第38話 悪いことは重なりがち
──どのぐらい時間が経ったのだろう。
馬車の床に座り外から見えないようにしたまま、ずっと耳を押さえていた手を少し離してみたが、大声で叫んでいた男たちの声や剣を合わせるような音が聞こえなくなっていた。
しばらくそのまま耳をすませていたが、人が争っているような様子もない。ルークの声も戻って来るような気配もなかった。
怖かったが、このまま一人でいるのはもっと怖い。
私は少しずつ体を起こして、馬車の窓にかかっているカーテンを少し開いて外の様子を窺ってみた。
まだ日は落ちていないはずだが、外はかなり薄暗い。
森を抜けるための道なので最低限の伐採しかしてないのだろう。周囲には高い木々ばかりだ。
覆われた葉で日の光が届きにくいのかも知れない。
(騎士団の人たちやベティーもそんなに離れた場所にはいないはずだけど……)
ただ、一メートル離れたら人の顔すら分からないド近眼の私には、彼らの馬車など見えるはずもない。うっそうとした木々で明るさも満足にないせいか普段より周囲も見えづらい。
物音がすればそれを頼りに向かうことは出来るが、でもなぜ何も音がしないのかしら……。
私は不安が募る。
みんなが負傷したり倒れたりなんてことは流石に考えにくい。
鉄などの鉱山が豊富で、強力な武器や防具の製作にも秀でているラングフォード王国の騎士団は、他国から見てもかなり驚異的な強さなのだと以前両親からも聞いていた。
ルークもあれだけ鍛えられている体だし、相当強いのだろう。
ベティーだって以前町中でお忍びで買い物に出た際に、王族だと気づかず絡んで来たごろつきから助けてくれたことがあるが、後ろから付いて来ていた護衛が慌てて走り寄る前に、男二人がすねや脇腹を押さえてあっという間に地面に転がったぐらいなので、決して弱い女性ではないと思う。
だが物音がしないということは、近くには襲って来た人たちもいないということだ。
つまり、先ほどよりは安全な状態ではないか?
ベティーもいるのだから私が忘れられているとは思わないが、応戦後で捕縛したり尋問したりなど突発事態が起きていれば、周囲の安全を確保するまでは簡単に動けないのも想像は出来る。
……でも、でも、なのだ。
こんな薄暗い森の中で、何も分からずにひとりぼっちでただ待つだけの状況というのは、叫び出したいぐらいの恐怖だ。
馬車の中で黙って待っていると、世界に一人っきりのような孤独感に襲われる。
(ルーク……ベティー……)
耐え切れず私は馬車の扉の内鍵を開き、ほんの少し扉を開けもう一度耳をすませる。
沈黙。そして葉が風で擦れるような音。
ちょっとだけ、ちょっとだけ外に出てみよう。近くを見てみるだけ。
何しろ目の悪い私自体が動かねば、周囲の様子が把握できないんだもの。
なるべく音を立てないよう、静かに馬車を下りる。
本当はヒールのある靴なども脱ぎ捨てたいけれど、ここは町の中ではない。石や木の根など、ケガの要因はいくらでもありそうだし、下手にケガをして歩けなくなる方が恐ろしい。
メガネは馬車の中のバッグの中にあるが、ルークに見られる危険があるのだから使えない。
せめて皆がどの方向にいるかだけでも分かれば……と少しずつ足元を確かめながら歩いてみるが、かなり離れたところで話しているような声が小さく聞こえるだけだ。
声を上げたいところだが、それが敵か味方なのか分からない。
もう少し近づいて、せめて話の内容でも分かれば、とよく見ずに木立をかき分けて前に進もうとしたのがいけなかった。足元が傾斜になっているのに気づかず足が滑った。
「っっ!」
数メートル程度だと思うが、そのまま下の方へ滑り落ち、左の足首まで捻ってしまった。
(いたたた……)
唇を噛みしめ、声を必死に我慢する。
そっと触った足首は幸い折れてはいないようだが、向きを変えようとするだけで激痛が走る。ヒールのある靴で歩くのはとても無理そうだ。
しかも草むらに隠れて味方からも探しにくい状態になってしまっているわ、ドレスは地面の湿った状態を思うと恐らく泥だらけ。もう最悪である。
大人しく馬車の中で待っていればよかったかも。
泣きそうになったが、それでもまた時間が巻き戻ったら一人でいる恐怖に耐え切れずまた外に出てしまったかも知れない。役立たずな上に軽率な人間であると認めるのは辛かった。
(でも、かえって声のする方に四つん這いで近づけば、敵だった場合に気づかれにくいわ)
いつまでもぐじぐじ悩んでも仕方がない。
ポジティブに考え、このままここで助けを待つよりは進むしかないと気持ちを奮い立たせた。
だが数メートルも進まないうちに、前方に人のような形が見えてビクッと動きを止める。
しかし横たわったまま動く様子はない。
もしかすると、戦闘で亡くなった人なのかしら?
避けて通りたいが、向かいたい最短の方向なのだ。
大きく迂回するのは茂みも深いし、足の痛みを考えるとしたくない。
黙ったまま少しずつ近づく。亡くなっていたら心を鬼にして体を乗り越えよう。
……三メートル、二メートル。近づくうちに、どうも見覚えのある輪郭に思えて来た。さっきよりも暗さが増したせいではっきりとは断言できないのだが、馴染みがあるような。
(まさかね……まさかよ)
心の中で否定したが、顔が判別できるほど近くまで来た時に悲鳴が出そうになる。
倒れているのはルークだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます