第34話 ストレス解消

「エマ様、ご案内したい場所があるのですが」

 少々焦げはしたがお手製のクッキーを執務室へ差し入れしたり、夫婦の居室(寝室ではない)のソファーにルーク専用クッションを製作してさり気なく置いておいたりと、彼へのぺちぺち攻撃を続けていたある日のこと。

 ベティーが私を庭へ連れ出した。

「なあにベティー? 私はルーク様へのセーター編みに忙しいのだけど」

「ヨレヨレの編み目になって何度ほどき直しているとお思いですか。刺繍や縫い物はお上手ですが、編み物はエマ様には向いておりません。時間の無駄ですわ」

「酷いわ。まだ冬になるまでは何カ月もあるじゃないの。努力はいつか報われるのよ」

「努力するならまずはマフラーからですわ。いきなり求める成果が高み過ぎるのですエマ様は」

「でも、それだと簡単すぎて愛が足りない気がするのよね」

「そんなセリフは真っ直ぐむらなく編めるようになってから仰って下さい。マフラーを編める世の女性に失礼ですわ。……足元お気をつけ下さい。もう少しですので」

 言われるまま手を引かれ付いていくが、思った以上に歩かされる。

 もう十分以上は歩いただろうか。

「……ねえ、少し暑いし、散歩ならまたの機会にしない?」

「もう到着しますわ」

 そう言って本当に一分もしないうちにある建物の前で立ち止まった。

 ベティーはポケットからチャラチャラと音をさせて鍵を取り出すと、扉を開けて中に案内される。

「ベティー、ここは……?」

「庭師がしばらく滞在する時に宿泊に使う場所の一つだそうです。ただ、こちらは良く彼らが作業をする中央の庭から離れているので、現在はあまり使われていないのだとか。あ、壁側に作業用具が置かれていますのでお気を付け下さい。案内したいのは裏口から出たところです」

 山小屋みたいに丸太をそのまま外壁にしたような家は大きくはない。

 すぐに裏口の扉に到着し、ベティーは扉を開いた。外は庭なのかと思うが良くは見えない。

「メガネをお持ちしておりますわ。さささ。周囲に人目もございません」

 彼女からメガネを受け取ると、いつものように耳に掛けた。

 目の前には見慣れた風景があった。

「ねえ……もしかして、畑?」

「はい。以前いた一人の庭師が許可を取り、空いた時間に好きな野菜を育てようとして耕していたそうなのですが、膝を悪くして引退したようです。で、他の庭師はそういうのにあまり興味がないようで放置されたまま今に至ると。こちらで農作業するのはいかがでしょうか」

 辺りを見回すと、二メートル以上はありそうな木が密集して周囲を覆っており、目立つはずの王宮は見えない。ということは逆に王宮側からも見えないと言うことだ。

「──前に私のストレス解消については考えていると言っていたのはこのことだったの?」

 自分で思った以上に興奮した声が出た。

「今の季節は色々と植えられる野菜もございますしね。幸い騎士団長のトッドには貸しがありましたので、どこか使える場所がないかと思って相談していたところ、こちらを教えて頂いたのです。私の趣味とエマ様の気分転換ということで」

「え? あなたトッドに貸しを作るほど交流あったの?」

「──え? ええまあ、使用人同士それなりにですけれど」

「そうだったの……それにしても素敵ね」

 さほど広い畑ではないが、区画を分けて何種類かの野菜を育てるぐらいのことは出来る。

 今の季節ならジャガイモやスイートポテト、ニンジン。ベビーリーフやルッコラなんかもいけるわね。どれも一カ月から三、四カ月もあれば収穫出来るものばかりだ。

 自分が種をまき収穫まで出来ると言うのか。

「ラングフォードで畑いじりが出来るなんて夢のよう……」

「エマ様は編み物には才能はございませんが、野菜や果物を作る才能はお持ちです。収穫出来たらルーク様にご自身が作った野菜で何か作るのも良いのではないかと」

「編み物の才能は後で話すとして、ベティー、あなたがいてくれて本当に良かったわ! 私の感謝が伝わるといいのだけど」

「充分伝わっておりますわ」

 笑みを浮かべたベティーが「あ」と思い出したように私を小屋に連れ戻す。

 テーブルに載っていた袋の中から新品の作業着と手袋、長靴など一式を取り出した。

「子供の頃のように泥だらけにする訳には参りませんから、お着替え願います。一応シャワーだけは付いているので、作業の後は汗を流してリフレッシュも出来ます。……もちろんメガネをつけていても問題ありませんわ。畑作業している姿は外から覗けませんし、トッドが庭師に周知しておいたので、わたくしたち以外の人間が出入りすることもまずございません」

「素晴らしいわ、パラダイスじゃないの」

 私はいそいそと作業着に着替えると、手袋をはめる。髪の毛もくるりとまとめて用意してあったピンで止め、無地のスカーフで頭部を覆い顎で結んだ。手慣れた作業だ。

「これが私の正装よね。ああ、身が引き締まるわあ」

「ええ。どこから見てもまったく違和感のない立派な農家の女性ですわ」

 ベティーも私に付き合うようになってから畑の手伝いをしていたため、作業着姿が板に付いている。ミミズを見ただけで悲鳴を上げていた頃の彼女を思うと、変われば変わるものである。

「とりあえず種芋や野菜の種をいくつか用意しましたので、畑の様子を見がてら指示をお願い致します」

「任せてちょうだい。ああ収穫が楽しみねえ!」

 私は壁に立て掛けてあった鍬を掴むと、意気揚々と裏口の扉へ向かうのだった。




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