第5話 トゥルーエンドへの道筋

 翠さんに今日は都合が悪くなったとメールで連絡を入れ、僕はマンションへと帰った。マンションの向かいにある公園の横には、昨日僕を送った刑事とは別の二人が車の中に座っている。僕が見張りを付けていると知っているから刑事と分かっただけか、他の人から見ても刑事だと分かるのか。どちらにせよあからさまだ。その分抑止力としては効果があると考えているのかもしれない。

 僕がマンションに向かっていた足をその車の方に向けると、助手席に座っていた刑事が慌てる風でもなく車から降りてきた。

「あの、刑事さんですよね?」

「本山さんですね。原口と申します」

 原口と名乗った男は、ジャケットの内ポケットからバッチを出して見せた。

「僕、バイト辞めましたから」

 原口刑事にそう告げると、彼はどう返して良いか困っている様子だった。

「それは、申し訳ありません」

 なぜ刑事が謝るのか。一瞬理解できなかったが、事件が早く解決できていたなら辞めることもなかったと考えたようだ。だが、ミノさんの遺体が発見されて、まだ二日しか経っていない。僕は原口刑事に首を横に振った。

「いいえ。刑事さんが謝ることでは」

 最近、同じことを何度も言っている気がする。続けて僕は、さっき会った若松さんのことを話した。今回の事件で、会社も、彼自身も迷惑に感じている。僕の印象では、やはり若松さんは事件に関係していないようだと告げた。

「そうですか。ありがとうございます」

 原口刑事は、頷きながらも嘆息していた。まだ捜査に進展はなさそうだ。

「管理人さんは関係なさそうですか?」

 僕が管理人さんに疑いを持っているわけではない。どういう状況なのか確かめるために、管理人さんの名前を出させてもらっただけだ。

「三城さんの鍵がなくなっていますからね。管理人なら彼女の鍵を盗る必要なんてない。もちろん、鍵が必要だったと思わせるため、とも考えられなくもないですが、犯人のあの手口からしても、もっと若い男でしょう」

「男、なんですか?」

「女性にもやはり彼女の死体は吊れないでしょうから。もちろん、それも絶対とは言い切れません。しかし、他にも男性だと断定するには充分な理由があります。詳しくは申し上げられませんが」

 原口刑事はそう言ってマンションを見上げた。僕もつられて視線をマンションの六階に向ける。こちら側から見える部屋は、シンシンと健司の部屋だ。どちらともカーテンが閉められている。

「それじゃあ、僕はこれで」

 原口刑事に頭を下げてその場を去ろうとすると、彼の視線は僕の後ろに向かっていた。そして、その方向に頭を下げている。振り返ると、そこには翠さんが立っていた。翠さんは原口刑事の顔を知っているらしく、こちらに向かって小さく頭を下げると、僕に手招きをした。

「都合が悪くなったって、このこと?」

 翠さんの前に小走りで近づくと、翠さんは車に戻った原口刑事をチラリと見てそう言った。

「いや、そういうわけじゃないんですけど」

 翠さんの原口刑事を見る目は、少し侮蔑の色を窺わせていた。一時はタラミス関係者に疑いの目が向けられていた。その状況下で彼から聴取を受けたのだろう。

「じゃあ、やっぱり若松君?」

「若松チーフから聞いたんですか?」

 翠さんは頷いて、その場から動くように僕を促した。

「会社の前で会ったって聞いたから。彼の言うことなんて気にしなくても良いのに」

 そうは言っても、気分は悪い。あんな言われ方をしてまで、オフィスに取りに行く程の大事な物はない。

「僕のデスクに残っている物、全部捨てちゃって構わないですから」

 この辺りは住宅街だ。近くにはコンビニ程度はあるが、気の利いた昼食を食べさせてくれる店はない。自然と足はマンションに向かっていた。

「はい、これ」

 僕の横を歩きながら、翠さんが会社のロゴマークの入ったトートバッグを差し出した。受け取って中を覗くと、オフィスに置いてあった僕の私物が入っていた。マグカップにマウスパッド。それからクリアファイルが何枚か。麗奈吉に貰った「カープ坊や」がプリントされている物も入っている。

