第39話 救助

「……ルーク様、ルーク様」

 横たわったまま反応のないルークに小さく声をかけるが返事はない。

 だが、鼻のところに手をやると呼吸はしているようだし、手首には脈を感じる。

(良かった……生きてるわ)

 心底ほっとしたが、じゃあ何故目覚めないのだ、と暗がりでルークの体を調べると、二の腕の部分が剣で切られているようで、そこから出血していた。そして頭からも。

 頭の血は固まりつつあるが、こぶが出来ている。木材か何かで殴られたのだろうか?

 頭部に衝撃を受けると場合によっては命にかかわることがある、とウェブスターの私の専属医が言ってたことがある。一見軽そうに見えてもそれが原因で亡くなることもあるのだと。

(ラングフォードのたった一人の跡継ぎである彼が亡くなるなんてダメよ! 私が身代わりになってもいいから彼だけは救わないと!)

 だが、揺さぶっても無反応だし、彼は私より頭一つ以上大きく、また体格も良い。体重は私の二倍近くありそうだ。

 昔の体型だったら気力で背負えたかも知れないが、今の私では到底無理だ。

 しかも無駄に足首まで痛めている。

 だがこんな草むらに王子が倒れているなんて気づかれにくい。頭をケガしているのに動かしていいのか不安はあるが、この場所に寝かせたままなのはまずい。せめてトッドたちが探しに来た時に分かりやすい位置にまでは移動しなくては。考えろ、考えるのよエマ。

 私は自分の頬をパンパンッ、と叩くと、自分の服を見る。

 ふと思い出したことがありヒールを脱ぐと、かかとの部分をぐりぐりと回して取り外した。

 特注にした時に、かかとの部分が外れるようになっていれば、痛みが増した際に少しは爪先の負担がましになるのではないか、というデザイナーの勧めで、外れるように設計されていたのを忘れていた。さすがに普段は取り外すほど長時間歩くこともなかったので試してみることもなかったが、案外簡単にできるものだわ。

 立ち上がってみると、左足は今も痛いが、ヒールがある時よりも格段に歩ける。

 ただ歩けはするが、ルークを背負えないことは変わらない。

 そこで自分のドレスのスカートを眺める。

 ──いったん躊躇したが、こんな状況で恥ずかしがっている場合ではない。

 淑女もへったくれもなくなってしまうが、不測の事態なのだからしょうがない。

 私は勢いよくスカートをまくり上げるとペチコートを脱いだ。

「ルーク様、痛いかも知れませんが少しだけ我慢して下さいませね」

 ペチコートを地面に広げると、ルークを横に一度ずらして頭からお尻のあたりまで下に敷くと、ペチコートの両端をルークの腹部で結んだ。ルークのペチコート包みである。

 今日のペチコートはシルクで滑りがいいし、透けないように厚みもあるものなので、そう簡単には破けないだろう。要は荷物のようにルークを引きずろうという作戦だ。

 これなら非力な私でも少しは進めるのではないか。

 試しに左足に負担をかけないよう気をつけながら、ペチコートごと少し引っ張ってみた。

 服のままだと摩擦があるのかびくともしなかった彼が、ゆっくりではあるが動くではないか。シルク万歳だわ。

 これで声のする方に向かって敵だったらおしまいだけど、その時は彼を目立たないよう隠して私がおとりになって逃げればいい。これで進もうと決めた。

 数分引きずっては息が上がって少し休み、また引きずる。

 周囲はまともに見えないし足の痛みは増す。

「……私は本当に見てくれ以外は役立たずの女ね」

 思わずこぼれ落ちた涙を袖で拭った。

 私がもっとよく見えていれば。

 私が最低限自分の身は守れるぐらいの護身術を身につけていれば。

 応急処置できるような医療の知識があれば。

 ただルークを愛しているだけでは次期王妃の器になどなれない。

 現に大変な目に遭っているルークを、ペチコートで引きずるような恥知らずな真似しか私には出来ないのだ。

 気合と根性で何とかできると思い込んでいたけれど、私ではルークを守れない。

 彼の危機に何一つ有効な手札がないじゃないか。

 それでも、今は何としてでも彼を助けなければ。

 私も足を引きずるような形ではあったが、徐々に明るい、声のする方に近づくと、ようやく話の内容が分かった。苛ついたような声を上げているのはトッドだ。

「ルーク様はどこだ?」

「現在近くの詰め所に応援を求めている班と捜索班に分かれて動いておりますが、まだご無事が確認出来ておりません」

「ルーク様もですが、エマ様は? 馬車におられなかった? まさか取り逃がした者がいて、エマ様をかどわかしていたら……ああエマ様」

 ああ、ベティーの声もする。

 でも、もう喉はカラカラだし声もまともに出せない。

 敵でなかったことに安心したせいか、私はその場にへたり込んでしまう。でもまだ距離は離れている。声を上げなくては。

「……ティー……ベティー」

 おばあさんでももっと大きな声が出せると思うような、小さなかすれ声しか出せない。

 周りを見る。何か、何かないか。

 相変わらずぼんやりした視界だが、四つん這いで手探りしていた指に枝が触れた。

 手に取ってみると、ある程度乱暴に扱っても大丈夫そうな太さの枝である。

 大声を出す気力もなく、私はそばに立っていた大きめの木を叩く。


 コン コン コン

 コン ココン

 コン ココン


 ウェブスター王国で子供の頃から体に馴染んでいる童謡のリズムだった。

 もう力いっぱい叩く体力もないので小さな音だが、自然にない物音がすれば誰か気づいてくれるかも知れない。私はいいからルークの手当を早くして欲しいのだ。

 私は目をつむったまま、何度も何度も同じリズムを叩いた。

 誰か早く、ルークを助けて。

 祈るような気持ちでコンコン叩いていると、

「──静かに!」

 というベティーの声がした。

 気づいてくれたのか、と叩いている枝を気力を振り絞り、もう少しだけ大きく叩く。

「もしやエマ様、エマ様ですか?」

 そうよ、そう。ベティー、早く来て。ルークを。

 ガサガサと茂みをかき分けるような音が聞こえたような気がしたが、私の記憶はここで途切れてしまった。




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