第2話 部活

 翌日。

 退屈な授業は全て終わり、夕霧彩子の言っていた部活の時間がやってきた。

 元々湊は部活に精を出すどころか入部する事自体が柄では無いのだが、なぜか部の創設者である彩子に気に入られて、半ば無理やり入部させられた。


 その名も『人生の荒波を越えて行く部』。略して荒波部だ。


 湊は最初、「アニメとかに感化されてこう言うおかしな名称の部活を作ってしまう痛々しい青春の1ページがあの人にもあったのか、可哀想に」と彩子に対して若干ひねくれた同情を抱いた。

 しかし入ってみると仰々しい名称と相反して、活動内容は、雑談。つまり集まってだべるだけのそれはそれは緩い空気で、たちまち湊にとって居心地の悪く無い場所となった。


 誰かが何かしらテーマを掲げてそれについて部員全員が発言をして、時折白熱した議論になる事もあるが、それでも雑談は雑談。

 話の内容は好きな食べ物とか漫画とか都市伝説とか、あとはなぜか、見た目に反してアウトドア派の彩子による、サバイバルに役立つ知識の講義。


 なぜこんな自由な部がまかり通っているかと言うと、数ヶ月前のある夏の日。口の上手い彩子が教員に、イノベーションを巻き起こすが如くのプレゼンで話を通したのだ。


『――この平和な日本に於いても、生きて行く上で大きな荒波を乗り越えて行かなければならない事が必ずあります。将来社会に出たらなおさらです。何より必要なのは、前へ進む強い意志と、円滑な、かつ有効なコミュニケーション能力。それらを養う場として、あたしはこの部の設立を申請します』


という立派な大義名分を盾に、あとは自主性だの何だの御託を並べ、発足に至った経緯だ。


 湊の性質とは真逆の方針を掲げている部活だが、彩子のしつこい勧誘に折れたのも、正直、彩子と話すのが楽しい、と心の隅で思っているからこそだった。


 校舎を出て、プレハブの部室棟の二階へ上がり最奥の部屋の扉を開けると、そこには既に二人の部員がいた。


「あ、湊来た」


 部室の掃除をしている手を止めて、やっ、と手のひらを見せ挨拶する女子生徒。

 同じクラスで幼馴染の、黒峰優奈くろみねゆうなだ。


 優奈は小学校の頃からずっと一緒で、最もよく知っている同級生だと言える。制服を着崩さず小柄な体にきちんと纏い、まっすぐなセミロングの黒髪が、動作の一つ一つにさらりと揺れる。

 整った容姿から男子生徒の人気も高く、大きなキラキラとした瞳は湊が放課後に眺めている海のような輝きで、いつの頃からか湊自身も優奈のことを、特に瞳を綺麗だな、と思っていた。


「掃除終わっちゃった。手伝わせようと思ってたのに」

「残念だよ。ぜひ手伝いたかったのに」


 湊は息を吐くように嘘をついて、席に座った。


「おっす湊! お前教室にいなかったから先来ちゃったよ。どこ寄り道してたん?」


 もう一人、よく見知った生徒である、クラスメイトの清瀬真司きよせしんじ。活発で社交的な自称イケメンだ。

オレンジ色に染めた短髪に、左耳にはピアス。ブレザーのネクタイを緩め、腕にはシルバーアクセサリーが見え隠れする。


 湊は真司のことを、最初はいわゆる不良なのかと敬遠していた。けれど、軽妙なノリで人当たりが良く、他の生徒をいじめたり見下したりするような思考は持っていない。

 逆に誰かと誰かの空気がピリピリした時にはわざと戯けて和ませようとするなど、周りへの配慮が深い人間だった。


 当人が知らないうちに、湊の中で少しの尊敬と無害認定をされて、気づけば友達のような関係になった。

 ちなみに湊の寄り道と言うのは、単にトイレを済ませていただけ。「ちょっとね」と言う言葉で真司の質問を躱した。


 あとは部長の夕霧彩子で全員だ。湊のコミュニティは、この部内の三人だけと言っても過言ではない。誰とも会話をしない訳でも、クラス内で孤立している訳でもないが、他の生徒達とは当たり障りのない最低限の会話しかしない。


「あら、揃ってるわね。感心感心」


 彩子がポテトチップスうすしお味をぽりぽりと食べながら部室へやって来た。とてもこれから部活を始めるようには見えないが、その緩さがこの荒波部である。


「夕霧先輩、ほんといつも何かしら食べてますよね。どうして太らないんですか」


 優奈が羨ましそうに、半ば詰問のように尋ねた。


「食べたいものを、食べたい時に食べたいだけ食べる。これはすっごい幸せなこと。そうやって心身共に満足感で満たすことが、美の秘訣よ、優奈や」

「いやそれ太るやつじゃないですか」

「おい優奈、お前は真似をするなよ。ぽちゃっとしちゃうぞ」


 真司の軽口を、優奈は刃物のような視線で黙らせる。


「ねえサイコ先輩。海釣りも、釣って食べる為にやってるんですか?」

「お、湊。中々いい振りね」


 彩子はニヤリと微笑むと、おもむろにホワイトボードにペンを走らせた。


「今日の部活は話が弾むわよ。これっ!」



【無人島に行くなら何持ってく?】



 一同の沈黙が、彩子にはとても意外だったようだ。


「あれっ、何で! こんなに白熱しそうな議題なのに」

「いやー、なんか、めっちゃよくある感じじゃないすか」

「何よー真司。じゃああんたなら何持ってくのよ。どこでもドアとかは無しよ」


 口を尖らせて彩子が真司に尋ねる。


「そっすねえ……。真面目に考えると、ナイフっすかね。でかいの。木とか切れたら家とか作れるし」

「食料は?」

「そこはこう……魚を気合いで!」

「あ、私あれです。水を濾過する装置。水を飲めなきゃすぐに死んじゃいそう」

「確かに、あれ便利そうよねー。ただ、川の水とか濾過できても、海水を淡水化するのって難しいのよね。設備じゃなくて道具で出来るのは、水蒸気にして集める方法くらいね」

「サイコ先輩、無人島行くんですか?」

「カタカナ呼びやめなさい湊」


 ひとしきり、あれやこれやと話が飛び出した後、湊は彩子に聞いた。


「サイコ先輩なら、何持って行きますか?」

「そうねえ、あたしなら本、かしらね」


 本。ブック。全員が首を傾げた。


「自分には無い、他人の知識が記してあるのよ。情報が命を左右する状況下で、誰も教えてくれる人がいないなら、本しか無い」

「あ、じゃあ俺――」

「エロ本は無し。さ、外も暗いし、今日はここまで! 帰りましょ」


 コートを着て部室を出て、冬の空気を吸い込む。賑わっていたグラウンドは静まり返って、校内の生徒はもうまばらだ。ただ雑談していただけなのに、時間が経つのはあっという間だった。

 彩子の話にはいつも妙に達観した説得力があり、どんな切り返しをくれるのか、何を教えてくれるのか、気になって質問を重ね、話がはずむのがいつもの流れだ。

 かと言って彩子の性格が落ち着いているとか、容姿はともかく中身が大人びているとか、そういうわけでも無いのだが。


「一年の終わりがすぐ迫っているこの時期の、どこか切ない感じはいいわよね」

「ていうかサイコ先輩、また食べるんですか……」


 駅へ続く商店街。彩子は肉まんを買って食べながら歩いている。


「なによーだって美味しいじゃない。一口どうぞ」


 少し空腹だった湊は、彩子の差し出した肉まんを遠慮なく一口かじる。その様を優奈がむすっと見ていたことには、湊も彩子も一切気づいていない。


「おいおい優奈、目が怖えって」

「真司うるさい」

「なんか仲良いよな、湊と夕霧先輩。お前、とられちゃうよ?」


 真司の言葉にハッとしたような表情を浮かべた優奈は、ダッシュでコンビニに駆け込みあんまんを買って走ってきた。


「ねえ湊、あんまんも食べる?」

「え、肉と相性悪そうじゃない?」


 口の中に肉汁が残っていた湊は遠慮も無しに断った。この唐変木が、いいから食えよと優奈の頬がひきつる。


「じゃああたしもらいー!」


 ぱくっ、と彩子が優奈の手に持つあんまんを咥えた。


「あー、先輩にじゃ無いのにー!」

「間接キスに、なっちゃうわね……」


 無駄に恥じらうような演技で優奈をからかう彩子。キャーキャーとはしゃぐ女子二人に忘れられ、ポツンと立っていた湊の肩を、真司が叩いた。


「さ、行こうぜ、色男」

「? 何で色男?」


 高校一年生の冬。自分のやりたい事が既に見つかっている生徒の方が少ないだろう。少し興味があったとて、それを人生の指針として据えるかどうかはまた別の話だ。

海に関わる道が良いとおぼろげに、それでも確かに思っている湊は、その少数派の方に含まれる。


 ――優奈と真司は、そしてサイコ先輩はどうなのだろう。将来何に、なるのかな。


 見えない将来を想像する高揚。あと恐怖心が少し。未来や将来という言葉の意味を、湊は高校生らしく徐々に意識し始めていた。


 湊がピントを合わせた未来という言葉の意味は、あくまで平和な現代社会においての意味であることに、この時は気づく由も無かったのだが。

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