「わざわざすみません」

「それから、これも」

 翠さんがもう一方の手を持ち上げた。その手には茶色いビニール袋が下げられている。

「お昼、一緒に食べる約束でしょ?」

「僕の部屋で食べるんですか?」

「都合悪い?」

「いや、そうじゃなくて、翠さんは怖くないのかなって」

 人が立て続けに死んだ部屋だ。だが、翠さんは「私は大丈夫」と言って気にも留めていない様子だ。寧ろ、だからこそ行ってみたいのだとでも言わんばかりの雰囲気だった。

「じゃあ、どうぞ」

 部屋に着いて玄関のドアを開けると、翠さんは視線をあちこちに動かしていた。やはり、殺人事件の現場になった部屋への好奇心というものが、多分に働いているようだ。

「もうどこを触っても良いんだよね?」

「はい。僕らもその日の夜は部屋から出されましたけど、次の日の昼前には証拠品の採取なんかは終わったみたいです」

「事情聴取、大変じゃなかった? 本山君もさっきの刑事さんに話を訊かれたの?」

 また翠さんの表情が歪んだ。

「いいえ。僕は別の刑事さんに。でも、確かに疲れました」

「そうなんだ。会社にね、さっき下に居た刑事さんが来たんだけど、強引な感じでね。『殺人事件なので』って二言目には言ってさ。あ、ゴメンね」

 会社ではどういう状況だったのか想像はできる。あの若松さんも苛立つのは仕方がない。翠さんの表情が僕にも伝染していたのか、翠さんは僕の顔を見て話を打ち切った。

「食べよ。私はどこに座ったらいい?」

 翠さんが五つ並んだ椅子を見渡した。

「じゃあ、ここに」

 僕が勧めたのはシンシンの椅子だ。皆が「議長席」と呼んでいた席。長方形のテーブルの、短い辺に置かれてある椅子。死んだ二人の席は勧めにくいし、麗奈吉の椅子に女の人を座らせると彼女に怒られそうだ。

 僕は、その椅子を使っていたのが誰かを翠さんに教えた。

「その椅子、例の『リアリティ小僧』が使ってた椅子ですけど」


 シンシンがタラミスを視聴していたことは随分前から知っていた。そして、くだらないコメントを毎回残していることも。「リアリティ小僧」がルームメイトであることも、翠さんには話していた。

「そういえば彼、今回はコメント残していないみたいね。何か話はした?」

 僕は首を横に振った。シンシンはこれまで、タラミスについて話しをしたことはない。何を思ってそうしているのか、自分が視聴者であることもシンシンは隠している。

「いいえ。直接タラミスについて彼と話すことはありませんから」

「そっか。仕方がないよね。彼が最初に見つけちゃったんでしょ?」

「原口刑事から聞いたんですか?」

 僕がそう訊くと、翠さんは怪訝な顔をした。

「え? 本山君が教えてくれたじゃない。その日の夜にメールで」

「僕が、ですか?」

 全く記憶がない。僕が眉根を寄せるのを見て、翠さんはスマホを出した。

「ほら、これ。動転して覚えてないのかな?」

 見せてもらった画面には、確かに僕からのメールで事件についていくつか報告をしていた。僕は自分のスマホを取り出し、送信済みアイテムを確認した。確かにそこにも同じものがある。

「そういえば、送ったような気もします」

 自分でも顔が青ざめてゆくのが分かる。

「大丈夫? 疲れが溜まってるんじゃない?」

 確かに疲れているのだろう。翠さんが買ってきてくれた弁当に伸ばした箸もなかなか進まない。ここ数日はまともな睡眠も取れていない。

「そうかもしれません。でも、もうバイトもないですし、平気です」

 失言、ではない。意図した当てつけだ。僕は翠さんのせいで、忘れようとしていた事件のことを色々と思い出していた。やらなければいけないこともある。そのためには翠さんがここに居てはいけない。翠さんを麗奈吉の代わりにはできない。

「あっ、本当にゴメンね。ううん、ごめんなさい。私、帰るね。その、これも良かったら」

 翠さんは食べ残しの弁当をそのままに、席を立って玄関に向かった。僕も立ち上がって玄関まで見送る。

「本山君」

「はい」

「力になれるかどうか分からないけど、困ったことがあったら何でも言ってね」

「分かりました。ありがとうございます」

 翠さんは何度も振り返りながら玄関を出た。その目は、本気で心配している目だった。だが、僕に翠さんを頼るつもりはない。自分のことは、自分でケリを付ける。

 僕はテーブルに戻った。議長席には翠さんの弁当と、飲みかけのペットボトルのお茶も置かれたままになっていた。ペットボトルの飲み口は、口紅と弁当の油で薄汚く汚れている。弁当の上に置かれた割りばしもそうだ。

