第2話 リアリティはどこに
自分の部屋に他人を入れたのは初めてじゃない。女と限定しても初めてじゃない。だけど、ルームメイトを入れたのは初めてだ。
ミノさんは、僕のベッドに座っている。そして、僕はミノさんの隣に座っている。ただし、僕はベッドの上ではなく、ベッドを背もたれにして座っている。二人ともすぐには話さず、それぞれコンビニで買ってきた物を口に運んでいた。僕は菓子パン。ミノさんはパスタサラダ。
「話、聞こうか?」
ミノさんがサラダを半分残して蓋をしたのを見て、僕の方から口を開いた。
「うん」
そう言って頷いたものの、ミノさんはすぐに話そうとはしなかった。ようやく話し始めたのは、僕がマグカップのコーヒーを全て飲み終えて三分が過ぎた頃だ。
「ネットで見たらね、ヒートショックって、浴室と、お湯の温度差が大きいと起きるって書いてた」
「そうみたいだね」
そして、またしばらく無言が続いた。
「昨日私がお風呂掃除してから、ずっと窓が開けっ放しだったと思うんだ。それが原因で」
やっぱりそんなことだったか。僕はくだらなさに嘆息した。
「そんなことで責任を感じてたら、この先の人生もたないよ? ミノさんは先生になるんでしょ? 学校にしろ、幼稚園にしろ、病気や怪我をする子供なんて沢山いる。先生になってさ、その全部に自分の責任を探してたらキリがないって」
「病気とか、怪我ぐらいなら良いけど、健司君は死んじゃったんだよ? 私が窓を閉めてたら、死なずに済んだかもしれないじゃない!」
なんでミノさんはこうなんだろう。正直面倒くさい。
「ミノさんの責任だったとしたらどうするの? どうしたいの?」
半ばやけくその質問だった。責任の取りようもない癖に原因がどうこう言うから、僕もイライラしてくる。
「健司くんの、健司くんのご両親に謝らなきゃ」
言うと思った。言うと思っただけに、溜息も大きくなる。
「それって迷惑、というか、逆効果だと思うよ。健司の両親のペースで悲しみを消化させてあげた方が良いと思うけど? 両親の立場にしてみれば、ミノさんに謝られたって健司は生き返らないし、悲しみも収まらない。寧ろ大きくなる」
ミノさんは僕の言葉を聞いて、唇をかみしめている。
「もしかしてさ、麗奈吉にも同じ話をしたの?」
「うん」
やっぱりそうか。風呂で同じことを言われて、麗奈吉もイライラしたのだろう。そして、別行動をしたに違いない。麗奈吉は僕以上に感情を露わにさせる。
「最終的には、好きにしたらってしか言いようがないね。両親に謝罪に行くなんて僕は反対だけど」
「そうだね、分かった。謝るのは止めとく」
結局何がしたかったのか。ミノさんは最後に「ゴメンね」と一言残して自分の部屋に戻っていった。
僕が気分を変えようと、キッチンでコーヒーをもう一杯注いでいると、麗奈吉が帰ってきた。
「おかえり」
「おう、ただいま。丁度良かった」
「丁度良かったって何が?」
何だか嫌な予感がして、見事にそれは的中した。
「ちょっと部屋で話したいんじゃけど、ええ?」
了解を求めている人間の眼差しではない。命令する人間のそれだ。拒否してもその理由を問い質されるのが目に見えていて、僕は頷くしかなかった。
「ほいじゃあ、来て」
「え?」
てっきり僕の部屋で話すのかと思ったら、麗奈吉の部屋で、ということらしい。さっきは初めてルームメイトを自分の部屋に入れたが、今度は、ルームメイトの部屋に初めて入る。
「なにー、やっぱり嫌とか言うん?」
「違うよ。麗奈吉の部屋でとは思わなかっただけだから」
「ふーん」
麗奈吉は、「誰の部屋だろうが関係ない」と言わんばかりの顔をして、自分の部屋に向かった。
「お、お邪魔します」
僕は開いたドアの先に見えた麗奈吉の部屋に入るのを躊躇った。女の部屋だから、ではない。これでもかと置かれたカープグッズに圧倒された。壁のポスター、カレンダー、カーテン。天井にもポスター。枕も、ベッドに掛けられた布団も、そこに座るぬいぐるみも、見事なまでにカープで統一されている。
「ま、そこに座りんさい」
麗奈吉が指した所には、円形の小さなクッションが置いてあった。
「それ、マンホールなんよ」
じっとクッションを見ていた僕の視線に、麗奈吉がほんの少し笑顔を見せてそう言った。
「マンホール? このクッションのデザインが?」
なぜクッションにマンホールのデザインを採用するのか意味が分からない。分からないが、今はそんな話をするために僕を部屋に呼んだんじゃないはずだ。
