすいペースを作らなければ。


「佐原さんは工藤さんに誘わられて、津奈シップスに入ったんですか?」

「そんなとこです。事業拡大とかで、人手が足りなかったらしくて。それで俺に声をかけてきたんです」

「津奈シップスの事業内容をお聞きしてもいいですか? 水産品の加工と輸送だと聞いていますが」


 すぐに佐原は答えなかった。気まずそうに口をふさいでいる。

 私はこれまでの話を思い返していた。


 島に増え始めた県外の移住者たち。中にはヤクザと思しき人間もいた。島ではウナギが獲れる。彼らはなんのために島に集まっていたのか。


「佐原さんはウナギの密漁と密輸を行っていた。違いますか?」


 目の前の佐原の表情が変わった。どうやら図星のようだ。

 ウナギの稚魚であるシラスウナギ、通称“シラス”は1キロ単価200万円以上で取引されている。ウナギの需要に反して、年々獲れる稚魚は減っている。このため、国は水産資源保護のために規制をかけているが、規制の網の目をすり抜けて、密漁が横行している。

 ウナギに限らず、高級海産物は密猟の標的になりやすく、しばしば暴力団のしのぎとしても使われていた。


 県外から津奈島に移住してきた人間の中には暴力団の構成員もいたという噂があったことから、密漁か薬物の取引が行われていたのではないかと考えていたが、どうやら前者が正解のようだ。


「……世間体にはそうなりますね」


 絞り出すように佐原は云った。


「でも、たしかにウナギ漁の許可を持たずに漁はしてたけど、少なくとも島の連中も俺たちの事業に協力していた。裏でさばいたから、密輸は間違いないけど。こっそりやってたわけじゃない。あれは密漁じゃないんです」


 許可書を持たずに漁をしている時点で、佐原の言葉は詭弁なのだが、そこの追及はしなかった。それよりも気になった言葉がある。


「島ぐるみでシラスを捕っていた? 本当ですか?」

「ああ。漁船を貸したりしてくれたよ」

「津奈島ではツナラを捕らない、食べてはならない、という風習があったはずですが」

「そうだな。だから俺たちに獲らせて、ツナラを食べさせたんだ。……食べられたのは、どっちなんだか」

「どういう意味です?」


 私が問いかけても、佐原は下を向いたままだった。もう一度声をかけようとしたが、佐原の顔は血の気が引けたように真っ青になっていた。唇が震えている。

 佐原はハイボールを頼むと、自身の恐怖を紛らせるようにアルコールを仰いだ。


「俺たちはハメられたんだよ。あの島の連中に」

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