「何が『良かったら』だよ!」

 テーブルの上を這わすように振るった左手で、弁当とペットボトルを弾き飛ばした。それだけのことで、頭に上りかけた血が簡単に収まってゆく。

 僕は二度、三度、深く呼吸をしてスマホを握り、シンシンに電話を掛けた。ドアを挟んだ先から電話の呼び出し音が聞こえる。

「本山だけど、ちょっと良いかな?」

 その一言だけ言って電話を切ると、シンシンの部屋のドアが開いた。


「いつから、分かってたんだ?」

 シンシンはテーブルを挟んで反対側に立ち、両拳を脚の横で握りしめている。

「何が? 部屋に居たこと? それとも、いつもタラミスにコメントしてたこと? どっちにしても、答えは初めから、だよ」

 僕の言葉を聞きながら、シンシンの視線は僕の手元をチラチラと見ている。

「俺に言うことがあるんだろう?」

 シンシンの声は小声だった。僕が手に持ったスマホで何をしているのか察しているのかもしれない。

「健司を殺したの、シンシンだったんだね」

「違う、それは、違う」

 シンシンは唇を噛んで俯いた。僕はその様子を黙っていている。

「違うんだ。そんなんじゃない」

 俯いたまま小声で「違う」と繰り返すシンシンは、僕に対して話しているというよりも、目の前にある健司が座っていた椅子に向かって話しているようだった。

「それも分かってるけどね。本当の理由。分かってるっていうか、昨日気が付いた。どうして大家さんから貰ったって嘘を吐く必要があったのかは分かんないけど」

 僕がそう言うと、シンシンはその場に膝を付いて黙り込んだ。

「肥満でもない若い人間がヒートショックで死ぬはずがない。例え直前にグレープフルーツジュースを飲んだとしても。それを僕自身で証明しようとしたんでしょ? でも、グレープフルーツジュースが嫌いな僕が、健司にそれをあげるとは思わなかった。健司は低血圧気味だったみたいだからね。鍋で身体が温まったつもりでも、あんな格好で冷たいジュースを飲みながら窓の開いた脱衣所に行って、溜まったばかりの熱い風呂に入れば」

「俺のせいじゃない!」

 シンシンは床を殴りつけながらそう叫んだ。

「たまには認めたら? イエスって言ったら? いつも否定ばかりしてさ。何のための虚勢なの? そろそろ警察は、シンシンが僕のパソコンを覗き見てたって突き止めるんじゃないかな」

 立て続けに浴びせられる言葉に、シンシンは立ち上がって僕に掴みかかってきた。

「気に入らないんだよ、お前が!」

 さっきは床を殴りつけた拳が、僕の頬にめり込んだ。後ろに跳ばされた僕の手からスマホが落ちて、回転しながら床を滑ってゆく。

「いつも人の話を、分かったかのようにニヤついて聞いているだけのお前が!」

 床に手を付いて立ち上がろうとした僕の手が、ぬるっとしたもので滑った。弁当から零れ落ちた唐揚げだ。

「タラミスのことも自慢げに話しやがって。あんなもん、くだらねぇんだよ! ガキの遊びだ!」

 僕は何とか態勢を整えて立ち上がった。殴られた所が既に腫れてきている。折れてはいないが、歯もぐらついていた。

「そうか。くだらないか。でも、シンシンは気付いてた? ミノさんの現場。僕のパソコンにあったシナリオと、タラミスで配信された内容との違い」

 僕の問いかけに、シンシンは眉根を寄せるだけだった。どうやら罠には気付いていないらしい。

「ミノさんの死体の下には、紙を燃やした灰があったんだ。僕のパソコンにあるシナリオの通りに、遺書を燃やしたような痕跡がね。でも、タラミスで配信された最終版のシナリオには、そんなシーンはなかっただろう?」