「あぁ、ゴメン。話があるんだよね。何の話?」
大体の予想はしている。さっきのミノさんの話か、そうでなければ昨日の件。
「今日警察に行ってきたんよ」
「警察?」
予想外の展開だ。だが、その内容はやはり昨日の話の続きだった。
「昨日見た映画の内容と、健司が死んだ状況が似てるって話をしてきた」
「ふーん。で?」
「笑われた。ただの偶然やって」
それはそうだろう。ヒートショックでの死亡者数は、年間一万五千人を超えるらしい。しかも、その多くが冬期に集中するだろうから、昨晩だけでも百人近く亡くなっているかもしれない。だとすれば同じ時間に配信されていた映画で、同じように浴槽で人が死んでいたのは、偶然ではなく必然と言っても良いくらいだ。
「ほじゃけど、どうも気になるんよ。あの犯人、どうやって殺したん?」
昨日はこの質問に「ネタバレ厳禁」と答えて激怒された。今日は答えてやるしかなさそうだ。僕は、答えのひとつだけを教えることにした。
「降圧剤だよ」
「コウアツザイ? なんなんね、それ?」
「高血圧症の薬。血圧を下げるんだってさ」
答えを聞いても、麗奈吉はポイントを掴みきれていない様子だ。
「ヒートショックって、急激に血圧が下がって起立性低血圧、えっと、立ち眩みの酷いヤツだね。それが起こって意識を失うんだよ」
「立ち眩みねえ。そんなん、ワシでもようなる」
「意識を失わないまでも、でしょ。だからこそ死者が多いんだろうね。高齢者に多いっていうのは、咄嗟に防御できないからだと思うんだ。僕らだったら、立ち眩みがしそうだったら、しゃがんだりするじゃん?」
麗奈吉は俯き加減で静かに頷いた。タラミスで配信された映画と、健司の死は無関係だと警察に笑われた理由が納得できたようだ。
「健司は病院でヒートショックだって言われた。医者こそ若い健司が浴槽で意識を失っていたレアケースに、多少なりとも不信感は持ったと思うよ。その医者がヒートショックだと断定して、遺体もすぐに遺族に引き渡された。変に僕らが疑ったら、ミノさんが謝りたいって言ってたのより、両親を傷つけるかもよ」
その僕の言葉は決定的だったようだ。麗奈吉は吹っ切れた様子で立ち上がった。
「すまんかったね。変な話をしてしもうて」
そう言って部屋のドアを開けた。僕はそのドアから一歩足を踏み出して、ドアノブを持つ麗奈吉に振り向いた。
「やっぱり引っ越すの?」
「さすがにね。健司が死んだ風呂には入りにくいけぇ」
「そっか。そうだね。残念だよ」
つい本音がポロリと零れた。その言葉の意味を麗奈吉がどう捉えたか分からないが、彼女も頷いていた。
「おはようございます」
月曜日。
今日は朝十時からバイト先に出勤だ。
「おはよう、本山君。前回の『ライク・ア・ローリングストーン』のデータが纏まってるから見といてね」
室長の
「はい。分かりました」
僕は先にオフィスに置いてある自分のマグカップにコーヒーを注いでから、パソコンを立ち上げ、社内ネットワークのファイルを確認した。
〈タラミス〉フォルダの中の〈ライク・ア・ローリングストーン〉フォルダ。その中の〈視聴データ〉フォルダを開く。エクセルファイルが並ぶ中で、僕はまずアクセスデータから眺めた。
総アクセス数は二万六千。前回の二万八千から減少している。その前の作品が不評だったのが響いているのだろう。細かい属性データには興味がない。アクセスデータファイルを閉じて、配信後のレスポンスデータを見た。
レスポンスデータと言っても、一般的な意味で言うプログラム上のデータではない。ビューワー・レスポンス。つまり、視聴者の反応だ。
レスポンスデータファイルを開き、トゥルーエンド到達者タブをクリックする。千人強の到達者の中で、アプリ上でコメントを残しているのが六十人。その全てに目を通す。
多くは好意的意見だった。「前回よりも面白かった」「予想外の展開だった」「最後の選択肢は勘。良いトゥルーエンドが観れてラッキー」など。だが、やはりあのコメントが目に付く。
――リアリティに欠ける。第一の被害者の若さで、ヒートショックを利用して殺害するのには無理があった。
「実際、健司はそれで死んだだろうがよ」
僕はそれを読んで小さく呟いていた。
「今、レスポンス見てる? 結構良い反応でしょ? 良かったね」
「はい。ありがとうございます」
