第11話 夢と目標




















「侯爵令嬢、お前なんか大変だったんだって?」


ひと月経ってもまだ傷が癒え切らなかったメイヴィスは、カレンの制止を何とか振り切り書庫にこもっていた。

コーディは突っ込むべきか悩んでいたのか最初こそ黙っていたが、ついにその話題に触れる。

メイヴィスは頭に入ってこない目の前の本を閉じ、コーディの方を見た。

隠し部屋は小さいが、メイヴィスが椅子と机を陣取ればコーディはベッドを陣取る。小柄な二人は窮屈には思わなかった。


「まあね。でも解決したから」


語るのも面倒だとメイヴィスはそれ以上語らない。が、一度閉じた本をまた開くのは億劫なようで、窓の外を眺め始めた。


「ひと月経っても治らない傷負わされて、解決ねえ」


コーディは不服そうだが、それがメイヴィスを思ってのことではないことを彼女は知っている。


「ただの事故でしょう」

「でも痛い思いをしたことに変わりはない。復讐したいなら手伝うが?」


書庫に閉じ込められているコーディは、何もすることがなく退屈なのだ。だからメイヴィスを使って遊ぼうとする。コーディにとって人間とは、玩具の一つにすぎない。


「私を悪女にしたいわけ? お断りよ」


濡れ衣ならいくらでも被るが、自ら罪を犯すようなことはしたくない。


「つまらねえの」

「別に怒ってなんかいないのよ。悲しくもない。やっぱりな、って予想通りだった」


嘘偽りない、メイヴィスの本音だ。だが、コーディは渋い顔をする。


「……お前さあ。自分が幸せになるために俺を利用しようとは思わないのか?」

「幸せ?」


諦めることが当たり前だったメイヴィスは、現状以上に何かを求めようと思わなかった。求めてもどうせ手に入らないと、何かを夢見ることさえなくなっていた。


「夢でもいい。やりたいこととか」


何かあるだろ? とコーディはメイヴィスの返事を待つ。


「目標なら、あるかな」


メイヴィスが思いついたように答えると、コーディの目が輝いた。


「それだよ! 言ってみろ、俺に」

「……でも、今じゃないのよ」


メイヴィスが続けると、コーディは肩を落とすが、「じゃあ城を出てからだな!」とすぐに立ち直った。メイヴィスは微笑むだけだった。


「ところでお前ずっと書庫にいるが、侍女はうるさくないのか?」


コーディが首を傾げながら問いかける。


「もう諦めたみたい。私がちゃんと朝起きて夜寝入るのを確認したら、どこかへ行ってしまうし」


主人の説得に失敗したカレンはそれ以降なぜかメイヴィスを放ったらかしだ。その方がメイヴィスは助かるので何も言わないが、時折カレンの顔には疲労が滲んでいる気がしなくもない。


「私は部屋かここにしかいないし、暇だから他の仕事もやっているのかもしれないわね」

「あ、じゃあ今夜はここで寝るのか?」

「ええ、そのつもり」


コーディはにやりと笑い、手を差し出す。


「添い寝してあげましょうか、侯爵令嬢様?」

「殴るわよ」


メイヴィスが拳を見せても、コーディは喉奥が見えるほど笑うだけだ。


「お前のパンチなんか痛くも痒くもないね」

「……」


言うに事欠き、メイヴィスはぷいとそっぽを向く。コーディは降参とでもいうように両掌をパッと開いて掲げた。


「ほらほら、んな顔するな。今夜はとっておきの果実水を作ってやるよ。どうせお腹すいてないんだろ?」

「それは楽しみね」


コーディはどこからか葡萄を取り出し、あっという間に杯に紫色の水を作り出す。


「精霊って便利ね」


受け取りながらメイヴィスはぼやく。


「俺としちゃ、もっと面白いことしてえんだけど」

「私に見つけられたことを後悔してなさい」

「それな」


と言いつつ、コーディの方からメイヴィスの杯を鳴らす。


「お前の次は、もっと楽しい主人を見つけてやるよ」

「ええ、ぜひそうして」


2人一緒に杯を煽る。温い果実水だが、メイヴィスには丁度いい。なぜかこれを飲むと不思議と眠気が誘われるのだ。


「おやすみ、侯爵令嬢」


コーディの言葉を合図に、メイヴィスはベッドに倒れ込む。コーディは中途半端に寝転ぶメイヴィスを丁寧に掛布の中へ入れてやった。


「誰かが騒ぎ立てそうになったら、部屋に飛ばしてやるからよ」
















『可愛いマリア、あなたが王妃となるのが楽しみだわ』

『今日も王子殿下がいらっしゃるのだろう? 早く支度しなさい』


両親がメイヴィスに興味を失ったのは、当時第一王子だったサイラスがマリアに興味を持った時だった。

それだけで両親は歓喜し、マリアに全てを投資した。メイヴィスに与えられるはずのものも、全てマリアが持っていった。


『ねえメイヴィス、これあげる』


新しいものが増えなくなったメイヴィスは、いつもマリアからお下がりをもらっていた。と言っても、両親の愛情が偏っていることに気がついたマリアがメイヴィスのためにこっそり物を買ってくれていたのだ。お古ではない。

誰にでも優しいマリア。そんなマリアをメイヴィスは恨んだことはない。羨んだことはあるが。


『……ありがとう』


マリアが妹に物を与えていることは、一度も両親に露呈しなかった。それほど両親は次女への興味を失っていた。メイヴィスの新しい装飾品も、ドレスも、髪型も、両親は気が付かない。


『殿下がいらっしゃったから、一緒に挨拶に行きましょう』


差し出された細い手を取って、メイヴィスはマリアに引っ張られるように玄関へ赴いた。

そこには既にサイラスが到着しており、マリアを待っていた。


『やあマリア』


まだ幼かったサイラスも、当時は愛想の良い少年だった。


『王子殿下にご挨拶申し上げます』


隣でマリアが礼をとり、メイヴィスも慌てて倣う。


『マリア、その子は』

『はい。妹のメイヴィスです。どうぞ仲良くしてください』


メイヴィスはその時、伏せていた顔を上げてサイラスを見た。


『よろしく、メイヴィス』


サイラスは小さなメイヴィスに視線を合わせて屈んだ。しかし、その時メイヴィスは勘付いてしまった。目の前の王子が、メイヴィスを歓迎していないと。瞳が笑っていなかったのだ。


『……』


無言で頭を下げ、視線を外した。


『あらあら、緊張しているようです。どうかお許しください』

『構わないよ』


サイラスの視線が外れたことを悟ったメイヴィスは、『気分が悪い』と席を外し、二度と戻らなかった。





















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