「そ、それが何の意味があるんだよ?」

 シンシンは僕にそう訊きながら、僕の口から答えが出される前に全て悟ったようだ。表情がみるみるうちに曇っていった。

「犯人しか知り得ない情報だと、俺しか知り得ない情報だと言っているのか? 俺が殺したって思ってるのかよ! マジであのくだらないタラミスのためにミノさんまで!」

「何度もくだらないって言ってるけど、そんなくだらないもののために、間違いなく二人が死んだんだ」

「ミノさんは、俺には関係ない」

 どの面を下げてそう言い切るのか。僕は心底腹が立ってきた。

「健司のことは認めるんだ。でも、ミノさんは関係ないってのは都合が良すぎない?」

「本当だ。本当に俺は何も関係ない」

 シンシンはまた拳を握っている。その拳も傷付いて赤くなっていた。

 一向に自分の非を認めないシンシンに、僕は少しの間を置いて最後の言葉を投げつけた。間は必要だ。視聴者に選択肢を選ばせるために。

「関係あるよ。シンシンが『リアリティがない』なんて言うから、リアリティを出すために死んでもらったんだから。だから、シンシンのせいだよ」

「リアリティを出すために死んでもらった、だと?」

「そうさ」

 それを聞いて目を剥いたシンシンは、自分の部屋に駆けこんだ。僕はシンシンの好きにさせた。何をしようとしているのかは分かっている。そして、その予想は一分と待たずに正解だったと知らされる。

「本山!」

 玄関から叫ぶ声と共に、原口刑事が部屋に入ってきた。僕はそれを確認して落としたスマホを拾い、健司の部屋へと入った。

「本山! 待て!」

 待てと言われて素直に待つ奴がいるだろうか。僕は本当に「待て!」と言いながら追うんだな、とおかしくなって笑った。

 健司の部屋からベランダに出て柵の上に立つ。身体は部屋の方に向け、スマホをしっかり両手で構えた。幸い、落とした衝撃でライブ配信が途切れることもなく、配信され続けている。視聴人数は二千人を超えていた。「マジ?」「本物?」「ヤバくない?」そんな語彙力のないコメントが溢れている。

 唯一残念なのは、麗奈吉がこの場に居ないことだ。怒りと、恐怖と、裏切られた悲しみで泣き崩れる彼女の姿を、僕の最後のシナリオには書いていたのに。

 原口刑事が健司の部屋に入ってくると、僕はカメラを原口刑事に向けたまま、後ろに倒れ込むように飛び降りた。

 ベランダから身を乗り出して僕を見る原口刑事とシンシンの姿が、速度を増して小さくなってゆく。

 劇的なラストシーンを撮影するため、カメラをモニター側のインレンズに切り替えた僕は、絶望した。

「本山陽介、三城実里殺害の容疑で逮捕する」

 マットの上に張られたネットに絡まる僕にそう告げて手錠を掛けたのは、僕を取り調べた白髪交じりの刑事だった。逮捕状とは別に、紙の束を僕に見せる。

「シナリオのラスト、書き直すかい?」

 その紙の束は、僕が最後に書いたシナリオだった。書き直しても無駄だ。今回の配信はライブ配信のみ。トゥルーエンドへの道筋は完全に閉ざされていた。


 逮捕後の記憶は曖昧だ。

 今はいったいいつなのか。

 何年の何月何日なのか。

 様々なことが曖昧になっている。

 そもそも、なぜこうなったのだろうか。

 毎日味気ない食事に、大量の薬。

 刑務所ではない、閉鎖された空間から出ることができない。

 外の情報も得ることはできない。

 定期的に行われるテストも退屈でしかない。

 現実的なものを求めた僕に与えられたのは、非現実的な毎日だけだ。

 自由に死ぬことも許されない。殺すことも許されない。

 ――本山さん、良かったですね。

 裁判の後に囁いていた弁護士の声がずっと脳裏に焼き付いている。

 ――良かったですね。

 僕はこれで良かったのだろうか。

 ――良かったですね。

 弁護士がそう言ったのだ。これで良かったのだろう。

 ――あなたは元々悪い人ではないのですから。

 僕はなんでも否定するシンシンとは違う。

 ――本当に良かったです。

 良かったと言われたのだから、これで良かったのだ。

 ――あなたはむしろ良い人なのです。

 そう、僕は良い人なのだから。

 ――少しだけ、正義感が強すぎたのですよ。

 僕が正義だったのだ。

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