第21話 これは誰が何と言おうとデート

 トッドとベティーがランチボックスや飲み物を持ち、少し後から付いて来る。

 ベティーが近くにいないのは不安だったが、今は隣で腕を組んであれこれと森の説明をしてくれるレイチェルが傍にいることで、無様に木の根に足を引っ掛けることもなく、石につまずくこともなく、とても安全に移動出来ていた。

 まあ彼女は友人というより介護者となっているので迷惑だろうと思うが、そんな気配は微塵も感じさせない。やはりルークの血筋は彼と同様、人格者な人が多いのだろう。

 愛するルークもレイチェルに色々と質問しながら並んで歩いている。

 森の中の静けさと新緑の癒やされる香り。そしてその静かな中で響くルークの低く穏やかな声にレイチェルの可愛く笑う声。

 これぞまさに聖域である。

「まあルークお兄様ったら。森の中はいくら気をつけてたってスカートが引っ掛かったりするものよ? ちゃんとエマお姉様の手を引いて上げなきゃ。気が利かないんだからもう!」

 レイチェルがそう言って私とルークの手を繋がせた。

 ──レイチェルはやはり女神だった。

 今までも腕を組むことはあったがそこはやはり服越しである。唯一結婚披露パーティーのダンスで手を合わせたが、失敗してはいけないと緊張で感動するどころではなかった。

 現在はデートであり、私は緊張もあまりない状態で、素肌でルークと触れ合っているのだ。これが幸せでなくてなんだろうか。

 いや本来は夫婦なのだから閨などもっと近しい付き合いがあって然るべきなのだが、何しろ私は変態であるし、ルークへの愛を拗らせ過ぎている女だ。

 興奮のあまり鼻血でベッドが血の海にならない自信が持てなければ閨など程遠い。私は完璧な淑女でなければいけないのだから。

 だが彼の大きな手で私の手を包んでいると思うだけで血の気が上りそうだし、近距離になることで彼の整った顔がくっきりはっきり見えてしまう。

 昂ぶる気持ちと同時に、自分の化粧が崩れていないか、髪が乱れていないかなどが気になって不安にもなってしまう。だけど手を離したくはない。

 恋する女というのはこうも面倒なものなのだろうか。気持ちがすぐに上下して忙しないわね。


「──あ、ほらそこの木にリスの巣があるの。エマお姉様分かる?」

 レイチェルの声で指差す方を見るが、辛うじて分かる木の上の枝の辺りに、ぼんやりと小さな塊が動いているなあ、ぐらいにしか認識は出来ない。

 もう少し焦点が合わないものかしらと目を細めていると、レイチェルには私が良く見えていないことに気付いたようだ。

「色が同化しているし、ちょっと遠いものね。あ、ちょっと待ってて下さる?」

 私とルークを残すと、ベティーたちのいる方へ足早に向かう。

 すぐ戻ってくると、その手には小さな紙袋を持っていた。

「リンゴをカットしたのを持って来たの。森へ来る時は動物を近くで観察したいものだから、少し餌付けしたりしてるのよ。ただあの子たちが普段会ってる子なのかちょっと自信はないけれど……」

