第35話 王子の決意
「ルーク様、何だかご機嫌ですね」
「分かるかトッド?」
執務室でエマから貰ったマグカップでカフェオレを飲み、エマが差し入れしてくれたパウンドケーキを食べながら私はずっとご機嫌だった。
「エマはね、正直言ってお菓子作りはあまり得意ではないと思う」
「まあ王女様は普段料理などしないでしょうし、当たり前ではないでしょうか?」
「そうだね。最初の頃くれたクッキーなどは焦げ臭いしちっとも甘くないしで、何か言葉に出来ない私への不満をぶつけているのかも知れないと思ったこともある。だがここ一カ月でエマは飛躍的な成長をしているんだ。見ろこのパウンドケーキを! 最初はいつものように真っ黒こげになったのかと思ったらコーヒーの色で焦げてない。何よりちゃんと甘みがあって普通に美味しいんだ!」
「それはエマ様にかなり失礼な発言なの分かっておられますか?」
トッドにたしなめられ一瞬私は口をつぐんだ。
「言葉が過ぎた。……だがな、愛するエマが作ったのだからと、焦げた味と塩気の強すぎるクッキーや外も中も固すぎる石のようなカヌレ、それより更に固いナッツのキャラメルなどを食べなくてはいけない私の気持ちにもなって欲しい」
「……とか言って、私に何のおこぼれもなく全て綺麗に食べられましたよね?」
「当たり前だ。エマの作るものだぞ? 私が全部食べなくてどうする。それにトッドだってあんな破壊力のあるお菓子を食べたら、褒めちぎってるエマに対して微妙な感情を持つだろうが」
それにな、と私は続けた。
「こんなに普通のパウンドケーキを作れるようになったのが嬉しいのもさることながら、このところエマのご機嫌がすこぶる良いんだ。ベティーの畑の作物の成長を見るのが楽しいらしい」
「ああ……ベティーから『エマ様に美味しい野菜を召し上がって頂きたいから』と頼まれて、全然使ってない庭師小屋の使用許可を出しましたね、そう言えば」
トッドが思い出したように頷いた。
「そういうのは私に事前に教えて欲しいものだね。まあ王宮の敷地内をどこに行こうが大した問題はないが、私が知らなかったのは問題だ」
「いえ、お忙しいルーク様にいちメイドの動向をお伝えすることもないかと思いまして」
「他のメイドならどうでもいいんだ。でもベティーは別だよ。唯一連れて来たエマの側近で、なおかつ彼女の友人でもある。要はエマが一番関わりが深い人間なんだ。ベティーの動向はエマの動向に繋がるんだから、そこはしっかり報告してくれないと」
「失礼致しました。以後気をつけます」
私は頷くと、パウンドケーキを口に運んだ。やっぱり普通に美味しい。奇跡は起こるものだ。
「……未だに視線はなかなか合わないし、言葉の堅苦しさも減らないけど、これはもう大分いい感じじゃないかと思うんだよ」
「まあそうですね。エマ様が来たばかりの頃に比べたら雲泥の差ですよね」
「だろう? でね、ほら、来月王宮主宰のパーティーがあるだろう? 王国図書館の移築工事と別館の披露も兼ねて」
年季が入って老朽化が進んでいた城下町最大の図書館の移築と、年々増える蔵書に悲鳴を上げた文官が必要性を訴えていた別館の建設が二年の歳月をかけて完了した。
王国図書館を移築せざるを得なかったのは、別館を建てるだけの土地が周囲になかったからで、
「建ってから三十年以上経つのだから、今後は安全性にも問題が出て来るだろうし、別館が隣接してなければ利用する側だって不便だろうよ」
と父上の一言で決まった。
父上も母上も以前から、身分は関係なく学ぶことは大切であるという信念があり、平民が無料で学べる学校の建設や研究者への援助などに力を入れている。
今回の王国図書館の移築や別館では、仕切りを設けた個人学習エリア、趣味の教室などに使えるレンタルスペースなども増やし、さらには飲食物を安く提供するカフェテリアも作ったとのこと。
土地を確保するため少し町外れの方にはなってしまったが、利用者はかえって増えるんじゃないかと大臣たちは予想している。
私が言っているパーティーはそのオープン記念のことだ。
「それが終わったら……本物の夫婦になってもいいんじゃないかと思って。……どう思う?」
慎重に慎重に距離を縮めて来たが、流石に半年近く経って一緒のベッドで眠ったのがエルキントン公爵の屋敷に行った時だけ、しかも真ん中に壁のように毛布を丸めていたのでほぼ一人と同じ、というのは自分でも情けないし臆病すぎるのではないかと思う。
幸いにもエマは常時機嫌が良いし、関係も良好と言える。
私たちは一歩前進すべき良い時期ではないかと感じているのだ。
「まあエマ様が了承されれば良いことですよね。陰ながら応援しております」
「うん、ちゃんとした夫婦として新しい年を迎えたいしね」
前向きに頑張れば光は見える。
浮かれた気分でもう一切れパウンドケーキを頬張ると、口の中でジャリ、と音がした。
んん? とティッシュで口を拭い確かめると、卵の殻だった。
──頑張れエマ。あと一息だ。私は心からエールを送った。
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