「『リアリティ小僧』がまた沸いてるけど、まぁ、本山君も気にしてないよね?」
「ええ。もう見飽き、じゃない、見慣れました」
苦笑しながら答えた僕に、翠さんも笑顔を浮かべていた。翠さんにはもちろん、バイト先の誰にもルームメイトが死んだことは話していない。
もう一度パソコンに視線を戻す。全ての「ライク・ア・ローリングストーン」関連のファイルには、先頭に作品名と、ディレクター、シナリオライターの名前が書かれている。
――シナリオ・本山陽介
僕はそこに書かれている自分の名前を、しばらく眺めていた。
翠さんの視線を感じて顔を上げると、優しい笑顔があった。
「最初の作品にしては、及第点を軽く突破したね。でもね、分かってるとは思うけど、二作目以降が大事。一本目は、これまで生きてきた経験の全てをぶつけられるけど、以降はどんどん発想の貯金が減ってくの。アンテナの感度は常に上げておきなさい。新しい動きをどんどん吸収して、世間は何に興味を持っているのかにも注目して。ねっ」
「はい。頑張ります」
健司が死んでしまった今、あの部屋での生活も終わろうとしている。大学も辞めれば、これからは、この場所が僕の全てだ。
「あの、この前出したシナリオと別に、もうひとつ書いてみたいんですけど」
次回作のシナリオの下書きは一週間前に提出してある。
「え? 今週末には制作さんと打ち合わせよ?」
「分かってますけど、ちょっと違うパターンのものも書いてみたくて。序盤とトゥルーエンドだけ」
「そう。私としては歓迎するけど、本山君、明日は休みだよね。時間はないよ? 締め切りは明後日。それでも書けるなら」
「はい。問題ありません」
「よろしい。それじゃ、良いシナリオを読ませて」
「はい」
翠さんは自分が持っているマグカップを、乾杯の仕草で小さく上げた。僕は同じ動きで返すのは照れくさくて、頷いただけで返してシナリオファイルを開いた。
殺害方法と結末の変更。それを決意させたのは、あのレビューのひと言だ。それに対する僕の対抗心だ。リアリティがどうこう言わせない。その上で単純に面白い作品を追求してやる。その思いに情熱を燃やし、モニターに表示された提出済みのシナリオを睨みつけた。
僕たちのチームが手掛けるのは、ミステリー作品だ。多くの場合、人が死ぬ。いや、殺される。
現在日本では、未遂事件を含めて年間九百件以上の殺人事件が起きている。リアリティを求めるだけなら、そのどれかを参考にする手もあるだろう。だが、それでは面白くない。視聴者に参考にした事件がバレでもしたら最悪だ。
――殺人者になりきる。
僕はその方法を採ることにした。
「誰を殺そうか」
目を閉じて考えた。そして、最初に浮かんだのはシンシンの顔だった。
「面白くないな」
嫌味なシンシンを殺しても、普通過ぎる。次に浮かんだのはミノさんだ。こっちの方が面白い。
「動機は?」
殺害方法を決めるのは最後だ。誰でも良いから人を殺してみたい、などと言う殺人者以外は、当然殺意が湧くのが先で、殺害方法はその後で考える。
動機は、共感できる部分があるものを選ぶか、理解できない狂人的なものを選ぶか。
被害者が若い女性の場合、利己的で傲慢、且つ身勝手な動機が採用されがちだ。殺人者を完全な「悪」として描くのだ。映画ではこのタイプが好んで使われる。逆に、ドラマだと殺人者に同情させるような作りが多い。どちらを選んだにせよ、ありきたりなものになりそうだ。
「狂人でありながら、同情させるってのは?」
リアリティを保っていながら、そんな動機を成立させられるだろうか。
結局この日は一文字も入力できないまま、終業時間を迎えた。
「あまり根詰めなくても良いんだからね。『やっぱり書けませんでした』ってなっても、もう一本出してもらってるんだから。今回浮かんだアイディアは、次に回しても良いんだし」
「はい。でも、やれるだけやってみます。それじゃあ、お先に失礼します」
翠さんは優しいが、その優しさは時として人を駄目にする。僕の前のシナリオ担当者がそうだった。翠さんの優しさに甘えて、中途半端な仕事をして、視聴者を離れさせた。
「そうか。僕が求めているものを動機にすれば、リアリティが出るじゃないか。僕の、リアルな感情なんだから」
殺人の動機が、浮かんだ。狂人的な動機が。
僕は、ミノさんを殺さなければならない。
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