 そう言いながら、薄く切ったリンゴを出して枝の近くで振った。

 果物の匂いに気付いたのか、一匹のリスが首を向けてするすると木を下りると、ひょいっとレイチェルの肩に飛び乗った。

 そのまま器用に二の腕からリンゴを持っている手の方まで移動すると、リンゴを食べ出した。

「……良かったわ。何度か餌を上げたことがある子だったみたい。まあうちの森は私の家の人間ぐらいしか出入りしないから、元からあまり人間に警戒心は少ない方なのだけど」

 私はようやくはっきりと確認出来たリスを眺める。

「なんて可愛いのかしら……」

 モフモフした尻尾にくりくりとした目。小さな手でリンゴを掴み、ショリショリとかじっている姿は昔絵本で見ていたより何倍も可愛らしい。

「エマは動物が好きなんだね」

 私が飽きずにリスを見ていると、ルークが声を掛けて来た。

「ええ、基本的に生き物は何でも大好きですわ! ……馬とかは少し怖くて苦手なのですけれど」

 いや、馬自体は嫌いではないが、メガネなしの乗馬は馬にも自分にも自殺行為に等しい。

 結局何でも好きとは言ったが、間近で確認出来る小動物が一番好きなのかも知れない。

「逆に私は体が大きくて力も強いだろう? だから馬や牛など大きな生き物の方が安心できるな。小さな生き物は何だかケガをさせてしまいそうで怖いんだ」

「そうなのですね。でもルーク様は気遣いの出来る方ですもの。そんなに心配されることもないかと」

「でも今もエマの繊細そうな手を握っているのが心配でならないんだけどね。痛くはないかな?」

「……大丈夫ですわ」

 私の手が繊細そうって……。いきなりそういう殺し文句を言わないで欲しい。

 むしろもっと強く握って下さっても良いのです、と鼻息荒く気持ちを伝えたいけれど、ルークに確実に薄気味わるい女認定されてしまう。それは出来ない。

 でもルークはやっぱり最高でマーベラスでファンタスティック。もうルークの服についた糸くずでも良いからずっと傍にいられたら──いえ何を言ってるの。私は妻だわ。もっと近い存在じゃないの。

 これからじりじりと距離を詰めて、平常心でルークと向き合える女になるため、私は努力して行くんだから。

 レイチェルの手の上でリンゴを二切れ食べ終えたリスは満足したのか、また木の方へ身軽に飛び移り、上の方へ駆け上り見えなくなった。

「エマお姉様、良かったですわね近くで見られて。リスもお腹いっぱいになったみたいだし」

「ええ本当に。素敵な体験だったわ!」

「でも私もお腹が空いたわ。すぐそこにある小さな泉の辺りで昼食にしません?」

「そうね。ルーク様もよろしいですか?」

「もちろん! その言葉を待っていたよ」

 レイチェルがベティーやトッドに手を上げると、すぐにランチの支度をしてくれた。

 薄手の敷き布を広げ、水筒から飲み物をカップに移し、サンドイッチ、焼いたソーセージやフライドポテトなどが入ったランチボックスを開く。私も思った以上にお腹が空いていたようで、お腹がなりそうで少し焦ってしまった。

「ではごゆっくり。わたくしたちはそちらの木陰のところで頂きます」

「あらベティー、一緒に食べないの?」

「王族やそのご親族と同じ場所でなんて、まともに食べ物が喉を通りませんもの」

「こちらはこちらで打ち合わせもありますのでお気になさらず」

 トッドも笑みを浮かべて頭を下げると、二人で少し離れた場所の木の根に腰を下ろしていた。

 私たちもお腹が空いていたので、広げた布に座り早速頂くことにした。

「……ねえ、そう言えばエマお姉様」

 ポテトをつまんでいたレイチェルが私を見て尋ねた。

「お姉様たちって新婚なのだし、二人っきりの時はご飯とかあーんって食べさせたりするんでしょう?」

「っ、けほっっっ」

 サンドイッチを食べていた私はむせる。まだ少し温かい紅茶のカップをつかみパンを喉に流し込むと、落ち着いて、落ち着くのよと自分に言い聞かせる。

「……ええと、そんなことは夫婦によりけりじゃなくて? ねえルーク様?」

「ん? そ、そうだよ。レイチェルはそんなこと誰から聞いたんだい?」

「聞いたって言うか、私の友人カップルなんて公園とかでしょっちゅう見せつけて来るし、仲の良い恋人とか夫婦なら普通なのかと思っていたけれど」

 ……『普通』という言葉を簡単に使って欲しくないわね。まるで私たちが普通じゃないみたいじゃないの。──いえ、普通とはまだ言い難いけれども。

「へえ、それが普通なのか。……ねえエマ、ここは人目もないし、チャレンジしてみるかい?」

 少しからかうような口調でルークが私にサンドイッチを手渡した。

「……まあ、ルーク様ったら」

 ご冗談を、と軽くあしらうつもりだったのに、ルークが口を開けているではないか。

 ドッドッド、と心臓の鼓動が聞こえるような気がして少し手が震える。

 でもここはやるしかない、エマ、やるしかないのよ。彼に恥をかかせてしまうわ。

「じゃ、じゃあ……ルーク様、あーん」

 持っていたサンドイッチをルークの口に入れる。

「──うん、美味しいね。エマが食べさせてくれたからか、より美味しく感じるな」

「もうルークお兄様ったら、惚気ちゃって」

 二人の笑い声が聞こえる中、私は遅れてやって来た達成感に心を震わせていた。


 ……やったわ。やり切ったわ私。

 これは間違いなくデートっぽいシチュエーションよね。

 今日の感動は王宮へ戻ったら日記に全て記さねば。

 レイチェル。あなたは私の女神かと思っていたけれど、守護天使なのかも知れないわ。


 次はソーセージ食べたいなあ、などと言っているルークを見、いそいそとソーセージをピックに刺しながら、私は心の中でレイチェルに感謝の祈りを捧げていた。




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