10. ある老釣り師の話_考察

 田所恵三の体験談をどう捉えるべきなのか。

 

 取材を終えた直後、私とミオ、安達氏はただ困惑し続けた。

 

 心霊ドキュメンタリーの文脈で考えるなら、最後に登場したのが宮川の幽霊という話であるなら、まだ理解はしやすい。

 津奈島災害で亡くなった宮川が田所恵三に会いに来た、というストーリーが描けるからだ。


 しかし恵三の目撃談によれば、恵三はウナギになったのだという。人間がウナギになる、という話をどう理解すればいいのか。


「怪談というより、こりゃあ民話みたいな話になったなぁ」


 安達氏はぼやくように云った。田所恵三の体験談が真実かどうかは、私も安達氏も関心を持っていない。

 ユーザーに、あるいは読者に、この体験談をどういう文脈に落とし込んで伝えるか。大事なのはそこだ。


「そもそも、わかっているのはウナギの群れが宮川さんを真似したってことですよね。とすると、ウナギが人間に化けたとも考えられるんじゃないですか?」


「化かすのは狐か狸でしょ。いずれにしろ突拍子もなさすぎるでしょー」


 宮川の声を発するウナギの群れがなんなのか。結局、怪談の文脈に沿った説明がつけられず、この時点の我々は解釈を諦めざるを得なかった。

 しかしまったく収穫がないわけではない。田所恵三の体験談には、椛島健太郎の話と明らかにいくつかの共通点があったからだ。


 椛島健太郎はウナギに関わる仕事をしていた。一方、田所恵三によれば、ツナラとは津奈島でウナギを指す方言だった。

 津奈島災害の当日、島民である宮川はウナギの化け物となり、田所恵三さんの前に姿を現した。

 どちらの話にも、ウナギという共通点が存在する。


 そしてツナラが津奈島でウナギを表す言葉なのだとしたら、椛島健太郎が口にしたツナラも「津奈島のウナギ」だっという可能性が浮上してくる。

 さらに津奈島では、ウナギは食べてはならない生き物とされていたという。


「椛島健太郎が津奈島のウナギを食べたことで、おかしくなったってか? どうも俺にはピンとこないんだが……。第一、ウナギを食わない地域ってのもなぁ」


 まだ納得しきれていない安達氏に、ミオが反論する。


「ウナギ信仰自体は、そう珍しい話じゃないですよ。実際、ウナギを神の使いとみなし、ウナギを食べない地方も多いみたいですし」

「なんだ、ミオちゃん。ずいぶん詳しいじゃねぇか」

「結城教授の本を読んでから、民俗信仰にハマっちゃって」ミオは続けた。「仮に健太郎さんが食べたツナラが、津奈島のウナギだったとしたら、健太郎さんは知らずに島のタブーを破ったことになります。タブーを破ったから、呪いを受けた……って話なら、理屈としては通ってると思いますけど」

「呪いって……。伝奇ホラーめいてきたな」


 タブー。呪い。

 ミオの言葉が妙に心に引っかかった。

 

 仮に椛島健太郎が食べたのが、本当に津奈島のウナギだったとして、その後、椛島はどうなったのだろう。

 田所恵三が目撃したような溺死体もどき――無数のウナギたちに変わったとでもいうのだろうか。


「しかしあれだな。ツナラの件は置いとくにしてもだ。この津奈島っていうのはずいぶん変わった島だったんだな」


 安達氏の矛先はツナラから、津奈島へと変わる。


「俺も田舎育ちではあるが、ここまで閉鎖的じゃなかったぞ。ヒコやヒメコってのも、よくわからんしな」


 ヒコやヒメコは私も初めて聞く言葉である。

 だが、思い当たる節があった


 古代日本の統治体制には、ヒメヒコ制という制度があったと云われている。

 祭祀を司るヒメと、実務を司るヒコによる統治体制である。


 もともと結城教授は日本の原初の信仰形態を研究テーマとしていた。もしかするとツナラ信仰の形態に、日本古来の信仰の形跡を認め、関心を持ったのかもしれない。


 それに田所恵三の話からは、結城教授に関してもう一つ有力な証言が出ていた。


「宮川さんは恵三さんに、何年か前に東京から大学の先生が来たって話をしてたみたいですけど。これ、結城教授のことじゃないですか?」


 ミオが云った。


「だとすると、結城教授は実際に島を訪れたことになります。ツナラ信仰についても、なんらかの記録を残したんじゃないでしょうか」

「そうだとしても、いま見つかってないんじゃどうしようもない。結城教授もとっくに亡くなってるしな」


 だが、ツナラ信仰が一連の話の鍵を握っているのは間違いないと思われる。


 椛島健太郎は、ツナラノミコトと呼ばれる神への祈りらしい詞を唱えていた。

 田所恵三は、津奈島の人間たちの強い信仰心を目の当たりにしている。

 どちらの話にもツナラという言葉と何らかの信仰が関わっている。

 つなら信仰の実態がわかれば、一連の体験談もよりはっきり理解できる。そのことは確信を持てた。


 一連の話を受けて、我々は改めて津奈島周辺の事情を洗うことに決めた。

 災害当時の記事を洗えば、もう少し島のことがわかるかもしれないと考えた。

 ちなみにSNSでの情報提供呼びかけについては、いまのところめぼしいDMは来ていないそうだが、気になる投稿が幾つかあったと安達氏は答えた。


「募集の投稿を見てから、変な夢を見るようになったって。それ以上、詳しいことは書かれてないし、取材するほどのもんでもなさそうだけど」

「夢、ですか」


 安達氏の言葉を聞いた瞬間である。ひとつのイメージが私の脳裏に浮かんだ。

 

 激しい雨が降っている。

 足元には漁港と町が広がっている。視線の先には鳥居が見えた。

 どこかの島の景色か。内湾が広がり、周囲を山が取り込んでいる。

 声が聞こえる。無数の声。囁き声も、呻き声もつかない声。

 声の数はどんどん増えていき、次第に勢力を増していく。

 自分の存在が溶けていく。

 体が、魂が、大きなものに飲み込まれていく。

 ああ、そうだ。

 この景色は、きっと――

 

「久住さん?」


 そこで私は我に返った。ミオが心配そうにこちらを覗き込んでいた。


「ああ、大丈夫。ちょっと、考えごとをしてた」

「おいおい、大丈夫かー、久住ちゃん。若くないんだから、しっかりしてよー」


 安達氏の言葉に、私は苦笑した。

 またなにかわかったら連絡すると話し、その日の会議は終わりになった。

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